「奇遇ですね私もデス」
大人たちが登場。王様は本当に婚約破棄に同意していたのか、否か?
トラウマのフラッシュバックの描写があります。
苦手な方は、申し訳ありませんが、ページを閉じてください。
今年の王立学園の卒業パーティーは、王宮内にあるオーレリア・パレスで開催されている。
王太子の卒業式ということで、例年より豪華なパーティーになっていた。
入り口で入場者の管理をしている侍従が、声をあげた。
「国王陛下、ご入場です」
卒業生たちは一斉に貴族の礼をして、国王を迎えた。
学園でしっかり習っているだけあって、その動きは見事に揃っている。
ぎこちなさが目立つのは、卒業生のパートナーとして入場が許された年少者たちと、ロクサナくらいだった。
「面をあげよ」
満足げな国王の声色。
国王と共に、卒業生の関係者たちも入場していた。
宰相と魔道士長は顔色が悪い。二人は婚約破棄の「慰謝料」の内容が実行されたことに気付いているのだろう。
国王が壇上に立ち、卒業生たちを見下ろした。
「皆、よく励んだ。今日この日に至るまでの努力を、称えよう。
祖国は、諸君の若き力を必要としている」
厳かで、温かな言葉が広間に響いた。生徒たちの胸は、誇らしさで満たされた。
その空気を、断ち切ったのは王太子だった。
「父上、報告がございます!」
王の眉がわずかに動く。
「ロクサナ・サマセット男爵令嬢を、正式な婚約者にいたしました!」
ざわめく空気の中、国王の目に苛立ちがよぎった。
「……式典の最中に言うことではあるまい」
苦言を呈すが、王太子は止らない。
国王の内心は穏やかではなかった。
愛妾を持つのはいいが、婚約者を蔑ろにするのは外聞が悪い。
「愛妾の話など、後にせい」
「正妃の話です!」
「お前が王となる際の正妃は、コーデリアであろうが。お前の不出来を誰に担わせるつもりだ?」
「正妃にはふさわしい者を選びます。コーデリアには、側妃に就いてもらうつもりでした」
王は息を吐き、やや疲れたように言った。
「……そうか。それでは、コーデリア、引き続きよろしく頼む」
しかし、応答はなかった。
かすかに顎をしゃくり、返答を促す。
沈黙のあと、静かに彼女が頭を下げた。
「直答を許されておりませんので」
柔らかい言い回しながら、張りのある声だった。
国王は、コーデリアはこんなにしっかりと話す娘だったかといぶかしく思う。だが、秩序を守るその姿に機嫌を良くした。
「許す。返答せよ」
「側妃の件、お断り申し上げました」
「……なぜだ?」
王の声に、怒りがにじんだ。
公爵夫妻は娘を咎める様子もなく、静かにやり取りを見つめている。
コーデリアは、視線を逸らさずに話す。
「わたくしの父は、国王陛下の幼なじみでございます。
そして、婚約が成立してからも、我が家は王家に忠義を尽くしてまいりました」
王は静かにうなずく。
「今後もそれを期待している」
そのとき、コーデリアの瞳が一瞬だけ細められた。
「これまでの忠誠をお認めいただいた上で、なお、この仕打ちなのでございますね?」
彼女の声は穏やかだったが、会場のあちこちで、貴族たちが小さく息を呑んだ。
この場で、彼女が語ろうとしているのは、国王に向けた返答だけではない。
——忠誠を尽くしても、見返りはない。
——利用され、切り捨てられる姿を、しかと目に焼き付けよ。
コーデリア・ダンブリッジの……いや、公爵家の目的は、中立の立場をとる者たちの目を覚ますことだった。
式典の空気がざわつき始める。
国王は片手を軽く上げて場を制し、壇上に控える学園長へ鋭く問いを投げかけた。
「……ちょっと待て。現在、どういう状況なのだ? 学園長!」
名指しされた学園長は一歩前に進み、深々と頭を下げた。
「恐れながら申し上げます。
王太子殿下とコーデリア・ダンブリッジ公爵令嬢との婚約は、すでに破棄されました。
そして……ロクサナ・サマセット男爵令嬢が妊娠中であり、お相手は王太子殿下だと……」
国王が学園長の返答を遮った。
「婚約破棄だと?!」
息をのむような静寂が広間を包む。
王太子は、国王が認めたと言っていなかったか? どういうことだ?
その中で、王太子が一歩前に出る。
その顔には、輝かしい未来を夢見ているような、場違いな力強さがあった。
「ロクサナを迎えてもよいとおっしゃったのは父上です。
それならば誠意を持って、コーデリアとの婚約を破棄し、新たに——」
国王の表情が凍りつく。
「——有責はどちらだ?」
国王の声が食い気味に問う。余裕がなく、焦りが感じ取れた。
王太子はわずかに眉をひそめながらも、言い淀まず答える。
「コーデリアに責任があるとし、ただいま、この場で糾弾を——」
「……ああ、それで冤罪をかけようとしていたのねぇ」
コーデリアはひそやかに、だが皮肉を込めてつぶやいた。
国王はその言葉を聞いた瞬間、額に手を当て、深くため息をついた。
そして、次の瞬間——
「根回しもせずに、お前はバカか!!」
雷鳴のような一喝が、国王の口から放たれた。
空気が震える。静まりかえるパーティ会場。
誰もが口を閉ざし、ただ国王の怒りだけが反響している。
グラスの中で溶けた氷が、カランと音を立てた。
会場に重苦しい沈黙が落ちたそのとき、ひとりの人物がおずおずと歩み出た。
魔道士長である老人が、僅かに縮こまるような姿勢で声を発した。
「こ、婚約破棄は……王太子殿下のご有責で、すでに成立しているのではありませんか?
あの……術が、発動されている様子で……」
国王の眉がぴくりと動く。
「それは誠か? アーチー、答えよ!」
指名された王太子は、咄嗟に言葉を探しながら、背後に控える側近たちを見やった。
だが誰も状況を理解していないため、静かに首を横に振るばかり。
その視線が、涼しげに立つコーデリアを捉えた。
淑女の笑みで答える。
「先ほど、署名なさったでしょう?」
「……っ、騙したな!」
声を荒げた王太子に、コーデリアは肩をすくめた。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないで。殿下のご要望にお応えしただけですもの。
無理強いなど、いたしませんでしたわよ……ねぇ?」
そう言って会場を振り返る。
それを受けて、コーデリアの友人たちがしっかり頷いた。その動きは少しずつ広まっていき、会場中がコーデリアの味方をした。
王の視線が宙をさまよい、徐々に一点へと定まっていく。
「……ということは……」
その続きを、冷静な宰相の声が淡々と告げた。
「——属国イスカリーヌが独立を果たした、ということになりますな」
どよめきが走る。
もはや、ただの婚約破棄ではない。
王国の版図が一つ減った、ということだ。
コーデリアは会場を見渡し、少し口元を引き締めて、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「皆さま、どうか誤解なさらないでいただきたいのです。
この一件は、決してわたくしや公爵家の一方的な策略ではございません」
その声はよく通り、広間の隅々までしっかり届いた。
「婚約に際し、双方の合意のもとで交わされた条項でございます。
婚約破棄となった場合——」
彼女は一拍置いて、王太子アーサーをまっすぐに見た。
「——有責が王太子殿下にあるときは、属国イスカリーヌの独立を認めること。
逆に、わたくしに非があるとされた場合には、ダンブリッジ公爵家が所有する育馬産業を、まるごと王家に譲渡すること。
そういう、取り決めです」
ざわめく会場に、彼女はゆっくりと続ける。
「これは、万が一に備えた、対等で正式な契約です。
……ですから、これは『罠』などではありません」
そう言う彼女の背を守るように、ダンブリッジ公爵夫妻が寄り添った。
アルビアンスの国王グリムリーと、ゴドリック・ダンブリッジ公爵。
二人は幼い頃からの付き合いではあったが、そこには歪な主従関係があった。
ゴドリック——コーデリアの父は、文武に優れ、誰もが一目置く人物であったが、国王からの頼みを断ることだけはできなかった。
ゴドリックは幼いころから、「友達ならやってくれるだろう」とグリムリーに口癖のように言われてきた。
それは「友情」を盾にした命令で、断ることが許されなかった。
逆らえば罵られ、暴力を振るわれる——そんな経験を繰り返すうちに、「嫌」と言えなくなってしまった。
その影響で、成長しても、グリムリーの前に出ると思考が止まるようになっていた。
頭のどこかでおかしいと感じていても、ただ頷くことしかできない。
公爵にとって「拒むこと」は、公爵家を潰される恐怖に結びつけられた。
それが改善するきっかけは、二人の幼なじみであるクラリッサが、ゴドリックの婚約者となったことで訪れた。
まず彼女が取り組んだのは、ゴドリックの凍りついた感情を引き出すこと。
「なんとも思っていない」と平然と繰り返す彼に、クラリッサはそっと寄り添い、問いかけた。
「本当にそう? 悲しいとか、怒りたいって思わなかった?」
そうして少しずつ、押し込められた感情に名前をつける手助けをしていった。
次に彼女が教えたのは、「誰かに相談してもいい」ということだった。
ゴドリックは幼い頃から、両親に「王族には逆らうな」と躾けられている。
そのため、悩みを打ち明けるという発想すら、持てずにいた。
クラリッサは言った。「相談する相手をちゃんと選べば、聞いてもらえるわ」と。
そして、自分の両親とゴドリックが一緒にお茶をしたり、夕食を取る時間をたくさん設けた。
子どもには思いつかない解決方法、大人の経済力で得られる機会、それらはゴドリックの視野を広げてくれる。
小さな信頼の積み重ねが、ゴドリックの心に少しずつ変化をもたらしていった。
だから、王太子とコーデリアの縁談も、きちんと断ることができた。
公爵家に利はないうえに、娘が王太子を嫌っていたから。
領地にいる時間を長くして距離を置いているのに、姻戚になったら会う機会が増えるではないか。
だが——ゴドリックは王宮に呼び出された。
幼いころに痛めつけられた部屋で、四時間以上も膝詰めで直談判を受ける。
クラリッサがいたら王妃に助けを求めることができたが、不在時を狙われた。
軟禁のような状態でも、公爵家の使用人たちには手が出せない。
ゴドリックの精神はクラリッサと婚約する前の状態に戻ってしまい、意識がもうろうとする中で了承してしまった。
数日経つ頃に「恐かった」「悔しい」とようやく泣けるようになり、コーデリアにひたすら謝り続ける。
コーデリアは父を励まそうと、「イスカリーヌのことを調べるいい機会では?」と言ったのだ。
その場の思いつきだが、クラリッサと兄たちも賛成した。
公爵家は国王グリムリーを敵と認定する。
婚約者に許される範囲でイスカリーヌが属国になった裏を調べ、婚姻式の前に婚約を潰そう!
それが、最初から掲げられていた目的だ。
つまり「お前を愛することはない」と言われたところで、コーデリアにとっては「お互い様ですね」と思っただけ。
むしろ、男爵令嬢に手を出してくれて、話が早いと感謝さえした。
当時、婚約誓約書に親として署名するとき、公爵夫妻は、ささやかな抵抗を示した。
「婚約が破談となった場合は、イスカリーヌの独立を認めること」——この条項を盛り込むよう要請したのだ。
あまりにも大胆な要求だった。
これほどの条件を提示すれば、さすがに王家は二の足を踏むかもしれない——そう、公爵はわずかな望みを託した。
だがその願いは叶わなかった。
国王は、笑って承諾したのである。
「我々の『友情』が破棄されることはないさ」と。
そして、そう言いながら、逆の場合は馬を寄越せと主張した。
ところで、なぜイスカリーヌ国のことを盛り込んだのか。
それは、ダンブリッジ家と、かの国は血縁関係にあるからだ。
イスカリーヌは小さな島国である。数代前に何番目かの王子が、ダンブリッジ家に婿入りしている。
二十年くらい前、ある事を契機にアルビアンス王国の属国とされ、事実上の従属を強いられるようになった。
その経緯は、ダンブリッジ公爵家でも把握しきれていない。
イスカリーヌ国からの問い合わせに「わからなくて申し訳ない」と返答してから、細々とやり取りが続いている。
「もうすぐ鉄道事業が始まるというのに、今さら馬でもあるまい」
王太子アーサーが軽薄な笑みを浮かべ、王へ視線を向ける。
「ね、父上。そうですよね?」
国王は曖昧にうなずいたが、その目はコーデリアに注がれたままだ。
どうやって婚約を戻し、イスカリーヌを属国に戻そうかと思考を巡らせているに違いない。
路線の構想や地質調査は終わっているが、すぐに工事に着手しても開業まで、おそらく十年はかかる。
しかも、それはトンネル工事を含まない見積もりだ。
移動手段として、しばらくは馬が主流のままだろう。
さらに、ダンブリッジ公爵家が誇る蹄鉄の加工技術は、魔導機関車の一部にも応用できるとされている。国王は以前よりは公爵を軽んじているが、関係の維持を望んでいた。
その場にいる人々は、話の流れが読めないまま、固唾をのんで見守るしかない。
国王の発言を待つ沈黙の中で、想定外の人物が声を上げた。
「そうですよ、王様!」
サマセット男爵令嬢ロクサナが、満面の笑みで身を乗り出す。
「サマセット家にどーんとお任せあれ!」
あまりに無遠慮な口ぶりに、親である男爵は驚いた。
だが、下位貴族の身では、この場で高位貴族を押しのけて娘のところに駆けつけることもできない。
鉄道の路線構想がまとまり、いずれのルートもサマセット領を通ることが判明している。
だから、国王は王太子が学園でロクサナと親しくするのを黙認したのだ。
寵妃に迎えれば、鉄道敷設の用地を安く融通してくれるかもしれない。
そのうえ、事業が軌道に乗ったら、利益の一部を親族として得ることもできるだろう——そんな皮算用だった。
そうと決まれば、ダンブリッジ公爵家の次男を王太子の側近から外し、男爵令嬢との仲を邪魔させない__。
側近から外したことも、男爵令嬢を王太子のそばに置いていることも、公爵からとくに抗議はなかったから……すべてが、順調に進んでいると思っていたのだ。
「サマセット男爵令嬢。国王陛下の許可なく、直答してはいけませんよ」
コーデリアの声は、その混乱した場の空気を凛と引き締めた。
ロクサナは怒りを露わに、噛みつくように言い返す。
「うるさいわね! 捨てられた女が偉そうに!」
そして——
目についたテーブルの上のグラス。誰かの飲みかけのワインを手に取ると、ためらいもなく、コーデリアの胸元へとぶちまけた。
赤い液体がドレスに広がり、したたり落ちる。
見ていた女性たちから悲鳴が上がった。
「——ざまあみろ!」
ロクサナの勝ち誇った声が、耳に突き刺さる。
その傲慢な笑みの裏には、「私は王妃になる女」という自負が透けて見えた。
……だが、これが王太子妃に? いずれ、王妃に?
人々の胸に不安が渦巻いた。
王太子を含めた四人は顔面蒼白だ。
いじめから助けてあげないといけない、可憐な天使?
婚約者たちからの忠告を、醜い嫉妬と退けたのは……間違っていたのは自分たちの方か?
もしかしたら、ドレスを汚されるかもしれない——その可能性もコーデリアは考えていた。
けれど、実際にやられてみると、想像以上にショックで……屈辱的だった。
わざと野暮ったく見えるデザインを選んだけれども、縫い子が後で手直ししてくれる約束をしていた。
準備のときに感じたときめきや、侍女たちの心づくしまで踏みにじられたようで、胸が痛む。
友人たちがハンカチで拭いてくれようとするが、お互いに膨らんだスカートではうまく動けない。
そこに颯爽と切り込んできたのは、一人の青年だった。
今日、卒業した、帝国からの留学生——ジークムント・ドラッヘンヴァルト。
彼は人々の視線を気にすることなく、コーデリアへと歩み寄る。
「ドレスをお召し替えになる必要がありそうですね、ダンブリッジ公爵令嬢」
丁寧に一礼すると、微笑んで続けた。
「——公爵家の控え室に、エスコートさせていただいても?」
「……ええ。ありがとう存じます、ドラッヘンヴァルト様」
コーデリアは彼の服を汚さないよう気をつけながら、差し出された腕に手を添えた。
馬鹿息子とクズ王は、お互い都合のいいように解釈するので、すれ違いが発生していました。