2-3 二日目の馬車旅
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翌朝早く、ジークムント皇子の馬車と護衛たちはひっそりと宿場町を出立した。
皇子の荷物を積んだ荷馬車はダンブリッジご一行と後から行くことにしたため、これから出発するのは最小限の人数となる。
後続車を気にしないですむ分、早く進めるのだ。
見送りに来たのは、嫡男の補佐役とコーデリアの侍女だけだった。
侍女は傭兵たちの筋肉質な体型に合わせるため、領民の中にいた仕立師を呼び、共に徹夜で服を仕立て直したという。眠そうな表情を隠せないまま、軽く笑って「準備できました」と告げる。
その姿にコーデリアは、先の見えない不安の中でも力を尽くしてくれる人々の存在に、心から感謝した。
馬車が静かに揺れる中、コーデリアは向かいに座るジークムント皇子に視線を向けた。
それに気付いたジークムントは王族スマイルを向ける。
「今朝は少し肌寒いですね。膝掛けなどが必要でしたら、遠慮なくおっしゃってください」
クラリッサは「そのときは遠慮なく」と微笑んだ。
「わたくしの侍女を乗せていただき、心より感謝いたします。
そのせいで、皇子殿下の従者を後ろのランニングボードに立たせてしまい……申し訳ありませんわ」
「いえ、私も小言を言われずにすむので、問題ありませんよ」
「まあ、ふふふ」
一見、和やかなやりとりが交わされる。
「……求婚の件、そろそろ説明していただけますぅ?」
コーデリアはおっとりして見えるが、以外と気が短い。
この件をはっきりさせないと落ち着かないと思い、切り出した。
ジークムントは軽く息を吐き、窓の外へ一瞬目をやった。
「先に、私の事情からお話しましょう。
――こちらのアルビアンス王国と違い、ドラッヘンヴァルト帝国では幼少期に婚約者を決めなくなってきています。
それでもある程度は候補者がいるものですが……私は立太子されるか不明なので、近寄ってくる者がおりません」
ジークフリートはこちらがその情報を知っているか、探るように二人の反応を見る。
ダンブリッジ家は政治の中枢に近いため、ある程度のことは知っている。
「年の離れた王女殿下がいらっしゃいますね。
……優秀で、有力な王太女候補とうかがっていますわ。婿を取り、王籍のまま。すでにお子様もいらっしゃる」
クラリッサは慎重に答えた。
「よくご存じですね。
男子優先ですが女子にも継承権があるので、継承順位一位は私、二位が姉、そして姉の子ども……と続きます。
ですが、未だに私は立太子されていません」
こうして話していても問題がある人物には見えないが、逆に、王位に相応しくない何かがあるのではと疑念がつきまとう。
コーデリアは、それは一体何だろうと、とても気になってきた。
じっーと見つめるコーデリアから視線を外し、ため息を吐いてから、ジークムントは正面に向き直った。
「私は、母国では『悪魔付き』と言われているのです」
あまりにも意外な言葉が出てきて、いつもは沈着冷静な侍女が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
クラリッサに目で咎められ、すぐにジークムントに謝罪する。
ジークムントは侍女の反応はあまり気にしておらず、コーデリアの瞳を意味ありげに覗き込む。
(ふふ、驚くわけないわよねぇ)コーデリアはおかしくなった
「あなたも精霊魔法を使える、ということかしら?」
ドラッヘンヴァルト帝国のある大陸では、数百年前に魔女狩りが行われた。
理論的に説明できる魔術と違い、理屈で説明できない精霊魔法の使い手が「悪魔の手先」として迫害されたのである。
「……はい。アルビアンスに留学して、ようやく自分の力が精霊魔法だと確信が持てました。
私の場合は奇妙なものが『見える』だけです。何かを操れるわけでもなく、ただ気味悪がられるばかりでした」
「どのように見えますの?」
コーデリアは、思わず身を乗り出した。
ジークムントは一瞬、何を聞かれているのか分からない様子で首をかしげる。
「わたくしは精霊様を見ることはできません。呪文で呼び寄せ、存在を感じたら呪文を唱える……それだけです。
応じていただけなければ、その時は使えません。とても気まぐれなものなのです」
「そうなのですか!
あなたが卒業パーティーで出していた、小さく光るふわふわしたもの……ああいう感じで、今も見えていますよ」
「まあ、そうなの? わたくしには呪文を唱えた時しか見えないのに。……いつもあの姿でいらっしゃるのねぇ」
実は、呪文には二種類ある。
どの精霊にも通じるものと、特定の精霊にしか反応しないものだ。
特定の精霊向けの呪文は、ジークフリートの目があれば、唱える前に使えるか否かがわかるようになるだろう。
卒業パーティーで魔道士長の愛弟子に「まだ、習っていないのか」と言ったのは、魔術と精霊魔法の区別がつくかを試すため。その結果、コーデリアの精霊魔法を魔術だと勘違いしていることがわかった。
また、公爵家の次男が国王に「水の精霊へ祈りを捧げる場への扉は、土の精霊の国の人間には開けない」と告げたのは嘘だーー国王のイオネへの執着を断ち切るために。
クラリッサは精霊談義で盛り上がる若者たちの会話の邪魔にならぬよう、静かに気配を消していた。
だが、いつまで経っても終わりそうにないので、ついに口をはさむ。
「それで、何をして『悪魔付き』と呼ばれるように?」
ジークムントははっとして、少し顔を赤らめた。
「失礼しました。
……精霊は様々な色をしていますが、中には濁った色の精霊もいます。
さらに、少し腐った匂いを放つ精霊は、死の直前に現れるのです。
その意味を知らなかった子どもの頃、私は『あの人、なんか変だよ』と何度か口にしてしまいまして……」
……あぁ~、という空気が馬車の中に漂った。
皇子に「変だ」と言われた人たちが、相次いで亡くなるのだ。
それでは確かに、人々が遠ざかるのも無理はない。
「それが起きたのは、姉が結婚と共に王籍を抜ける直前のことでした。
私が王位を継げない場合に備えて、急きょ、姉は結婚後も王籍に残ることになり――その状態が今も続いております」
コーデリアは思わず彼の顔を見つめる。アルビアンス王国であれば尊ばれる資質が、ドラッヘンヴァルト帝国では得体の知れないものと見なされ、王位継承の道が危うくなってしまう。
理解してくれる者もなく、彼は長い孤独に耐えてきたのだろう。
期待に応えようと努力していた時間が、突然無意味なものになる――その絶望を、彼は幼い頃に味わったというのか。
コーデリアは、気づけば先日の自分と重ねていた。
自ら婚約破棄されるよう仕向けたとはいえ、まったく傷つかなかったわけではないのだ。
「だから、私は必ずしも皇太子になれる立場ではないのです」
コーデリアは少し唇をとがらせ憮然とした面持ちで言った。
「別に、王妃になりたいわけではありませんわ」
その言葉に、ジークムントはわずかに目を見張った後で、安堵の色を浮かべた。
クラリッサは母として、色々と訊きたいことがあった。
「コーデリアのことは、どう思っていらっしゃったの?」
同級生ではあっても、あまり交流があったようには見えない。
なぜ糾弾されている最中に、彼女へ手を差し伸べたのか――当然の疑問だろう。
コーデリアは真っ赤になって、とっさにうつむき、上目遣いでジークムントを盗み見る。
ジークムントは少し言いにくそうに眉を下げた。
「正直に申し上げますと……『元の造形はともかく、自分の魅力を引き出す努力をしていない、怠惰な令嬢』だと思っていました」
コーデリアはなんとも言えない顔をした。
確かに、そうしていたのは自分だ。
「ですが、少人数で討議する授業で印象が変わりました」
危機管理を学ぶ授業――「疫病発生」「食糧不足」「侵入者発見」など、想定された事態への対応策を考える場だ。
そこで、教師が示した「疫病発生の状況」に、コーデリアが真っ向から異議を唱えたのだ。
「おっとりしていて、王太子の浮気にも対処できないお人形さんだとばかり思っていたので……あのときは、とても驚いたんですよ」
「だって……発生して二人目で気付くなんて、現実的じゃないですわ」
コーデリアははっきりと言い、隣のクラリッサに同意を求める。
「ある程度の人数になって、ようやくおかしいなと気付くはずですよ、ねぇ?」
「あら、あなた領内で発生したときのこと、覚えているの?」
「五歳ですもの。記憶にありますわぁ」
クラリッサが皇子に向かって、説明した。
「この国は精霊信仰が元になっているのですが、近年ではそれを否定する人もいるのです。
否定的な領から嫁いできた女性が我が領の精霊を怒らせて、疫病が流行ってしまったの。気付いたのは、その村の半数が罹患したころ。
最初の数人はただの風邪だと思っていて、接触した人からどんどん広がってしまったのよ」
「……その経験を、ちゃんと活かそうとしていたのですね」
皇子は口元に笑みを浮かべた。
「一昨日から美しさを隠さなくなりましたが、もう、『お人形さん』なんて二度と言えませんね」
「当たり前ですわぁ」
コーデリアはにっこりと満足げに笑った。
クラリッサが真面目な顔に戻る。
「いい機会なので説明しますね。
こういう場合、対処は大きく二つに分かれます。
精霊様を改めて大切にしようとするか――あるいは、精霊は害をなす存在だと祠を壊すか」
「……壊しても大丈夫なのですか?」
「大丈夫ではありませんね……被害が目に見えて出る場合もあれば、気付かないくらい緩やか衰えていく場合もあります。
精霊様に礼を尽くして縁を切れば、被害は出さずにすみますが……そこまで理解している人は、たいてい精霊様を大事にしますね」
「とても興味深いお話です。もっとたくさん、教えていただきたい」
ジークムントの輝くような笑顔と共に、話題は再び精霊の話へと戻っていった。
その日の夜。
宿の部屋でクラリッサは、侍女に髪を解いてもらいながら、鏡越しにコーデリアに視線を向けた。
「……それで、あの皇子のこと、どう思っているの?」
突然の問いに、コーデリアはベッドの上で背筋を伸ばす。
言葉を選びながら、ぽつりぽつりと答えた。
「悪い人じゃないと思います。……悪い話でもないのでしょう。
でも……好きだから申し込んだと言われなかったのが、ちょっと……」
吐き出した瞬間、自分でも驚く。
胸の奥に引っかかっていた小さな棘が、形を表したようだった。
「このタイミングで『愛している』なんて言われても、信じられませんけど。
もちろん、人として認めてもらえたのは、とても光栄ですわ……」
指先をもてあそびながら、視線を落とす。
「……自分の気持ちが、よくわからないのです」
クラリッサは、しばらく娘を見つめていたが、やがて微笑んだ。
「いいのよ。自分の気持ちと向き合って、しっかり考えなさい」
どちらも、恋愛に慣れているようには見えないし、情熱的な恋愛が全てではないから・・・
そのまま灯りを落とし、二人は寝台へと身を横たえる。
薄暗い部屋に、宿場町のざわめきがかすかに流れ込んできた。
コーデリアは、胸の奥にもやもやしたものを感じながら、目を閉じた。
「ずっと愛していました!」というスパダリでは、ありませんでした。すみません。