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お前を愛することはない、私もなのでお構いなく  作者: 紡里
第一章 卒業パーティーとそれから一年後
11/54

王太子宮に芽吹いた復讐の種

性暴力および暴力的な描写があります。

苦手な方は申し訳ありませんが、ページを閉じてください。

 アルベリックは、王宮にあるダンブリッジ公爵家専用の控え室で仮眠を取っていた。


 父と母は、王妃主導の会議に出席している。

 卒業パーティーの混乱を受けて、急きょ招集された会議で、参加しているのはごく一部の重鎮と関係者のみ。

 そのため、この一角はひどく静かだった。

 控え室を使っているのも、今は我が家くらいのようだ。




 突然、廊下を走る足音が聞こえた。

 王宮で駆け足になるなど、尋常ではない。


 廊下の様子をうかがった護衛によると、宰相の嫡男と、王宮の侍従だという。


 何事かと廊下に出たら、嫡男が駆け寄ってきて、声を潜めて告げた。

「妹君を助けに行くぞ」


 ――なんだと?!


 私たちがいる政務を行う太陽宮から、中庭を突っ切って王太子宮へと向かう。

 妹は王太子宮の客室を与えられており、今日は部屋を引き払う準備をして、そのまま泊まっているはずだ。


 一体何が起きているんだ……ある可能性が頭をよぎるが、即座に否定する。

 まさか、いくらなんでも、そんな……。


 俺は父の護衛の一人を連れて、急ぎ後を追った。



 ――嫌な予感は当たるものだ。



 とち狂った王太子が、妹の部屋に押しかけ、既成事実を作ろうとしている――だと?

 なんと下劣な!

 恥を知れ、王太子! 

 貴様は、可愛い妹をなんだと思っているんだ?




 王太子の側近だった宰相の次男は、現在、自宅で謹慎中。

 その父である宰相本人は、すでに貴族牢に収監されている。


 だが、その前に宰相は、王太子がこれ以上愚かな行動を起こさぬよう、嫡男に見張りを命じていた。

 嫡男は弟の私物を整理するふりをして、王太子の側近の部屋に入り込み、動向をうかがっていた。

 しばらくして、王太子は愛人の男爵令嬢とともに寝室に籠もったため、嫡男は安心し、しばし休憩を取ることにした。



 休憩を終えて戻ろうとしたとき、廊下を歩く王太子の背中が目に入った。


 だが、王太子の護衛騎士は動かず、部屋の前に立ったままだ。彼に付いていこうとする気配がまるでない。

 ――これは、様子がおかしい。


 気配を殺して後を追うと、王太子はなんと、コーデリアが滞在している客室へと向かったのだった。


 扉は内側から鍵がかけられ、中では王太子とコーデリアが激しく言い争う声が聞こえていた。



 どうやら王太子は、コーデリアともう一度婚約できれば、これまでの過ちも帳消しになると思い込んでいるらしい。


 状況を察した嫡男は、信頼できる真面目な侍従に相談し、侍従長にも知らせず、密かに客室の鍵を持ち出した。

 ――そして今、私たちはその鍵を携えて、現場へと急いでいるというわけだ。



「あの男の頭は飾りなのか? 少しでも考える能力があったら、そんな結論にならんだろう!」

「……卒業パーティーでの、やりとりを、理解、できなかったのでは? すみま……せ、私、ちょっ、運動は……」

「後から来てくれっ」

 俺と侍従で先行することにした。



 一刻も早く駆けつけたい……ああ、精霊魔法さえ使えれば、こんな距離など一瞬で制圧できるのに。


 王太子宮の使用人の裏口から静かに侵入し、荒い息が漏れないよう、必死に呼吸を抑える。

 侍従がそっと鍵を開けると――


 そこには、コーデリアに馬乗りになった王太子の姿があった!


 即座に魔術を放つ。

 空気を圧縮して作った見えない弾丸が、王太子の身体をはじき飛ばし、ベッドから床へと転がり落とす。

 さらに追撃として、麻痺の呪文をかけ、奴の動きを完全に封じた。


 まだズボンを脱いでいない状態で、本当によかった。



 妹は、助かったという安堵と、こんな無惨な姿を見られた羞恥、そして先ほどまで味わっていた恐怖と混乱で、身動きひとつできずにいた。

 一足遅れて駆けつけた嫡男が、王太子に殴られて気絶していた侍女を揺り起こす。


 俺は、侍従に肌触りの良いブランケットか何かないか訪ねた。すぐに、リネン室から持ってきてくれるという。



「コーデリア……恐かったな。よく抵抗した。頑張った。えらいぞ」

 俺は、できるだけ優しく声をかけた。


 ――いつもなら、抱きしめて頭をなで、安心させてやれるのに。

 だが、こやつのせいで、それをしても大丈夫か、わからない。

 怒りのまま、床に転がる王太子を足で仰向けに転がし、迷いなく踵をみぞおちに叩き込んだ。


「ぐげっ……!」

 濁った、醜い呻きがこぼれる。こんな男に、情けをかける理由など、どこにあろうか。



 侍女に「コーデリアを命がけで守ろうとしてくれて、ありがとう」と礼を言うと、彼女は「力及ばず、申し訳ございません」と涙ぐんだ。


「君たちが必死に抵抗して、時間を稼いでくれたおかげで、最悪の事態になる前に駆けつけられたんじゃないか」


 戻ってきた侍従からブランケットを受け取り、コーデリアの体にそっとかけ、ソファーへ移動する。

 こんな気持ち悪いベッドに座っていたくないだろう。


 部屋の出入口には護衛を立たせ、「たとえ王太子の護衛騎士が来ようと、中には決して入れるな。公爵家を敵に回すぞと言ってやれ」と命じた。

 父の護衛は、コーデリアが生まれる前から慈しんできた使用人たちの一人だ。

 俺が言うまでもなく、追い返す気でいたようだ。



 侍女は、侍従からブランケットを受け取り、半分に折ってから胸回りに巻き付ける。

 ボタンがちぎれていたので、正直、目のやり場に困っていた。


「気持ち悪くてすぐにでもお風呂に入りたいだろうけど……医務官の診察を受けるまで我慢してくれ。

 それまでの間、心を落ち着けるハーブティーを淹れてくれるかな?

 コーデリアだけじゃなく、君の分もね。そうそう、ぬるめがいいと思うよ」

 彼女は素直にうなずき、部屋の片隅にある簡易的な給仕台へ向かった。



 その後ろ姿を見届けてから、侍従に声をかけた。

「医務官を呼んでください。できれば、女性でお願いします」


 続いて、宰相の嫡男にはこう頼んだ。

「王太子の護衛騎士がこちらに顔を出さないよう、引き続き注視していただけますか?

 もし王太子が戻らないことを不審に思って、こちらへ来ようとした場合は――首尾よく事が進んでいると、それらしくごまかしてくださって構いません。

 ……妹の危機をお知らせいただき、本当にありがとうございました。」


 彼は立ち去る前、こちらを振り返り、少し戸惑いながら訊いてきた。

「……どうしてダンブリッジ令息は、その、こういう時に、そんなに的確に動けるんですか?」


 まあ、普通の男が性犯罪の被害者への対応を心得ているわけがないよな。


 苦笑しながら、軽く答える。

「母方の家に、精神医学の権威がいまして。母が、その研究を引き継いでいるんです。傷ついた人への対応についても。

 ……それを私たちも聞きかじっているんですよ」


ここで「父が国王に酷い目に遭わされたせいで」などと、わざわざ付け加える必要はない。




 ハーブティーをゆっくり飲み終え、ようやく体のこわばりがほぐれてきた二人に、俺は話しかけた。

「あの女が、触った物はないか?」


 侍女が立ち上がり、引き出しからコーデリアの髪飾りを持ってきた。

「これを、何度もしつこく触っていました。差し上げられないと申し上げても、どうしても欲しいと……」

 侍女は悔しそうにこぼした。


「これ、おばあさまの形見だろう? ああ……花の一つが曲がってしまってるな」

「……曲がってしまったから、盗まれずにすんだのですわ」



 痺れて動けないとはいえ、このやり取りは王太子の耳にも届いているのだろう。

 その顔に浮かぶ、間抜けな驚きの表情がなんとも滑稽だった。



「力尽くでどうにかしようなんて、お前とまったく同じだな。……お似合いだよ」

 吐き捨てるように言い、床に転がる王太子のシャツを無造作にまくり上げる。


「何をされるのかって? お前にも同じ目を……なんてことは、俺にはできないからな」

 はっ、と乾いた笑いを漏らし、嘲るように見下ろした。


 もぞもぞと身じろぎしようとする男を無視し、髪飾りに残された男爵令嬢の気配を、指先で静かに読み取る。

 後は、細く息を吐き、指先に魔素を集めながら、王太子の下腹部にしっかり術式を刻む。


 全身は麻痺して動けないものの、痛みを感じないわけではない。刻まれる痛みに、男はくぐもった声で呻いた。

 その情けない声にさえ、もう――ざまあみろ、としか思わない。



 ふう……成功した。


「おい、聞こえてるか? お前はもう、あの女以外には勃たないからな。

 この術式は肌色に見えるようにしてある――そう簡単にはバレやしないさ」

 驚きに目を見開く王太子を見下ろして、鼻で笑う。


「……なんだよ、不満か? 問題ないだろ。

『真実の愛』とは、子作りできるんだから。

 コーデリアに不埒なことをしようなんて、二度と考えるな」

 皮肉たっぷりに言い放ち、最後にとどめを刺す。


「――お前が今まで、さんざん他人に言ってきた台詞を、そっくり返してやるよ。

『誰かに言えるもんなら、言ってみろ!』」



 息を潜めてこちらの様子をうかがっていた二人を、そっと手招きする。

「――今のうちに、仕返ししておけ。

 抵抗しても敵わなかった記憶を、きっちり塗り替えるんだ。

 一矢報いた記憶に、書き換える。これは心の治療に必要……かもしれない」

 専門家じゃないから、言いながら自信がなくなってきて、言葉を濁した。


 そして、からかうように釘を刺す。

「自分の手を、痛めるなよ」




「……お兄様。この魔法陣、上から踏みつけたら消えてしまいますか?」

「いや、もう消えないよ。落ち着くまで、刻まれた本人はジンジン疼くだろうけど」


 コーデリアは深呼吸をしてから、室内履きで男の腹を踏みつけた。

「ぴぎゃあっ」と、なんとも情けない悲鳴が漏れる。


 ……ほう。なかなかの威力じゃないか。



「……あなたって、あの父親と同じね。

 女性を力尽くで縛ることしかできないなんて――

 本当は自分に自信がなくて、魅力もないってわかっているからでしょう? ただの、暴君じゃない!」

 コーデリアの声は震えていたが、瞳には怒りが燃えていた。


「万が一、処女を奪われたていたとしても――私は、あなたなんか選ばないわ。

 人生を諦めたり、理不尽な暴力に屈したりなんて、絶対にしない!」

 耳が痛くなるくらい甲高い、悲鳴のようだ。


「処女膜ひとつで人を支配できるなんて……そんなの、勘違いよ。

 私は、絶対に――あなたを許さない!」


 足元で呻く男がどこまで聞き取っているかはわからない。

 けれど、彼女がこうして言葉にして吐き出せたことが――きっと、立ち直るための一歩になるだろう。




 侍女が、氷を入れた深皿を持ってきた。

「お医者様に治癒していただけるなら、氷は要らないですよね?」


 確かにそうだが、彼女は何をしようとしているんだ?

「殴られた頬を、すぐに冷やしたいかもしれないけど――ごめんな。

 どういう対処が正しいかわからないし、被害の状況を正確に残しておかないと。

 あとで訴えるときに、軽く考えられてしまうかもしれないからさ」


 彼女は片手でしっかりと深皿を持ち、片手でトングをカチカチ鳴らした。


「はい、治癒していただくまでの辛抱なら、全然大丈夫です!」

 痛むはずなのに、侍女はにこりと笑い、トングで氷をひとつずつ摘んでは、王太子の口に入れはじめた。


「……それは、何をしているんだ?」


「私どもは、高貴なお方に危害を加えぬよう、徹底的に教育されております。ですから、手を出してしまえば、心が落ち着かなくなってしまうのです」

 なるほど……こんな状況でも、律儀だな。


「それに、この部屋を引き払うのですから、この氷も処分しなければなりませんでした。

 汚物のような存在に廃棄物を詰める……ぷぷぷぷっ、面白いと思いませんか?」

 ……いや、テンションがおかしい。精神が限界に近いんだ。



 氷を口いっぱいに詰め込まれ、冷気で口からは息ができないらしい。鼻で息をするのも大変そうだ。

 頭がキーンとしてきたのか、目を細め、顔をしかめている。


 ――あ、どうやら氷の水滴が気管に入ったらしい。

「ゴホッ、ゴホッ」とむせ込み、鼻水まで撒き散らす。……うわ、汚い。


 体は麻痺して動けず、氷を吐き出すこともできない。苦悶にゆがむ顔が、何とも哀れで……滑稽だ。

 普段は働き者で朗らかな侍女なんだ。ここまで怒らせたやつの自業自得だろう。




 侍従に連れられてきた女性医務官は、寝ていたところを叩き起こされたらしい。

 申し訳ない。

 それでも駆けつけてくれたことに、感謝の言葉を伝える。


 診察が始まるので、俺と侍従は部屋の外に出た。

 床に転がったままの男には、顔に布をかけて視界を遮っておく。

 視姦という言葉があるくらいだ、見るのも許さない。




 廊下で、侍従に改めて礼を述べた。

 彼が越権行為と非難される危険を冒して鍵を持ち出してくれなければ、果たして間に合っていたかどうか――。


「君の正義に、心から感謝申し上げる。お名前をうかがってもよいだろうか」

「とんでもないことでございます!」

「いや、今回の件で君の進退が危ぶまれることは十分に考えられる。

 クビになるようなことがあれば、我が家で雇用させてもらう。

 だが……王太子に逆恨みでもされたら、命の危険さえあるかもしれない」


 一瞬の沈黙の後、侍従は真っ直ぐにこちらを見て言った。

「……ギャレス・リンウッドと申します。

 私一人のことは構いませんが、万が一、リンウッド家にまで累が及ぶようなことがあれば……そのときは、お力添えいただければ幸いです」


 なんと気骨のある、誠実な男だろう。


 王太子に対する不敬で彼が責められるようなことがあれば、こう言ってやらなければ――

「彼は王族の醜聞を未遂で終わらせた、王家にとって恩人である」 と。



 ギャレスは静かに頭を下げると、鍵を持って持ち場へ戻っていった。


 ギャレスを見送る前に、ひとつ頼みごとをした。

「近衛ではなく、衛兵をこちらに差し向けてほしい」

 今の近衛騎士団では、誰が信用できるのか分からない。念のためだ。



 その後、医務官に呼ばれて部屋へ戻ると、被害に遭った二人は簡易浴室に行ったという。


 診断書の束をまとめている医務官に、今後証言が必要になった場合、協力をお願いできるかと訊ねると、

「どちらの味方をすることもなく、事実を述べますよ。

 明日は例の姫君とお子様の健康診断に行きます。ご安心ください」

 と、非常に頼もしい返答をもらった。




 しばらくして、にこにこと元気そうな新米の衛兵がやって来た。

 王妃たちの会議室に伝言を頼むと、「そんな重要な任務は初めてです!」と嬉しそうに胸を張って歩き出した。


 その最中に、王太子が口から氷を吐き出し、ろれつの回らない声で何やら文句を言い始めた。

 あまりに騒がしいので、再び昏倒させて黙らせた。


 まさかその様子まで「伝言」に含まれるとは思わなかったな……まあ、いいけど。




 ほどなくして、血相を変えた母が戻ってきた。

 娘と侍女を抱きしめ、声をあげて泣いた。



 その光景を見つめながら、俺は悟った。


 復讐するか否かではない。

 ――やつらの所業に、正当な報いを受けさせるべきなのだ。


今回の後書きは、真面目な話を書きます。


現実で性被害に遭われた場合は、口内から唾液やDNAを採取できる場合があるので、診察前の飲食は避けてください。

また、加害者への物理的な反撃は推奨されません。過剰防衛で加害者とされたり、報復を招いたりする恐れがあります。

また、人の口に氷を詰めるなどという行為は、絶対に真似しないでください。

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