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私は断じて聖女ではありません  作者: 清水薬子


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タイトル未定2026/02/03 01:00

 十三になった子どもは、各地の神殿で鑑定の儀式を受ける。そこで祝福を授かった者は王宮へと召し上げられ、二親等は裕福な暮らしが約束される。祝福を授かる事は名誉な事で、とても幸福な事だと教えられてきた。

 その教えが間違いであったと知ったのは、まさしく鑑定の儀式の最中に起こった事件であった────




 『寵愛』

 その祝福は、神殿で重要な意味を持つ。


 曰く、あらゆる病や呪いを退け。

 降り掛かる不運や自然災害すら跳ね除け。

 立ち寄った地に慈雨と柔らかな日差しを齎し。

 神殿と相反する蛮族でさえ改心させ、神の偉大さを遍く世に知らしめる。


 『寵愛』の祝福を授かった者は、男ならば聖者、女であれば聖女と尊ばれる。祝福持ちならば確定で打診がされる王族との婚姻ですら、望むならば拒む事ができるほどの権力と名声を持つのだ。


 それほど強力な祝福を持つ者は、滅多に現れない。

 二百年に一度。過去の栄光を縋るように、神殿は『寵愛』の祝福を確保しようと躍起になり、王家は神殿の権力を削ぐ為に『寵愛』の祝福を血眼で監視している。


 王城に招集された私は陛下に述べた。


「私は断じて聖女ではありません」


 父は村のパン屋、母は保母として生計を立てるありふれた家庭で生まれた私に、宮廷儀礼など知るわけがない。

 険しい顔へ変わる側近に、陛下は首を横に振る。

 一国の王への無礼すら許されてしまうのが聖女という存在なのだ。改めて、身の丈に合わない権力に背筋が凍る。


「陛下、私は聖女ではないのです。どうか、国の平穏な為、私を人里離れた場所へ行くのをお許しください。この国をお守りください」


 手を組んで祈る。神ではなく、目の前の王に。


「聖女どの、余には話が全く見えん。そなたは鑑定の儀式で『寵愛』の祝福を授かっている。それは神官長も、そして我が騎士団の者も確かに目撃し、余に報告したのだ。なにゆえ、聖女ではないと言うのか。謙遜も過ぎれば嫌味となるぞ」


 鑑定の儀式での出来事が脳裏を過ぎる。

 それだけで寒気に襲われ、脂汗が滝のように流れ落ちていき、歯の根がぶつかる。


「陛下、この国は二百年ほど『寵愛』の祝福がなくても成り立ったのです。それは王家の導きと、民衆のたゆまぬ努力と犠牲によって得られた結果なのです。どうか惑わされないでください、騙されないでください。私は聖女ではないのです、私は断じて聖女ではないのです!」


 陛下は深くため息を吐くと、静かに告げた。


「聖女どのはまだ心が落ち着いていないようだ。王宮の離れで休ませるべきだろう。後で我が息子に様子を見に行かせ、世間話でもさせてやれば落ち着くだろう」


 足元が崩れ落ちる感覚に襲われる。

 ああ、賢王と称された陛下であっても、『寵愛』に目が眩んでしまった。利用する事しか考えていないのだ。






「やあ、少しは落ち着いたかな」


 どうやら神殿と王家は、倒れた私を巡って水面下で争っていたらしい。私は、神官が壁に並ぶ王宮の医務室で目を覚ました。


 ベッドの横に置かれた椅子には、王太子が腰掛けている。父譲りの金髪は、なるほど金の貴公子と巷で囁かれるのも納得のルックスであった。

 鑑定の儀式を受ける前ならばのぼせ上がっただろう美貌も、今の私からすれば舌舐めずりしながらにじり寄る化け物よりも悍ましい。




「聖女どの、どうか私にだけは教えてくれないか。君が聖女である事を恐れる理由を」


 いとも容易く国家権力を振り回し、神官を部屋から追い出した王太子は距離を詰めて私の瞳を覗き込む。色素の薄い彼の目は、鑑定の儀式での出来事を否が応でも彷彿とさせる。


「私は神殿の権威を削ぐつもりだ。これからの未来に、神の威光は必要ない。もし君が神殿に虐げられているなら、私が君を救い出してあげよう。そして君が望むなら、私の伴侶として迎えても良い」


 王太子は頑として口を閉ざす私の髪をひと束ほど掬い上げて、唇を落とした。






 十三になった私は、鑑定の儀式を受ける為に最寄りの神殿を訪れていた。

 直前まで、両親と他愛無い会話をしていた。

 『炎』の祝福があれば薪代が浮くとか、『調合』の祝福があれば風邪をひいた子どもの面倒を見るのが楽になるとか、笑ってしまうほどにくだらない内容。


 祝福を告げられ、一喜一憂する同い年。

 そして、私の番が訪れた。


 床に両膝をついた私の額に触れた神官長は、ツウと涙を流した。監督を務めていた騎士は天井を見上げ、放心したように口を開けていた。

 騒がしかった同い年の知り合いが一瞬で静まり返った事に違和感を覚え、振り返る。


 全員が、両膝をついて祈りを捧げていた。

 彼らの視線はある一点に注がれている。

 私に、ではなく、私の背後にあるものへ。


 ふわりと頭にベールが被せられる。

 それは昔、絵本で読んだ聖女の被る絹のベール。

 運んだ指は、長く太い男を彷彿とさせる。しかし、そのサイズは明らかに人間よりも大きい。


 見覚えのある手だった。

 祈りのたびに何度も見上げた神の御使、代行者の像。

 血の気がまるでない肌は、彫像のよう。


 ぞおっ、と全身の肌が粟立った。

 心臓が跳ね、肋骨の中で暴れ回る。今にも口から飛び出してしまいそうだった。


 ベールの外側を、流れ落ちた銀の髪がカーテンのように視界を阻む。


 ────わたしの『最愛』


 囁いたその声は、人ならざる者。

 悍ましく、骨の髄まで凍えるほどに恐ろしい。

 私を見下ろすその目は爛々と輝き、蛇のように睨め付ける。


 慈愛の笑みだと思った微笑は、巨大な顎を獲物に悟らせないための擬態であった。

 長い指は、あっさりと私の父を掴む。その姿はまるで、蝶を捕まえた肉食の昆虫、蟷螂。


「なに、を」


 私の問いかけに答えるかのように、慈愛の笑みが本性を表す。がぱりと顎が開き、そこに父を放り込む。

 父は、涙を流すばかりで抵抗すらしなかった。

 悲鳴もあげず、父であった膨らみは喉仏を押し上げ、ごきゅりと生々しい音を立てて胃袋へと滑り落ちる。


「え?あ?と、とうさん?」


 この時の私は、神の御使を信じていた。

 なんらかの気まぐれで、像が動いたのだと。奇跡の類だろうと。

 だから、父が食われたという事実は受け入れ難いものだった。


 捕食者は、目を細めて母を掴む。

 母は感嘆のため息を吐いて、こう呟いた。


「ああ、お父さんが羨ましいわ。私が最初に食べられたかったのに」


 ひゅっ、と喉が変な音を鳴らした。

 母は、こんな恍惚とした表情を浮かべながら捕食されたがる性格ではなかった。いつも気が強くて、私の話なんて聞いてくれない頑固者で……。


 母との記憶が、塗りつぶされる。

 幸福に顔を歪ませながら口内へ消えていく女性は、確かに私の母のはずだったのに。知らない表情で、飲み込まれてしまった。


 ぱくり、ぱくり、ごきゅ、ごくん。

 一人ひとりと飲み込まれていく。

 誰も抵抗しない。逃げない。

 その異様な雰囲気に、私は声を押し殺して怯える事しかできなかった。


 そうして神殿の中に残されたのは、私と、神官長と、騎士だけだった。






「御使様は、人をお召し上がりになられます」


 神官長は、木から落ちた林檎が地面に落ちる摂理を語るかのように、淡々と告げた。


「召し上がった人の質が良ければ良いほど、大地は潤い、生命は活力に溢れるのです。そして、慈悲深い事に、御使様は人を愛してくださるのです。それが『寵愛』の祝福を持つ聖女の貴女だった、というわけです」


「愛しているなら、なぜ私の両親を食べたのですか!私の両親は何も悪い事をしていないというのに!」


 神官長はゆっくりと首を傾げる。


「聖女様、あなたは両親に捨てられた孤児ですよ?」


「……そう、ですか」


 聖女に選ばれた知った事。

 御使は化け物であり、神殿はそれを隠す組織である。王家もまた似たようなものであり、私の両親は元から存在しなかったものとして記録を抹消された。


「聖女様、どうかご安心ください。貴女が御使様の最愛であり、『寵愛』を失わない限り、貴女は安全です。この世界の誰よりも、ね」


 御使の像を見上げ、神官長は微笑む。

 二百年ぶりの聖女の再来は、大陸全土に報されるという。


 御使は気まぐれだ。

 ふっと現れては、無作為に人を食らう。

 衣服もまとめて飲み込むから、何も残らない。食べられた人は、存在しなかった事になる。


「ですから、どうか御使様の御心を損なわないよう。御使様は貴女を通して────」


 ひょい


 会話の途中でも、相手の立場など関係なしに。

 神官長も食べられてしまった。







「おいおい、聞いたか?」

「何をだよ?」

「隣の国の聖女様が脱走したらしいぞ。なんでも王子様との婚約を嫌がったらしい」

「はー。王子様との結婚は女の子の憧れじゃないのかね? 王子の婚活が失敗続きなら、船乗りの俺の婚活はどうなることやら」


 船乗りたちのかしましいお喋りは、波の音さえかき消せないようだ。

 フードを深く被り、見慣れない異国の路地を足早に歩く。


 化け物から少しでも遠く一秒でも早く離れるため。

 私は何もかもを捨てて逃げ出した。

 化け物は、あれから見かけていない。


 地面に落ちていた新聞を拾う。

 あまり難しい文字は読めないが、どうやら王国は神殿の権威を削ぐ事に成功したらしい。神殿の数を減らしていくという声明が発表されていた。


 王国を出てから、十年が経った。


 名前は何度も変えた。年齢も、出身も、家族の話も。誰にも深く関わらず、必要以上に好かれず、憎まれもしない。

 祝福を悟られないよう、怪我をすれば治癒師を避け、病に伏せれば静かに耐えた。

 それでも、顔を合わせるたびに口を揃えて皆がこう言った。


「あなたが来てから、この町は災難がない」

「作物の出来が良い」

「嵐が逸れた。あんたは幸運の女神だな」


 噂は、意志を持つ。

 否定すればするほど形を持ち、やがて祈りに変わる。

 私は理解しつつあった。

 『寵愛』は、私を媒介に世界へ滲み出す。


 神殿は衰退した。

 王家は改革を成し遂げ、神話を歴史へと押し込めた。

 御使の像は行方知れずとなり、神の名は教科書から消えた。


 それでも────

 夜、海辺を歩くと、必ず聞こえる。

 波の音に紛れてもなお、鼓膜に届くあの声。


 ────わたしの『最愛』


 振り返っても、何もいない。

 けれど、月明かりの下で、私の影だけが一瞬、二つに重なる。

 逃げ切ったのだと、自分に言い聞かせていた。

 誰も食われていない、はずだ。


 ある年、干ばつに苦しむ小国から、使者が訪れた。

 名もなき旅人にすがるしかないほど、追い詰められていたのだろう。


「どうか、祈ってほしい」


 私はすぐに断った。

 けれど、目の前で衰弱する子どもを見て、私は理解してしまった。

 祈らなくても、すでに“起きている”。

 私がそこに立っている限り。

 雨は降った。

 畑は蘇り、人々は泣いて喜んだ。

 誰かが言った。


「聖女様はここにいたんだ。御使様と一緒に」


 その瞬間、私ははっきりと感じた。

 背後に、気配がある。

 振り向かなかった。

 振り向けば、すべてが終わると知っていた。

 それでも、声は確かに囁いた。


 ────みいつけた

 ────かくれんぼは、もう、おわり


 影が、私を包む。

 恐怖は、不思議と薄かった。

 代わりに湧き上がったのは、理解だった。

 この世界は、神を否定しても、神話からは逃げられない。

 私は、深く息を吸った。


「……私でおしまいにしてください」


 その言葉が届いたのかどうかは分からない。

 ただ、背後の気配が微かに揺らいだ。






 干ばつは終わり、国は救われた。


 目まぐるしい人の営みに、月日は過ぎ去り、ある時に聖女の話題がのぼった。

 十三になった子どもたちが鑑定を受けなくなって久しい時代。

 誰かが、こんな童話を語る。


「昔、愛されすぎた人がいたんだってさ」


 それを聞いた子どもは笑う。


「へえ、変なの」


 そうだ。

 とても、変な話だ。

 だからこそ、誰も気づかない。

 その子の背後に、一瞬だけ落ちた、長い影に。

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