1-1 「お前を愛することはない」
お馴染みの台詞から始まりますよ。
どうぞお楽しみください。
■ドヤ顔の王太子■
卒業パーティーの会場に、王太子アーチボルトの声が響いた。
「コーデリア・ダンブリッジ。私がお前を愛することはない!」
名指しされた公爵令嬢コーデリアは、友人たちの輪から抜けて一歩前に出た。
その顔には、驚きも悲しみも見えなかった。
いつものように冴えない風貌で、曖昧な笑みを浮かべるのみ。
会場の隅の、侍女や侍従が待機している場所から、コーデリアの侍女がすすすと歩いてきた。
なにやら書状とペンをコーデリアに渡す。
コーデリアは王太子の前まで来ると、ペンを差し出した。
「では、こちらにサインをいただけますか」
それは以前交わした婚約誓約書だった。
「この下の方、破棄を希望する者の欄に、王太子殿下がご署名ください」
王太子は二の句がつけなかった。
なぜ、泣かない? 理由も聞かない?
なぜすでに婚約破棄の手続きを準備しているのか?
「……あのぉ、早く署名なさらないと、反対する者が現れるのでは?」
「ち、父上の許可なら取ってある!」
「それは、それは。
……王妃陛下も、ですか? もう一度王妃教育を施すのって、面倒くさいと思うんですけどぉ」
王太子は引ったくるように紙を奪った。テーブルの上の料理をずらして、その間で署名する。
「あらぁ、せっかくキレイに盛り付けたお料理が崩れちゃったわ」
ほおに手を宛てて、のんびりとコーデリアがつぶやいた。
王太子は、「こいつは人をイラつかせる天才だ」と腹を立てた。
いつもなら怒鳴りつけてやるが、今はへそを曲げてやっぱり婚約継続を希望されたら困る。
ぐっと我慢をして、署名を終えた。
空気が一瞬揺らいだような気がしたが、ムカムカしていたので、ちょっとした違和感はすぐに意識から外れてしまった。
それが、コーデリアの策とも知らずに。
婚約誓約書を受け取ると、コーデリアは署名を確認してから侍女に手渡した。
侍女がすすすすすと会場を出て行くと、コーデリアは何もなかったかのように、友達の輪に戻っていく。
「ちょ、待て待て待て、コーデリア!」
はっと我に返った王太子が、大声で呼んだ。
先ほどまでのにこやかさが嘘のように、コーデリアは顔をしかめた。
「……もう、婚約者ではないので、ダンブリッジ嬢とでもお呼びくださいます?」
戸惑い気味の王太子が「なぜ理由を訊かないのだ?」と問うと、コーデリアは興味がないのでと答える。
「真実を知らずに、納得できるのか?」
訊きたいなら聞かせてやってもいいぞ、とばかりに腕を組む。
そこに、男爵令嬢が駆けより、王太子の腕にぶら下がった。
「コーデリア様、正直になった方がいいと思いますよ。私なんかに負けて、悔しいんでしょう?」
それを聞いて、コーデリアの友達がざわめいた。一番気の強い令嬢が反論しようとしたのを、コーデリアは制止する。
「あなたとは正式にご挨拶していないと思いますけれど。許可なくファーストネームを呼ぶのはマナー違反です」
誰かが吹き出した。幼児が習うような初歩の初歩だ。
「……っ、意地の悪い女だな! 彼女はロクサナ・サマセット。私の『真実の愛』だ!」
「さようでございますか」
「お前こそ、なぜ名乗り返さぬ。それもマナー違反だろう?」
「……知り合いになりたくないので」
彼らに背を向けて、拒絶の意思を示した。
ぷっ、くすくすと笑いが起きる。
令嬢の一人がコーデリアにささやいた。
「もう会場を出て、わたくしたちだけでお茶でもしませんこと?」
コーデリアは苦笑いする。
「そうしたいのはやまやまですが、この後、国王陛下のご挨拶がありますからねぇ」
大きな大きなため息を吐いて、王太子と向き合った。
「皆様のご迷惑になりますので、手短にどうぞ。何がご不満なのですか?
そちらが婚約破棄を希望した、わたくしはそれに応じた。
まだ、何かございますの?」
今までのおどおどした様子が嘘のように、軽く威圧を感じる。
王太子は内心、焦りを感じた。
「ここで泣きすがって、側妃でもいいと言わないのか?」
「……脳みそにウジでも湧いているんでしょうか。
何度もお断りしたのに、どうしてもと国王陛下がおっしゃったのです。
仕方なく結んでいた婚約がなくなったので、今、わたくしはとても晴れやかな気分ですわぁ」
コーデリアは表情を隠すように垂らしていた髪を、すっと耳にかける。透き通るような薄紫の目が見えた。
「ふざけるな!」
騎士団長の嫡男がガツガツと足音を立てて、コーデリアに向かってきた。
そこに、辺境伯のご令嬢がコーデリアをかばうように前に出た。
令息の目の前に開いた扇を突き出して、視界を奪う。少しのけぞったところに、すかさず蹴りを入れる。
ドレスだから動きはいつもより鈍くなるが、細いヒールが武器と化した。
「淑女に暴力を振るうとは何事か!」
辺境伯のご令嬢が、叱りつける。
おそらく、この二人の婚約も解消されるのだろう__。口に出さないが、この場にいる生徒たちの誰もがそう思った。
次に、宰相の次男が、コーデリアが主席を取ったのはカンニングをしたからでは、と罵りだす。
「わたくしより成績が下の人の回答を見る必要が、ありますか?
間違った回答を避けて正解だけを選べるなら、自力で書いた方が早いですよねぇ。
それに、監督している教師に気付かれないようにするのも、そうとう難しいのでは……」
観客の中から、呆れた声が漏れてきた。
「そう言われてみれば、カンニングも難しそうね?」
「宰相の次男があんな思考力で、大丈夫なのか……」
次男はそれらの声の主たちに目もくれず、ふん、と鼻で笑った。
その後、男爵令嬢にとろけるような微笑みを向けたが、彼女が返す笑顔はどこかぎこちない。
「……こんな婿、要らない……」
侯爵家の一人娘の言葉に次男は青ざめたが、もう遅かった。
「サマセット男爵領が栄えたら、侯爵家だって……」
「ご心配には及びません。援助を受けねばならぬほど困窮してはおりませんし――
わたくしを蔑む女性に侍る方を婿に選ぶなど、社交界の笑い種になるような真似はしたくありませんわ」
侯爵令嬢はきっぱりと拒絶した。
婚約破棄をするため、コーデリアを非難する材料だったのだろうか。ぼろぼろの教科書や破れたドレスなど、「物的証拠」が持ち込まれた。
せっかく用意したのだから披露しないと惜しい、とでも思っているのか。茶番に観客たちは呆れるばかりだ。
「……不衛生ですわ。それを触った手で、わたくしにつかみかかろうとなさらないでくださいましね」
騎士団長の嫡男を、挑発するように横目で見た。
■コーデリアのターン■
コーデリアは広げた扇の下で何事かを唱える。パシリと閉じてからそれらの品を、扇で指し示した。
それらがぽわっと淡く光ると、扇を周囲の観客たちに向けてあおぐ。
光は男爵令嬢の元へ飛んでいった。
「ひゃあ! 何これ、何これ?」
男爵令嬢は手を振り回し足をジタバタさせ、自分の裾を踏んで転んでしまった。
「……壊されて、使命を果たせなくなった物たちの『無念』ですわ。器物破損の犯人さん」
コーデリアは悲しげに目を伏せた。
次に、魔道士長の愛弟子へと顔を向ける。
「あなた、このような確認すら怠ったの? それとも冤罪とわかっていて協力したの?
あの清廉潔白な魔道士長が知ったら、さぞかし嘆かれるでしょうねぇ」
愛弟子は青ざめながら
「まだ、習ってない……もん」
と涙ぐんだ。
「あらぁ、お勉強がそこまで進んでいないの……余計なことを言って、ごめんなさいね」
これで、王太子の愉快な仲間たちは潰せたかしら。
婚約破棄という結果を得るために、コーデリアが辞退せざるを得ない状況を作りたかったのだろう。
思わぬ早さで婚約破棄できたのだから、それを喜んで黙っていればよかったのに。見事に自爆したわね……。
「あの、あのっ……食堂でお昼にロクサナを無視して、席を奪われました。ロクサナ、悲しかったです!」
男爵令嬢が立ち上がって、叫んだ。
あの重たいドレスで、自力で立ち上がる――まったく、見事な脚力ですわ。
けれど、誰ひとり手を貸そうともしないのは、紳士としてどうなのでしょう?
この子、よく王太子や高位貴族の男性の前で転んでいたけれど、一人でも起き上がれるのねぇ。
「できなぁい」と甘えられるのが可愛くて、健気なんでしたっけ?
幼いころから「下級貴族のお手本たれ」と家庭で教育を受けているのですもの。わたくしたちには難しいですわ。
わたくしでしたら、助け起こしてくれない、紳士のふりをした方々を侍らすなんて、逆に恥ずかしいですけれど。
いえ、複数の殿方を侍らすのがそもそも……でしたわね。
「真実の愛」って、たくさん存在して、同時進行が可能なのねぇ。
「……それは、いつのお話ですか? 無視とおっしゃいますが、知り合いでもない人に対してなら、普通の振る舞いではないかしら」
もう、何が言いたいのかわかりません。
わたくしを責め立てて、泣き顔でも拝みたかったのかしら。わたくしの涙にそんな価値があるとは思えませんが。
魔道士長の愛弟子が涙を拭って、コーデリアを睨みつけた。
「……先ほど、何をしたのですか?」
流石に、魔力の揺れは感知していたようね。
「……王太子殿下が署名をしただけよ。わたくしは何もしていないわ」
そう。誘導はしたけれど、最終的にそれを選んだのは王太子だ。
特殊な術式が組み込まれた契約書は、署名した瞬間に効力を発揮する。
王太子が婚約誓約書の但し書き、「婚約破棄条項」の欄にサインした時点で、破棄が成立している。
その際の「慰謝料」も速やかに履行されたというわけだ。
もう、婚約を白紙や解消に変更することも、有責者をコーデリアにすげ替えることもできはしない。
コーデリアは肩をすくめて、王太子の顔を真っ直ぐに見つめた。
「――何に、ひっかかっていらっしゃるの?
『真実の愛』で、子どもを作られたのですよね。わたくしが出る幕はもうないと思うのですが」
王太子の顔が引きつる。会場がざわついた。
ロクサナが「子どもができたなんて、まだ誰にも言ってないのに……!」とつぶやき、口元を押さえる。
周囲の令嬢たちが、あきれたように目を見交わした。
「あなたが我が公爵家の診療所に来るからですわ。王宮の医師にでも診てもらえばよかったのに」
我が領地民が王都に支店を出したり、王都の職人に弟子入りしたりするので、下町に診療所を開設している。
領民が安心して仕事を広げられ、技術を習得し、ケガや病気でも転落しないで復帰できるようにする政策だ。
他領の人も別料金で診ていて、なかなか評判がいいらしい。
制服を着て来院し、妊娠が判明した生徒がいたので、学園に報告すべきかと相談が上がってきたのだ。
「殿下の背後には、心強いご令息がいらっしゃる。でも、どなたにも頼れなかったのね。
心細かったでしょう、おかわいそうに」
もちろん口先だけで、同情などしていない。だって、浮気ですもの。
いくら、嫌いな婚約者とはいえ、不快になるわ。
「お、お前、やはり嫉妬しているんだろう? 素直になれ、コーデリア!」
「とんでもないことでございます。
わたくしたちは卒業ですけれど、彼女は一学年下。学業はどうされるのかしらと思っただけですわぁ」
会場の外から騒がしい気配が近づいてくるのに気付いて、ふんわりとコーデリアは笑った。
「お前を愛することはない……でしたか。
奇遇ですねぇ。私も、でしたのよ」
スッキリした方も、モヤモヤが残った方もいらっしゃるでしょうか。
次回は、学生だけでは動かせない「王国の都合」が顔を出します。
お楽しみに。