6-8 密偵の悔恨
暴力描写があります。苦手な方はご注意ください。
俺は、ドラッヘンヴァルト帝国の皇女の夫と連絡を取っている。
護衛対象のジークムント皇子の情報を伝えているので……密偵というのかな。
ただ、大人しく留学生として勉強しているので、あまり報告することはなかった。
皇子が留学を終えて、すぐに帰国する予定を変更したときは、久々の臨時収入になると嬉しくなったものだ。
ところが、とんでもない指令を受けた。
――ジークムント殿下を暗殺するという。
帰国前に消えてもらえれば、皇女に疑いは向かないだろう。
アルビアンス王国のせいにしてしまえば、何か賠償が取れるかもしれない。
皇族のいざこざは恐いな。
……俺は少し怪我をするふりをすればいいか。
若くして亡くなる皇子は気の毒だが、そういう世界なんだから仕方ない。
そして、皇子の乗った馬車が襲撃される。
従者がランニングボードに立つなど計算外だ。
馬車の後ろ側に立っているせいで、いち早く怪しい動きに気付き、護衛に警戒を呼びかける。
御者には、馬車を止める役割の男を、そのまま轢くように指示!
おいおいおい。大人しい顔をして、容赦ないな。
当然、騎馬の護衛も迎撃態勢を取る余裕があった。
俺も怪しまれないよう、農民を切り捨てる。おそらく、この近隣で雇ったんだろう。
ところが、相手が本気で俺に斬りかかってきた。農民じゃなく、覆面をしている騎士が。
話が違うだろ!
そっちがその気なら、容赦しない。俺も本気で奴らを倒した。
農民の数だけ敵の方が多かったが、すぐに倒して、対等に。
そこにジークムント殿下が参加して徐々に有利になったが……なんで馬車から出てきちゃってるの?!
守られる立場だけど、これだけ動けたら皇子を辞めても騎士としてやっていけるわ。
と思っていたら、敵の足元が一瞬でぬかるんだ。
隙を見せた相手をすかさず倒す。
下手なことをしゃべられたら困るから、とどめを刺して。
……あ~あ、指令出していたヤツが捕まっちゃった。
しかし、精霊魔法って味方につけたらすごいな。
殿下が奇異に映っていたのも、精霊が見えるせいだったらしい。
皇女の旦那、形成が一気に不利になるかもなぁ。
黒幕である「皇女の夫」は、なんとも中途半端な立場だった。
女帝の夫なら「王配」と名称があるが、そういうものがない。
だから、妻を女帝にすることに固執している。
皇女は皇太女になるために教育され、王配予定者との婚姻目前に……弟の皇子が生まれた。
その婚姻が破談になり、数年後にようやく嫁入り先が決まった頃、その皇子の言動がおかしいと言われ始まる。
まともに育たなかったら、皇太子にできない。
皇女の結婚はそのまま成立したが、二人は皇族に名を連ねることになった。
その流れで、夫の実家は、彼の弟を後継者に指名し直した。
皇女も夫もジークムント皇子の存在に振り回されすぎた。
これで女帝になれなかったら、残るのは「何者でもない」夫婦だ。
それは懸命にしがみつくだろうよ。
お見合いということで辿り着いたダンブリッジ領は、とても平和だった。
今まで陰鬱な顔をすることが多かった皇子も、よく笑うようになる。
このまま、こうして朽ちていくのか。
やるせない思いと同時に、のどかな生活に安らぎを感じる自分がいる。
皇女陣営にいるが、頑健な皇帝は死ぬまで譲位しないだろう。それが何年先になることやら。
いつも苛立っているあの夫婦の手先として、一時の贅沢をするのも……そろそろ潮時かもしれない。
俺は皇子についていこう。
これが最後だと、街で用事を済ませるついでを装って、電報を打った。
ある日、大樹の下に、皇子についている帝国の人間が整列させられた。
ダンブリッジのご令嬢がなにやら唱えると、光の珠がふわふわと飛び始める。
この国に来て、何度か見た不思議な現象だ。
他のみんなの周りを飛んでいるが、俺のところは極端に少ない。
これ、なんかヤバイかも?
冷や汗が背中を伝う。
心臓を鷲掴みにされたようだった。
皇子は深いため息を吐き、悲しそうな目で俺を見た。
何も言われないから、弁明もできない。
俺たちの統率をしている侍従に「何か相談したいことはないか」と、こっそり訊かれた。
何て答えればいい?
皇女の密偵です……って?
どうするのが正解なんだ。
次の日に、帝国へ届け物をする任務を申しつけられた。
護衛が減るのは危険だと抵抗してみたが、「いる方が危険ということもある」と皇子の侍従に言われてしまう。
ああ、バレたのか。おそらく、届けた後に、こちらに戻る命令は出ないだろう。
何も言うことができず、船で帝国に戻り、指示された部署に届け物をした。
その後、皇女の夫に呼び出される。
「お前さぁ、三年も何やってたの。あいつ生きてるんだろう?」
ナイフが飛んできて、太ももに刺さる。
「……申し訳…ござ…」
痛みを堪えながら謝罪する。生暖かいものが足を伝っていく。
「もう、いいよ。能なしは、要らない」
ダスっと、腹に突き刺さる。
がくりと膝を折ったところを蹴られた。
なんで俺、こんなヤツの手先になったんだろう。
ちょっといい酒と女がほしかった程度の……そこに人生をかける価値なんかねぇ。
今ならわかる。
こいつらこそ、「命令」するだけの能なしだ!
「なんか、いい感じに、思い描いたとおりにしろ」って、命令じゃなく丸投げだろう。
情報を集め、作戦を立て、現実に合わせて修正しながら、ちゃんとした命令をする人たちを見た。
そんな世界があることを、知らなかった。
――知りたくなかった。
あのまま、ダンブリッジ領で、みんなと笑って過ごせたら……。
皇子と王国に渡る任務は、割に合わない、ハズレなんかじゃなかった。人生初の当たりだった。
ああ。つまらない不満を溜めて、下手な小遣い稼ぎなんか、するんじゃなかったな……。
侍従に相談できてたら、ちょっと違ってたかも。