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【閲覧注意】物理法則が死ぬ世界、聖騎士を「エンジン」にする論理狂の男 ――宇宙の先には何がある?  作者: 葛石


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おいしいトマト

船内には、奇妙に落ち着く香りが満ちていた。

それは、奥の「水耕栽培ユニット」から漏れ出す、湿った土とフレッシュハーブの匂いだ。


エメラルド色の光に照らされたその一画では、数種類のレタスやトマト、そして名前も知らない薬草が、宇宙の過酷な放射線を遮断された安全な揺りかごの中で、青々と葉を広げている。


国家級の宇宙船が「機能的な食料プラント」を備える一方で、シンのこの船は、もっと原始的で、それゆえに強烈な「生命」の匂いを発していた。


「……ねえ。このトマト、食べていい?」


「許可する。戦士の疲労回復には、効率的な栄養源だ」


カタリナは、手を伸ばして真っ赤に熟した実を一つ摘み取った。

口に含むと、驚くほど濃厚な甘みと酸味が弾ける。

地上で食べていたものより、ずっと「トマトらしい」味がした。


「おいしい。……信じられない。あんなにボロボロのガラクタなのに、中はこんなに……まともなんだ」


「まとも、ではない。徹底的に『合理的』なだけだ」


シンはマグカップを口に運んだ。


「国家級の船は、一万人のための快適さを追求する。だが、そのために膨大なリソースを『平均化』で浪費する。

……私は違う。この船の全システムは、私とお前、たった二人の生存と精神的安定のためだけに最適化されている」


シンが指を鳴らすと、狭い船内の壁の一部がスライドし、小さなシンクと、手入れの行き届いた調理器具が顔を出した。


錆びているように見えた配管も、その実は複雑な循環濾過システムの一部であり、宇宙で最も貴重な「水」を、地上の天然水よりも純粋な状態で供給し続けている。


「壁の隙間に詰め込まれた保存食も、ただの備蓄じゃない。味覚の飽きを計算したローテーションだ。

……カタリナ、お前の好みが『魔王討伐時代の北方の煮込み料理』に偏っていることも、摂取傾向から算出済みだ」


「……ストーカーみたいで気持ち悪いけど、否定できないのが悔しいわね」


カタリナは苦笑し、ベッドの上で足を伸ばした。

ふと、彼女の視線が、船体のごく一部を切り取る、厚さ数十センチの強化ガラス製の覗き窓へと吸い寄せられた。


「……綺麗」


思わず、漏れた声だった。

そこに広がっていたのは、地上のどんな宝石商も扱ったことがない、狂気と美酒を混ぜ合わせたような「宇宙」だった。


通常の宇宙が「黒」を基調とするなら、今のこの空域は「極彩色」の混沌だった。


遠くに見える星雲は、もはや穏やかなガスの集まりではない。

物理定数が崩壊した影響で、光の波長がデタラメに引き伸ばされ、毒々しいまでのターコイズブルーや、目を焼くようなショッキングピンクの渦となって、互いに喰らい合うように絡み合っている。


その手前を、天の川のような光の帯が流れていた。だが、それは星の集まりではない。


「あれは……何?」


カタリナが窓に手を触れる。指先越しに伝わる、宇宙の絶対零度の冷気。


「『重力の潮流』だ。……あそこでは重力定数がマイナスに反転している区画がある。

星の残骸が、互いに反発し合いながら、光速に近い速度で奔流となっているんだ」


シンがモニターを見ながら、気温の話でもするように答えた。


カタリナの目には、それがダイヤモンドを砕いて撒き散らした、光の奔流に見えた。


かつては惑星だったかもしれない岩塊が、衝突し、砕け散り、その瞬間の熱エネルギーが、バグった空間で奇妙な青白い火花となって凍りついている。


息を呑むほどに美しく、幻想的な光景。

まるで、神が酔っ払って絵の具をぶちまけたキャンバスのようだった。


子供の頃に夢見た、お伽話の中の宇宙。

その神秘に、カタリナの心臓が高鳴る。

もっと見ていたい、あの光の中へ飛び込んだら、どんな景色が広がっているのだろうか――。


だが、その高揚感は、次の瞬間に冷水を浴びせられたような恐怖へと変わる。


キラリと、光の帯の中で何かが爆ぜた。

国家級宇宙船ほどの大きさがある小惑星が、見えない力に捉えられ、一瞬で飴細工のようにねじ切れ、霧散したのだ。


「……っ!」


カタリナは反射的に窓から身を引いた。


美しい光の川に見えたものは、触れればどんな装甲も紙切れのように引き裂く、超重力の破砕機だった。


あの極彩色の星雲も、美しいのではない。

あれは、星々が悲鳴を上げながら「死んでいく」際の、断末魔の輝きなのだ。


美しさと、絶対的な死が、同義語としてそこにある。


この窓ガラスの向こう側には、人間の理解も、生存本能も、すべてを嘲笑うような、圧倒的で無慈悲な「深淵」が口を開けて待っていた。


「……怖い。すごく綺麗なのに、見てると……魂が吸い込まれそうになる」


カタリナは自分の腕を抱いた。


船内の温かな空気、ハーブの香り、柔らかなベッドの感触。

それらが、薄氷の上に築かれた奇跡の砂上の楼閣であることを、窓の外の景色が残酷なまでに突きつけてくる。


「……ねえ、シン。あんた、世界を相手にこんな喧嘩を売ってるのに、なんで……こんなに『生活』を大事にするの?」


カタリナは窓から視線を剥がし、すがるようにシンの背中を見た。


「戦いとは、破壊することじゃない。……自分の『領域』を維持し続けることだ」


シンはモニターから目を離さず、氷のような声で言った。


「宇宙がどれだけ壊れようと、この十畳の物理法則だけは私の支配下にある。

……コーヒーの温度も、トマトの糖度も、お前の睡眠の質もだ。

……それを維持できなくなった時、私たちはただの『宇宙のゴミ』に戻る。あの窓の外と同じにな」


シンはそう言って、空になったマグカップを置いた。

その動きには、一分の無駄もない。


「休憩はあと400秒だ。……カタリナ、次は『ステラ・リッパー』の重力圏に入る。……あそこの物理法則は、今のトマトほど甘くはないぞ」


「……わかってるわよ。このベッドの寝心地が良すぎるのが、あんたの唯一の計算違いね」


カタリナは、最後に一度だけハーブの香りを深く吸い込み、重い腰を上げた。


快適すぎる揺りかごは、次の地獄へ向かうための、もっとも冷酷な「燃料」補給だった。


二人の「ガラクタ」は、温かな土の匂いを閉じ込めたまま、再び星を裂く光の渦へと、静かに、しかし確実に機首を向けた。


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