7-5 宴の前の密談
ナイジェル君、王妃の弟に会うの巻き。
帝国の貴族の館が並ぶ一角に、ナイジェルは向かった。
周囲の邸宅の鉄門には家紋が誇らしげに輝いていたが、目指す館はそれらに比べると控えめだった。
門扉は黒く塗られた鉄製で、余計な装飾はない。
玄関前の庭には華やかな花ではなく、常緑樹がきちんと刈り込まれて並び整然とした落ち着きを見せている。
応接室に通されると、ちょび髭の優しげな顔の男が口を開いた。
「私に何かご用でしょうか」
皇妃の弟、オットー・アイヒホルンだ。
「私の姪のコーデリア・ダンブリッジに、貴殿の甥のジークムント・ドラッヘンヴァルト殿下との婚約の話が出ておりますので、ご挨拶をと思い、まかり越しました」
「ほっほ、近いような遠いような関係ですな」
本音を言わなければ、のらりくらりと躱されてしまいそうな雰囲気だ。
「ジークムント殿下は後ろ盾もなく、ダンブリッジ家の威光も帝国には届きません。姪が移住する前に、安全な環境を作ってやりたいと考えております」
「ほう……ご親族としては、当然の心配ですな」
「貴殿のご協力を仰ぐことは可能でしょうか?」
「……皇女も私にとって姪ですが」
ジークムントを排除しようとしている勢力が皇女だと、あっさりと明かす。
ナイジェルはもう少し駆け引きが必要かと思っていたので、驚いた。
「ですが、皇女が皇太女に任命されるのを阻止したのは、あなたでは?」
「どうして、そのように思われましたか?
私なぞ、皇妃の弟と言うだけの、うだつの上がらぬ男ですよ」
懐からハンカチで額を押さえて「まいりましたな」と笑いながらも、目は笑っていない。
「そのように演じている……と、お見受けしました」
オットーが「ほう」と小さくつぶやき、目を細める。
ナイジェルは自分の推理を並べた。
皇妃は、長年あの皇帝の隣にいる。離宮に幽閉もされず、離婚もされず。
愛人はいるが、入れ替わりが激しい。一時、社交界に君臨するが、皇帝の不興を買ってその座を追われる者が多い。
それを考えただけでも、充分、ただ者ではないと察せられる。
皇女と二十歳も年の離れたジークムントが誕生したとき、皇妃に浮気などの噂は一切立たず、すんなりと正当な皇子だと認められた。
長年お子がいないのだから、不穏な噂が立ってもおかしくない。火のないところに煙を立たせる者がいる貴族社会。
これでは、裏から手を回している者の存在を疑わざるを得ない。
悪魔つきという悪名が定着したにもかかわらず、皇子は排除されることなく生きている。
さらに、第一皇子ということを伏せて、外国に留学した。
外国へ第一皇子の悪評が流れる危険を唱える者たちがいただろう。それを説き伏せた人物がいるのではないか。
留学費用、監視体制、安全確保などを考えると、一定の価値を認められているから経費が計上されたはず。
そのような政治力を持っているのは誰か。
皇妃の交際範囲は狭いので、実家の庇護が大きいのではと推測した。
先日、皇妃に会って、この人自身が動いているのではないと確信した。
侍女も、そこまで立ち回れる人物には見えなかった。
――ここまで言っても、オットーは柔和な顔をして聞いている。
「我が家は皇妃の実家と言うだけの、しがない伯爵家ですよ。
幸いなことに皇帝陛下のご寵愛をいただいて、現在に至っております」
「皇帝陛下はご自分が一番大事というより、ご自身以外はどうなっても構わないお方ではありませんか?
お美しく、己の邪魔をしない皇妃が似つかわしい……だが、この『邪魔をしない』のさじ加減が、案外難しい」
ナイジェルの言葉に、オットーは無言でうなずいた。
「娘の皇女殿下が野心家なのを、頼もしいとはお考えにならず、目障りだと思っていらっしゃるのでは?
ジークムント殿下の留学は、皇女殿下の派閥が国外追放したくて進め、皇帝陛下は皇子に関心がないから認めたという可能性も考えました」
オットーは大きなため息を吐き、にこやかな仮面を外した。
「そうですね。皇帝陛下は、姉が『自慢できる貞淑な皇妃』である限り手放さないでしょう。
だが、姉のことも子どもたちのことも愛しているわけではない。
……ご本人は愛しているおつもりのようだが」
皮肉を言い、くっと嘲笑う。先ほどとは別人のようだった。
ナイジェルも、折り目正しく見える表情を崩した。
ここから、有意義な話し合いが始まるのだ。
指示を出した様子もないのに。侍従がブランデーとシガーを用意した。
ブランデーをバルーン型のスニフターに注ぎ、先ほどより遠く、会話が聞こえない位置まで下がる。
琥珀色の液体が灯りを受けて揺らめいた。
「ところで。ダンブリッジ家が受け入れたと言うことは、ジークムント殿下の状態は精神疾患で……治る見込みがあるということでしょうか?」
オットーは、甥のことを気にかけていたようだ。
「それをお話していませんでしたね。
彼には精霊が見えていた、それだけです」
「えっと、それは……あの、イスカリーヌ国のような?」
どっしりと構えていたオットーが、初めて動揺を見せた。
帝国の人々にとって、得体の知れないおとぎ話のような存在なのだろう。
「そうです。ですから、ジークムント殿下におかしなところはありませんよ。
ただ、こちらでは理解されないでしょうから、できるだけダンブリッジ領で生活できるようにしてさしあげたいのです」
オットーは髭をなでながら、考え込んでしまった。
離れていたところに控えていた侍従から、すっとナッツ類の皿が提供された。
主人の黙考が一段落するまで静かにしているようにという合図だと解釈し、ブランデーを味わうことにする。
侍従がナイジェルの空いたスニフターにブランデーを注ぎ、シガーカッターで葉巻の先をパチンと切った。
シガーをオットーに渡し、先端に火のついたマッチを近づける。オットーが軽く息を吸うと、シガーに火が点いた。
ゆらりと煙が立ち上り、オットーは覚悟を決めたようにナイジェルを見つめた。
「ジークムント殿下は、皇帝になる気持ちはおありか?」
いきなり、すごい話題が飛び出してきた。
ナイジェルは自分自身に、落ち着くように言い聞かせなければならなかった。
「望んではいないけれど、その状況になったら即位する覚悟はしていらっしゃる。
コーデリアもアルビアンス王国の王太子妃になる勉強はしていたし、やっていけるでしょう」
「それなら、現皇帝が崩御するまで生き延びることが最優先ですね。
先の皇帝の血筋を辿るしかないと思っていましたよ」
それは、皇女にも、その子どもにも継がせるつもりはないということだ。
オットーは姉の血筋に配慮する様子がない。
「そんなに皇女殿下はいけませんか?」
「皇女が帝国を継ぐ予定だったとき、王配候補は侵略戦争を水面下で準備し始めました。
彼女は惚れた男の言いなりになる性質なので、止めようとしないんですよ」
淡く煙が立ちのぼる。
「そこで、姉に子どもを作らせました。
愛人の女優が皇帝陛下を手ひどく裏切り、『やはり信用できる貞淑な女でなければ』という雰囲気を作ります。
夫婦で視察に出た先でちょっとした事故があり、ぬかるみを皇帝陛下が皇妃殿下を抱きかかえて越えたという美談が新聞に載りました。
仲の良い皇帝夫妻に、愛すべき第二子が誕生です」
まるで、たいしたことではないように話すが、帝国と登場人物を自在に動かしたということではないか。
「皇子が生まれるとも限らなかったでしょう」
ナイジェルの喉がごくりと鳴った。
「王配候補はプライドがとても高かった。
皇帝陛下に、『子どもの性別はどうあれ、このまま皇太女に立てると約束しろ』と迫りました。
あの皇帝陛下が、臣下の指図を受け入れるはずありません。
即刻、婚約解消です」
オットーは世間話のようにさらりと話す。
「皇女殿下は皇帝陛下の傲慢なところを受け継いでいて、評判は芳しくありませんでした。
当時、婚約者がいる青年たちは急いで婚姻式をあげたものです。
だから、まあ、今の夫は……それなり、なわけですよ。
夫婦の間の子どもに、まともな家庭教師をつけようとしたのですが、すぐクビにされてしまいました」
オットーは苦笑いした。
おそらく、その辺りで皇女たち一家を見限ったのだろう。
「さて、現在の愛人たちに避妊薬を盛るのをやめさせましょう。
子どもができれば、皇女の攻撃対象がそちらに移りますからね」
シガーを細く吐き出す。
「簡単におっしゃいますが、どうやって?」
「執事やメイドの斡旋所を介せばいいのです」
「斡旋所、ですか? 人材を派遣してくれるのですか?」
「長年執事やメイドを務めた人間が人脈を活かしたり、中流階級の未亡人が礼儀正しい若い女性を家庭教師として紹介したりする所ですよ。顔の広い人が、個人的にやっています。
そんな個人業者から相談を受けているんです。
会費制で、トラブルが起きたときに弁護士を紹介したり、横暴な貴族をそっとなだめたりしておりまして」
オットーが皇妃の後ろにいると考えていたが、帝国の裏にいると言っても過言ではないのでは?
思いもかけない組織の存在を知り、ナイジェルはおののいた。
「しっかりした貴族は自分たちの伝手で使用人を確保し、身元調査もしっかりします。
でも、そうでない貴族は外部に頼らざるを得ない。
お茶会や宴など人手が要る折にも、ご利用いただいていますね。
……どんな人間が紛れ込むか、わからないのですよ」
ダンブリッジ家は強力な味方を手に入れた……かも?




