赤い座布団
祖母が亡くなってから、十年以上空き家になっていた田舎の実家を、取り壊すことになった。
古い日本家屋で、夏は涼しく、冬は隙間風が寒い、そんな家だった。
取り壊しに先立ち、母と二人で遺品整理をすることになり、私は久しぶりにその家へ足を踏み入れた。
軋む床、埃の匂い、壁に貼られたままのカレンダー──時間が止まったままだった。
ひとつ、子どもの頃から不思議に思っていたことがある。
それは仏間の隅に置かれた、赤い座布団だ。
厚く、古びてはいるが、どこか手入れされているような清潔さがあった。誰もそこに座らず、祖母も「触っちゃだめよ」と言っていた。
子どもながらに「なにか特別なものなんだろう」と思っていたが、祖母が亡くなって以降、そのことについて誰も語らなくなった。
母が台所を片付けている間、私は仏間の掃除に取りかかった。
ふと、あの赤い座布団が気になって、そっと手を伸ばしてみた。
触れた瞬間、温かさが指に走った。まるで、誰かが今まで座っていたような温度が逆流してくる。
そして、その裏に何かがあることに気づいた。
めくってみると、小さな紙が一枚、畳に貼られていた。
赤インクで、こう書かれていた。
「ここに座ってはいけない」
その瞬間、背後で「バンッ!」と襖が閉まった音がした。
驚いて振り向くが、風は吹いていない。誰かが閉めたような強さだった。
母を呼ぼうと立ち上がろうとした瞬間、仏壇の奥から、かすかな嗤い声が聞こえた。
「……まだ、生きとったんか」
私は何も言わずに部屋を飛び出した。
夕方、少し落ち着いてから母にその話をすると、彼女は黙って座布団のある部屋へ向かい、静かに襖を閉めた。
しばらくして戻ってきた母は、ぽつりと言った。
「……あれはね、おばあちゃんの姉さんの席だったのよ」
「え?」
「もうずっと昔に亡くなったんだけどね。あの人は、死んだあとも仏間に帰ってきてたのよ。おばあちゃん、毎朝お茶出してたでしょ? あれ、仏壇じゃなくて……あの座布団に出してたのよ」
ぞっとした。
「じゃあ……誰かがそこに?」
「ええ、座ってたの。誰にも見えないけど、座ってるの。だから触っちゃいけないの。」
取り壊しの日、私はどうしてもあの座布団が気になり、最後に一目見ようと仏間を覗いた。
もう何もないはずの床に──
ぽつんと、赤い座布団だけが残っていた。
誰も運び出していないのに。
母に尋ねても、「そんなものあった?」と首をかしげるばかりだった。
けれど、最後に見たとき。
その座布団の上には、うっすらと──膝の跡のような沈みが残っていた。