公爵家次男の密かな活躍
政治の話が続いたので、雰囲気を変えてお届けします。
俺は、ダンブリッジ公爵家の次男、アルベリックだ。
父は何でもそつなくこなす紳士で、母の言葉は剣より鋭い。国王を言い負かすことさえある。
そんな二人は幼なじみで、仲もいい。
嫡男の兄は父に似て、俺はどうやら母に似たらしい。
年子の妹は、口調こそおっとりしてるが、気の強さは母ゆずりだった。
王太子が妹と同い年で、俺と妹はよく王宮に呼ばれていた。
高位貴族の子どもたちの中から、側近候補や婚約者候補を選ぶためだ。
でも、俺たちは――二人とも、すぐに王太子が嫌いになった。
両親も「選ばれるよう努力しなさい」なんて言わない。
それどころか、王族から何か頼まれたら、すぐには答えるな。
必ず一度、家に持ち帰れと――そう言われていた。
子どもながらに、両親が「王族を警戒している」ということは察せられた。
国王は父のことを「親友だ」と言って肩を叩くけど、父はいつも貼り付けた笑顔で、紳士の仮面をかぶって応対していた。
隙を見せないための「笑顔の壁」で拒絶しているのに気付かない人が、友達と名乗るのはありえないだろう。
だから俺たちは、できるだけ王太子と距離を取るようにしていた。
一緒にいても、自分が一番じゃないとすまない奴なんて面白くないし。
それなのに、妹に「王太子の婚約者に」という打診が来た。
妹は嫌がったし、両親もきっぱり断るというので、内心ホッとしていた。
ところが、母が慈善事業の準備で王都を離れている隙を狙って、父が王宮に呼び出された。
なかなか帰ってこない。
家令が王宮に赴き、「緊急の連絡がある」と伝えても、返ってきたのは「国王と歓談中なので連絡は取れない」という返事だった。
母に急いで戻ってきてもらったけれど、母が家に着いたのは……父がぼろぼろの姿で帰ってきた後だった。
神官に来てもらって、治癒してもらう。ちらっと見たが、腹や背中、太ももに酷い打撲の跡があった。
けれど、体が治っても、心の傷までは癒やせない。
父は、そのまま寝込んでしまった。
うなされている姿を見て、俺たちにはどうしていいかわからない。
そのときに、母から昔のことを聞かされた。
幼い頃から国王に暴力を受けていたことを――。
そして今、そのころの恐怖が、生々しく蘇っているのだと。
母は、父の状態を見ながら、俺たち三人にいくつか注意をした。
「お父さまに触れたいときは、必ず『触れていい?』と訊いてからにしてあげてね」
兄と俺を抱きしめながら言う。
「昔を思い出して『男の子』が怖いと感じるかもしれない。
表情や呼吸、声の反応をよく見て、無理をさせないでね。
犬に噛まれた人が、別の犬も恐くなってしまうようなものよ。
あなたたちが嫌いなんじゃないの」
兄が声を低くしてつぶやいた。
「つまり、アレは遠ざけるべき獣ということですね」
母は、否定しなかった。
「……お父さまの部屋に一緒にいたいなら、いてもいいわ。そっと本を読んだり、静かに勉強をしていてね」
それらは「父を守るための知識」だった。
その後、父の乳母が領地から呼ばれた。
俺たちの面倒も見ながら、父にそっと話しかけたり、枕元で歌を口ずさんだりしている。
足の悪い乳母のために、食事は父の部屋に運ばれるようになった。
だから、俺たちの分も一緒に運んでもらう。
……まるでピクニックみたい。
沈みがちな空気の中で、ほんのりと温かい時間だった。
乳母が、スプーンでスープをすくい、そっと父の口元に運ぶ。まだ枕から頭が上がらない父……。
その様子をじっと見ていたら、父がぽつりとつぶやいた。
「……恥ずかしいな」
俺たちは、ぱっと顔に手を当てて目を隠した。
「見てないから、大丈夫だよ!」
父は、力なく笑った。
すると乳母が、いつもの優しい声で、少しわざとらしく叱る。
「恥ずかしいことなんて、何ひとつありませんよ」
もちろん、手の隙間からこっそり見ていた。
乳母の目に涙がにじんでいるのも、たった一口でも飲めたことを喜んでいるのも__。
母はすぐに、登城して面会したい旨の申請を出した。
けれど、今回はいつもと違って――何日経っても返答がない。
納得のいかない母は、伝手を使って情報を集め、日ごとに苛立ちを募らせていった。
それとは別の話になるが、父が床に伏してから三日目くらいのことだ。
ベッドの中から父が妹に詫び、妹が大丈夫となだめようとして、こんなことを口にした。
「お父様、泣かないでぇ。……婚約者になったら、王城に出入りできますでしょ。イスカリーヌの姫を捜せるかも、ですわぁ。ね、悪いことばかりじゃなくてよ?」
その瞬間、風向きが変わる。
すごくいい案だ、と思った。兄と目が合う。――きっと、同じことを考えていると確信した
イスカリーヌの全権大使が、時々公爵家に来て、晩餐を共にしていた。我が家と遠い血縁関係にあるそうだ。
晩餐のあと、父がそのゼノスおじさんとお酒を飲みながら姫のことを相談しているのを、俺たちは知っていた。
それなら、俺も――王太子の側近になってもいい。
妹のコーデリアが人質にでもされたら大変だから、そばで守る。
兄上は、「僕は、公爵になるための勉強をしっかりして、父上の力になる。このまま王家の好きにさせるわけにいかない」と拳を握りしめた。
それぞれが、自分にできることを考え始めた。
十日ほど経って、ようやく母が登城できたときには、すでに王太子との「婚約内定」が事実のように流れていた。
実際には、我が家はまだ正式に何の書類も交わしていない。
……これが一国の王のやることか。
そして、頼みの綱だった王妃は、静観を決めこんでいた。
一ヶ月後には婚約誓約書を交わすことになり、我が家ではその間、毎日のように婚約の条件を詰めていった。
「破棄されたとき、イスカリーヌ国が独立できるようにしてはどうだろう?」
そう言いだしたのは、いつもは堅苦しく真面目な兄だった。
「これくらい強気な条件を出せば、王家から断ってくるだろう」と冗談半分のつもりだったらしい。
だが、俺たちはすぐに食いついた。
大胆でいい案だ。うまくすれば、イスカリーヌの姫を助けることができるかもしれない。
そのまま、その案を実現すべく動き始めた。
それで国王の気分を害して婚約が不成立になっても、こちらは構わないのだ。
成立してしまったなら、姫を救い、イスカリーヌ国をも守る道筋ができる。
そのときは、どこかの段階で、王家から婚約破棄させればいいのだ。
おあつらえ向きに、我が家には精霊魔法の専門家がいる。
かつては王宮の法務部門で活躍していたが、精霊魔法が嫌いな国王にうとまれ、追い出されてしまった。
その彼が、友人と二人がかりで――渾身の合作として、婚約誓約書を作り上げた。
友人というのは、実力こそ折り紙付きだが、探究心が行き過ぎて魔道士免許を剥奪されたという、なかなかクセの強い人物だ。
契約書には、婚約が破棄された瞬間に術が発動するよう、精緻な仕掛けが施された。
法務にも通じた彼が、書式にも工夫を凝らした。
上半分には、誰が見ても標準的とわかる婚約の内容と署名欄を配置。
その下には、但し書き用のスペースと、婚約破棄専用の署名欄をしっかりと用意した。
さらに、その下段はあえて空白のまま残してある。
「万一、相手側から要望が出たときのため」とのことだった。
……国王に一泡吹かせられるぞ、と目を輝かせていたときの彼の顔は、正直、かなり不気味だった。
その後の話になるが、俺は、超一流の家庭教師を二人も手に入れたことになる。
俺自身は精霊魔法を使えないが、知識は豊富に与えられた。
だから、精霊魔法と魔術が融合した術式でも読み解けるんだな。
……うん。我ながら、なかなかすごい人材だと思うよ、俺。
母は、婚姻関係の書類は我が家で用意することを、国王に承知させた。
その際、父がどれだけ傷ついたかを突きつけ、「法務卿の関与がないと、自分の息子の婚姻も決められないのですか?」と煽ってきたらしい。
母は、棘を隠さない薔薇のように、冷酷に笑いながら言い放った。
「変に矜持が高い人間ほど、操るのは簡単なのよ」と。
だが、当日、その場で、我が家から婚約破棄した場合は育馬産業を慰謝料とするよう契約書に追記させられた。
国王には、こういう抜け目のなさがある。頭が切れるのは、認めざるを得ない。
しかし、それは、我が家を本気にさせただけだった。
絶対に、王家の方から婚約を破棄させてやる……と。
俺には魔力があったので、探知系の魔術をいくつか習得した。
家庭教師に精霊魔法の代わりになる道具を借りて、魔術と組み合わせて探索を繰り返した結果――王城の森の中に、何か奇妙な「揺らぎ」があることに気づいた。
一方、コーデリアは婚約者として閲覧できる王室の書類を、空いた時間を使って読み込んでいく。
すると、食費や衣料品の予算の中に、イスカリーヌの姫がまだ生きている可能性を示す痕跡が見つかった。
そこで俺たちは、王城に協力者を送り込むことにした。
一見すると我が家とは無関係に思える経歴の者を使い、潜入に成功する。
その協力者からの報告で、ごく一部の使用人たちが、一定時間、どこで何をしているのか不明な空白の行動時間があることがわかった。
しかも、彼らの手の甲には、守秘義務を強化する術式が掘り込まれていた。
肌色の線で書かれているため普段は目立たないが、走ったり、寒さで皮膚の色が変わったときには、薄く浮かび上がって見えるという。
俺は、人体に術式を刻む魔術を新たに学び始めた。
婚約破棄の仕込みも忘れてはならない。
サマセット男爵は、自分の狭い領地では威張りくさり、領民を好き勝手にしていいと思っている腐った男だった。
認知していない庶子が何人もいて、その中で見目が良く、いちばん野心の強そうなロクサナに目をつける。
仕掛け人によると、「王太子と同じ時期に学園に通わせられる」とちらつかせると、男爵はあっさり飛びついてきたらしい。
手のひらを返すように認知して、生まれたときから我が子であったかのように扱った。
実は、俺たちは似たようなことを、ほかの低位貴族にも仕掛けていた。
だが、その子どもたちの多くは、貴族としての自覚が芽生え、穏やかに学園生活を送っている。
中には、奥方からの虐待が始まってしまい、子どもを急いで家から引き離したケースもあったが。
もう一人、別の家にも「うまく育った」と思われる子がいた。
けれど、ロクサナとの「寵愛競争」に敗れ――その後、本人も反省したのか、身分の釣り合う婚約者を見つけて落ち着いた。
そして、この「寵愛競争」こそが、王太子をますます増長させるきっかけになったようだ。
貴族の娘たちが互いに張り合う様子を見て、「オレはモテる」「オレは選ばれて当然」「オレってすごい」と、本気で思い込んだらしい。
俺は「そんな娘が正妃になれるわけがない、コーデリアを大切にしろ」と何度も苦言を呈し、側近から外された。
もう、姫がいる場所におおよその検討がついたので、喜んで側近を辞めた。
あいつの顔を見ないで済む日々は快適で、側近として仕えることがかなり苦痛だったことを自覚した。
父も同じように……いや、俺以上に耐え忍んだのだろう。
サマセット男爵領が、鉄道事業における重要な拠点になるとは――まったくの想定外だった。
もともとの計画では、「低位貴族を重用するとは」と王太子に説教して鬱陶しがられ、俺は王太子の側近から外される。
適度な障害となって「恋の炎」を燃え上がらせ、王太子からコーデリアとの婚約を破棄させる計画だった。
ところが、腹立たしいことに、国王はサマセット男爵令嬢に利用価値があるため、王太子の愛人として認めるつもりらしい。そして、コーデリアを正妃に据えるだと?
王太子と男爵令嬢は、コーデリアに対して「侍女がたくさんいてズルい」と文句を言い、一人の侍女を「強奪」していった。
だから、俺たちはその状況を逆手に取ることにする。
奪われた侍女を通して、男爵令嬢が自分こそが「正妃」にふさわしいと思い込むよう、少しずつ野望を膨らませ、希望を抱かせていった。
そして俺は、王太子に侍らなくてすむようになって浮いた時間を、婚約破棄が成功した「その後」に備えるために使う。
イスカリーヌ国の独立に手を貸したと知られたとき、我々ダンブリッジ公爵家が無事でいられるとは限らない。
そこで、万が一に備えて領地にある港の整備を進め、家族全員でイスカリーヌへ脱出できる体制を整えた。
ただし――注意が必要だ。
イスカリーヌ側にも、姫の視察を手配した者の中に、アルビアンスの国王と共謀していた者がいる可能性が残っている。
そのため、派手な動きは慎まなければならない。
もし我々がこの地を離れることになれば、公爵領は親族が継ぐか、王家に接収されるだろう。
そのとき、新しい支配体制のもとでも変わらずに暮らせる人々と、そうでない人々とを見極めておく必要がある。
危うくなる人々については、できる限り一緒に連れて行けるよう根回しを進めている。だが、当の本人たちには、そうなるまで事情を話すことはできない。
脱出計画では、まず我々公爵一家が第一便で出発する。
続いて、移住希望の使用人たちが第二便。
それ以外の人々は、第三便で合流する手はずだ。
……用意はするが、第三便など使わずにすむ方がいいに決まっている。
元・側近仲間から、「卒業パーティーで婚約破棄が行われるらしい」という情報が入った。
パーティー会場は、なんと王城――婚約破棄でイスカリーヌが独立国になったら、イオネ姫を隠している術にほころびが出るかもしれない。
イオネ姫の父方の叔父にあたるゼノスと俺も、卒業生を見守る「親族」という名目で出席することにした。
公爵家専用の控え室で待機していたそのとき――精霊魔法が発動された気配を感じた。
空間が、大きく揺らぐ。
無事に婚約破棄できたんだな!
その直後、もう一度、小さめの「揺れ」が走った。
……結界が壊れたに違いない!
「今だ!」
俺たちはすぐに控え室を飛び出し、森へと走り出す。
これまで不自然に進めなかった小道を、まっすぐ駆け抜けることができる。
――そして、ようやく見つけた。
木々に隠れるように建つ、小さな民家のような建物を。
ゼノスが緊張の面持ちで扉をノックする。
ゆっくりと扉が開き、怯えた表情のイオネがそっと顔を出した。
一瞬、沈黙が流れる。
イオネは状況がうまく飲み込めないようだった。
ゼノスが、そっと囁くように声をかけた。
「イオネ……叔父さんだよ」
その言葉が合図のように、イオネの瞳に涙があふれ、ゼノスも目元をゆるめた。
どちらからともなく、二人は固く抱きしめ合う。
「おじっ、叔父さま……わた、わたくしっ……」
どちらも肩を震わせながら――
静かな嗚咽は、木々のざわめきに紛れていく。
だが、感動に浸っている暇はない。
俺は落ち着かせるように声をかけた。
「家の中に入ったほうが安全だと思う」
姫の後に続いて室内へ足を踏み入れようとして――後ろ姿、その首には、資料で見たことのある首輪がはめられていた。
隷属の首輪だ。
命令に逆らえなくなるものと、指定された範囲から出られなくなるものがあるが……この状況からして、後者だろう。
問題は、その「範囲」がどこまで設定されているか、だ。
ふと、隣の部屋の扉がわずかに開き、子どもが二人、こちらの様子をうかがっているのに気付く。
イオネの子どもだ。他にも姫の乳母子がいて、四人でこの家で暮らしているそうだ。
警戒させないように声をかけ、簡単な自己紹介を交わす。
イオネは戸惑いを隠せない様子だったが、それでも状況を受け止めようと、姫らしい毅然とした態度を取り戻した。
説明は最低限にとどめた。
安心させるのも大切だが、卒業パーティーの様子を確認して、後手に回るのを避けなければならない。
イオネの顔から血の気が引いた。
「……わたくしを理由にして、イスカリーヌが属国にされていたの?」
どうやら、彼女は何も知らされていなかったらしい。
急いで、この家に国王グリムリーが二度と入れないよう、結界を張る。
精霊魔法ほど強力ではないが、俺の魔術結界を破れる人間は、そう多くないはずだ。
イオネの髪を少しもらい、彼女の意にそぐわない者が入ろうとしたらはじかれるような術式を組んだ。
無理に侵入しようとすれば、通常の五倍のダメージを受ける仕掛けも忘れない。
だが、俺が結界を張ったとバレたら、解除を命じられる可能性がある。
それなら、「もともとあった結界の主従が反転した」と説明すればいいだろう。
……さて、魔道士長はこの嘘を見破れるだろうか?
見破れなかったら、俺のほうが上ということになる。
俺は魔術学園に通っていないから、自分の実力がどの程度か、正直よくわからない。
だから、うまく欺せたら──家庭教師たちに感謝を込めて、極上の酒を献上しよう。
さあ、卒業パーティーに乗り込んで、王家のやらかしを暴露しようじゃないか。
次男の視点で見ると、色々と違ってきますね。
父親の公爵は正々堂々、母親は策略を巡らせるタイプです。




