3-2 奪い返した国
「独立できるぞ、やっほー」じゃ、すまないよね……というお話です。
ダンブリッジ公爵家のコーデリアが王立学園を卒業する年。
その卒業パーティーで事態が動くかもしれないと聞き、私ゼノスは遠い親戚として出席することにした。
事態が動く――それは、王太子有責の婚約破棄により、イスカリーヌ国の主権を取り戻す精霊魔法が発動するということ。
(実際には、精霊魔法と魔術の混合技)
公爵家専用の控え室で、「婚約破棄」の瞬間を待つ。
――本当に、一国の王太子が、婚約者をさらし者にして婚約を破棄するだろうか?
そこまで王族としての自覚が欠けた者など、いるはずがない……。
期待と疑念が、胸の内で荒れ狂う。
ソファに腰掛けていた公爵家次男のアルベリックも、窓の外に何度も視線を走らせ、落ち着かない様子だ。
空気の層に重なっている精霊層が、突風にあおられた布のようにぶわりと波打った。――大規模な精霊魔法が発動したのだ。
一拍遅れて、小さく鋭い衝撃波が走る。
精霊魔法と何かが混じった術が、パリンと裂けて消えた気配。
その禍々しい気配に、背筋を冷たいものが走る。
「行きましょう。こちらです」
低い声で告げるアルベリックにうながされ、私たちは王宮の森へ向かう。
森の小道は、昼なお薄暗い。枝葉が空を覆い、風はほとんど届かない。
かつては整備されていたであろう石畳の上に、湿った土と枯れ葉が重なり合い、靴底をじわりと押し返す。
――愛人を隠すような、こんな屈辱的な扱いを……!
怒りで喉がひりつく。
私たちは落ち葉を蹴散らしながら、駆け抜けた。
そこで――私はついに、イオネと再会を果たした。
無事だった!
だが、こんなに怯える顔を見せる子ではなかった。
そして、彼女が私の前でこんなふうに泣くのは、初めてだ……。
十二年の歳月は、少女を女性へと変えていた。
傍らには、利発そうな瞳をした幼い子が二人。
そして、イオネの乳兄弟は、まだ若いはずなのに年齢以上に老け込んで見えた。
どれほどの苦難と恐怖があったのか――想像するだけで、胸が痛くなる。
そして、他の侍女や護衛たちはイオネを守るために闘い、とうの昔に命を落としていた……。
アルベリックの話によると――イスカリーヌが独立国に戻ったことで、この家を隠していた結界が維持できなくなったのだろうとのこと。
「属国の人間」から「他国の王族」に立場が変わり、結界の保持に必要な精霊力と魔力量が跳ね上がった。
それを満たすことができなくなり、結界は自ら崩壊したのだ。
アルベリックはすぐさま、イオネの家(家などと呼びたくはないが)に新たな結界を張ってくれた。
イオネの髪を媒介に、彼女が許可した者だけが入れるように。
つまり――あの男は、二度と足を踏み入れられない!
こうしてみると魔術も、なかなか侮れないものだと感心した。
精霊魔法でこれほどの強度の結界を張るなら、数日の準備が必要だろう。
それにしても――愛人どころか、奴隷として扱うとは。
これは国際問題にして、必ず糾弾してやると心に誓って、我々は卒業パーティに向かった。
そのパーティーで国王はイオネへの犯罪が露見し、牢屋に入れられた。
翌日には王妃が国王代理となる。
憎い元凶を排除して、希望が見えてきた――そう思ったのだが……。
イスカリーヌに魔道通話で連絡をした。
雑音混じりで聞き取りにくいが、それでも海の向こうの声が届く。
すぐに独立を察知した巫王は、国中の巫女を集め、何やら儀式を始めたそうだ。
その夜から、イスカリーヌで異変が起きる。
街中に虫が溢れ、人々に群がったのだ。噛まれて腫れ上がる者も多く、容赦のない攻撃に人々は悲鳴を上げた。
だが、まったく襲われない者もいる。
やがて、それが「巫王に害意を持つ者」かどうかで分かれているのでは、と囁かれ始める。
翌日には、そうした者たちの家や職場の外壁が崩れた。こんな状況で、身を守るための壁を奪われる恐怖は計り知れない。
虫の発生から二日後、アルビアンス王国の外交官や横暴な商人たちが次々と王国へ逃げ帰った。
我が国の文化に敬意を払い、この地に根を下ろした者は、そのまま滞在を許されたようだ。
一方で、イスカリーヌ人であっても精霊を否定する者は容赦なく襲われた。
イオネの視察を計画した前巫王の弟も、その一人だった。
彼は精霊力が弱かったため、前巫王は別の生き方を見つけろと帝国に留学させた。
帝国は魔術が盛んで、精霊魔法を使えない者が国を支えている。
そこで彼は「精霊魔法は不要だ」と考え、巫王制度そのものを否定しようとした。
姉が巫王になったが本人には手出しできず、代わりに後継者を人質に取り、制度の根幹を揺さぶろうとしたのだ。
今回、改めて知ったのだが、精霊王が守るのは「巫王」のみ。
後継者を犠牲にしても巫王の安全を優先する――そんなことが平気でできてしまうのは、人の心を持たぬ存在だからだろう。
その冷酷さに、精霊と距離を取ろうとする意見に一理を感じなくもない。
だが、彼のやり口は卑劣であったし、今やただの売国奴だ。
その後、巫王の弟と派閥の数名は行方不明となった。
大人しく縛に就けば生き延びられたかもしれないのに、街から出て森に潜もうとしたのが運の尽きだ。
――誰も捜そうとはしない。
精霊の怒りを買った者が生きて戻れるほど、森の中は甘い世界ではないのだから。
この島国でも、精霊を敬わない者は少しずつ増えてきていた。
巫王と精霊王は、それらを一掃する機会を十二年かけて狙っていたのではないか――そう思うのは不敬だろうか。
人間にとっては長い時間だが、精霊にとっては一瞬なのだろうと……。
やがて独立のことが知れたら、国際会議が開かれ、アルビアンス国王の罪とイスカリーヌの独立が議題に登るだろう。
だが、精霊魔法を知らぬ国々に、この事実をどう伝えればいいのか。
そして、無関係でありながら、この機会を利用しようと牙を研ぐ諸外国とも戦わねばならない。
それらについて、兄は頭を悩ませている。
妻である巫王は人間界の機微に疎いため、兄が主体となって対策を立てるのだ。
だが――今度こそ娘を守るために闘えると、張りきっているのが、魔道通話越しに伝わってきた。
人間中心の国から見ると、精霊中心の国は「野蛮な未開の国」に見えるかもしれません。
でも、うまくつきあえば、すごいことができるんですよ……異文化交流は敬意を持ってしたいですね。