究極のピンク髪男爵令嬢は、きっと全部手に入れる!──婚約破棄→「ざまぁ」のために大量生産された、ピンク髪ヒロイン達の逆襲──
「やーん、雨まで降ってきたああああ!」
フォルトレス男爵令嬢ジュリエットは、巨大な黒馬・黒王号に跨り、ポニーテールにしたピンク色の髪をたなびかせて王都の男爵邸に急いでいた。
ジュリエットは男爵家の長女だが、生母は早くに亡くなってしまった。
父は再婚したが、継母やその連れ子とそりが合わず、なにかにつけて冷遇されている。
もう18歳なのに、本来、16歳から出来る社交界デビューもなんのかんのと後ろ倒し。
父は、気の強い義母の言いなりだ。
引退して領地にいる祖父がさすがにキレ、今年こそは義理の妹と一緒に、この国では毎年春に開かれるデビュタント・ボールに連れて行ってもらえることになったのだが、その前日、継母に郊外までお使いに行けと命じられてしまった。
普通に行けば往復3時間くらい、昼過ぎには戻れたはずなのに、貰った地図はめちゃくちゃで、どうにか小さな包みを不審顔の母の古い知人に届けたものの、夕闇が迫ってきている。
「うえーん、どうしよ……」
ぽつぽつと降り出した雨は、次第に激しくなってきた。
「ヒヒーン!」
魔馬の血が入っていると言われている黒王号はいななくと、広めの獣道?のようにも見える分かれ道に勝手に入った。
黒王号は異様なまでに賢い。
もしかしたら、そちらに人家でもあるのかもと任せていたら、やがて旧街道らしき道に出て、少し行くと、小屋のようなものが見えた。
「やった! さっすが黒王号! とりあえず休もっか!」
「ブルルルルッ」
ジュリエットはドヤ顔をしている黒王号から飛び降り、小屋の正面にある格子扉を開いてみた。
中は思いの外広い。
奥に祭壇のようなものがあり、長い間風雨に晒されたのを移したのか、目鼻立ちもよくわからなくなっている古ぼけた石像が祀られていた。
どうも、祠的ななにか?のようだ。
ジュリエットは「ライト」と呟いて、魔法で明るくすると、しげしげと像を眺めてみた。
全体の輪郭は柔らかく、女性像のように見える。
しかし、この国で広く信仰されている豊穣の女神フローラなら、豊麗なうら若い女性の姿のはず。
小柄なおばあちゃん?的な素朴な雰囲気で、どうも違うようだ。
このへんでなにか貢献をした人とかそういうヤツ?とジュリエットは首を傾げた。
外はもう、ざあざあ降りだ。
知らない道だし、今夜はここで寝て、明日の朝移動した方がよいだろう。
ジュリエットは、「すみませんが、一夜、宿を貸してください」と石像に手をあわせた。
黒王号が近くの小川で水を飲んだり、そのへんの草をむしゃぁとやっているうちに、ホコリまみれの祭壇をできる限り掃除する。
こんなこともあろうかと常に持ち歩いている携行食で、ジュリエットも夕食を済ませ、1人と1頭は仲良く眠った。
目覚めると、昨日とは打って変わっていい天気だった。
ジュリエットは朝ご飯代わりの堅焼きビスケットをかじり、少し考えて、ラスイチをお供えすると、なんでかあわあわしている黒王号に再び跨った。
しばらく行くと、ランデ河にぶつかる。
あとはもう、川沿いに下っていけば王都だ。
というわけで、無事、男爵家に帰ったのだが──
「ジュリエット! どこに行ってたんだ!?
……心配したじゃないかああああ!」
「勝手に外泊するだなんて、ふしだらな!
こんな娘は、……今日の舞踏会には、この家で一番いい宝石をつけて出席させなければ!」
父はジュリエットを明らかに怒鳴りつけようとしたのに、なんでか取りすがっておいおい泣き始める。
継母は外泊を理由に家に閉じ込める気満々なことを口走ったのに、逆のことを言い始める。
そこに、やたら豪華な純白のデビュタント・ボール用ドレスをまとった義妹が駆け込んできた。
憎々しげにジュリエットを睨んだ眼が、不意にとろんとハートマークになる。
「お姉様! 舞踏会の支度に間に合って良かったです!
お姉様のドレスの予算も注ぎ込んだこのドレス、すぐに脱いじゃいますから、お姉様がお召しになってください!!
私は、お姉様用のおんぼろドレスで……いえ、あんなドレスじゃお姉様にご迷惑ですから、今日は留守番して、お姉様のノルマの雑巾縫いを頑張ります!
お姉様がお帰りになる時までに、お部屋も私のと交換しておきますね!
今までパチりまくってた、お祖父様や御親戚からの贈り物もお返ししておきますわ!」
「はいいい!?」
長女なのに、なんでか屋根裏部屋に押し込められているジュリエットはぶったまげた。
というか、どうもおかしいと思っていたら、色々くすねられていたのか。
「そうね。それがいいわ!
ロッテンマイヤー、世界一かわいいジュリエットをもっともっとかわいくするのよ!」
「おまかせくださいませ! 奥様!」
よく見ると、義母の眼も、父の眼も、ハートマークに変わっていた。
窓の桟をすいーっと指で撫でては、ジュリエットにいちゃもんをつけてくる侍女長もだ。
わけがわからないうちに、ジュリエットは館で一番大きな風呂に放り込まれ、高価な香油を惜しみなく使ってぐりんぐりんされたあげく、幸いそんなにサイズが違わなかったドレスを巧く着付けてもらって、いっぱしの令嬢に仕上げられてしまった。
でれんでれんにデレている父と継母に連れられて、王宮へと向かう。
父と継母は気味悪かったが、初めて見る、どこもかしこもキラキラMAXなゴージャス空間に、ジュリエットのテンションは上がった。
だが、人々の様子がおかしい。
老若男女問わず、身分の上下も問わず、ジュリエットと眼が合うと、眼がハートマークになってしまうのだ。
そして、そわそわとジュリエット達に話しかけ、まだ国王への挨拶を済ませていないので急いでいると父が説明すると、それは仕方ない、早くご令嬢を陛下のお目にかけねばとか言いつつ、なんでかジュリエット達の後ろをぞろぞろとついてくる。
なんだこれ。
おかしい。
どう考えてもおかしいのだが、どういうことなのか聞けそうな人はいないかとあたりを見回すと皆、眼がハートマークになってしまうので、どうしようもない。
さすがにジュリエットは怖くなってきた。
明らかに異常事態なのに、父と継母は「ジュリエットは大人気だな」とか当たり前のような顔をしているのも怖すぎる。
一人だけ、正気?に見える銀縁眼鏡をかけた貴公子がいたが、助けを求める前に、慌ててびゃっと走り去ってしまった。
貴族たちを引き連れるようなかたちで大階段を上がった先、豪奢なシャンデリアがいくつも煌めく舞踏会用のホールに入る。
ホールのど真ん中では、美しい令嬢二人が、これまた美々しい貴公子を挟んで睨み合っていた。
「顔がいい殿方は、みんなわたくしのものなのよ!
殿下のファーストダンスのお相手は、当然、このわたくしが務めるべきだわ!」
「なにを言っているのカタリナ!
筆頭公爵家の長女であるわたくしに決まっているでしょ!?」
この国の社交界名物、サン・ラザール公爵令嬢カタリナとシャラントン公爵令嬢ジュスティーヌの角突き合いだ。
真紅の、ぶわっと裾が広がった派手派手しいドレスをまとった金髪のカタリナは、パリピ系の美人。
アイスブルーのしゅっとしたドレスをまとった銀髪のジュスティーヌは、クール系の美人。
二人の公爵令嬢が、まだ婚約者が決まっていない王太子アルフォンスの妃の座を巡って争っている話は、ジュリエットもかまどの焚付用の古新聞で読んだことがある。
「ん? そちらの令嬢は?」
やれやれだぜ顔になっていた、金髪のすらりとした青年・王太子アルフォンスが、ジュリエットの方を見た。
やべ、と思った瞬間、アルフォンスはぽーんと眼をハートマークにして、足早に近づいてくる。
顔が良い王太子のキラキラが眩すぎて、ジュリエットは思わず後ずさった。
だが、父に首根っこを掴まれ、王太子殿下にご挨拶するよう促される。
「え、えっと……お初に御目文字?します!
フォルトレス男爵が長女、ジュリエットですうぅぅぅぅ」
継母の意地悪で、礼儀も作法も教わっていないジュリエットは、なんとかそれらしいことを口走りながら、深々とお辞儀をした。
跪礼なんて見たこともないので、普通に頭を下げただけだ。
「なんと愛らしい!
もう君なしの人生は考えられない。
結婚しようそうしよう!」
アルフォンスはジュリエットの両手を取って叫んだ。
「はぁ!? なんで男爵家の娘ごときに横入りされなきゃなんないのよ!?」
「ありえませんわ!」
柳眉を逆立ててカタリナとジュスティーヌもやって来て──ジュリエットと眼が合った。
「まあ、なんて可愛い方! 負けましたわ! わたくし、生まれて初めて顔で負けましたわ!」
「王太子妃、そして次代の王妃はこの方しか考えられませんわ!」
カタリナもジュスティーヌも、眼をハートマークにして、ジュリエットをうっとりと褒めそやす。
と、そこに侍従が「国王陛下、王妃殿下のおなーりー!」と呼ばわった。
大陸でも五指に入る魔導師と謳われる国王。
大陸一の美姫と名高い王妃。
言うまでもなく、この国の最高権力者だ。
「父上! 母上! ようやく私の妃となるべき令嬢を見つけました!」
「は?? アルフォンス、それはどういうことだ?」
てっきり、息子の妃はカタリナかジュスティーヌだと思っていた二人は驚き、足早に近づいてくる。
そして──色々ありすぎて、もう半泣きのジュリエットと眼が合ってしまった。
「まああああああ!」
最初に声を上げたのは王妃。
「ただちに婚約を整えましょう。
いえ、婚約して王太子妃教育を受けて結婚なんて、時間がかかりすぎるわ!
王妃の座、いますぐ受け取って頂戴!」
言いながら、王妃はみずからのティアラを外すと、ジュリエットに差し出してきた。
皆が拍手して、王妃に賛同する。
「この際、王位を譲ろう!
王配はよりどりみどり、選びきれなければ好みの貴公子を好きなだけ娶ればよい!」
国王は、首に下げていた、ごっつい黄金の鎖を外して差し出してきた。
その先にぶら下がっているのは巨大な魔石で作られた鍵。
この国の王権の象徴だ。
これも皆、拍手をし、歓声を上げて支持した。
アルフォンスは、まずは私を王配に!と跪いてくる。
他にも美々しい貴公子達が、ざざざとジュリエットに跪いた。
「いやいやいやいやいや……!
おかしいです! おかしいですよ皆さん!!!
ちゃんと王様がいて王太子様もいるのに、なんで私が女王で逆ハーレムなんですか!?」
ようやくジュリエットは声を上げた。
「ていうか、まさか、これ……」
考えられるのは、「魅了」だ。
相手の好意を極限まで掻き立て、意のままに操る禁呪で、どの国でも厳しく規制されている。
どうしよう。
ジュリエットは絶望した。
よりによって王族に魅了を使ったとなると、反逆罪も乗っかって、一族郎党、関係者全員斬首確定だ。
この世でただ一人、ジュリエットをかわいがってくれる祖父まで巻き込んでしまう。
「違うんです! 私、なにもしていないんです!」
ジュリエットは泣き崩れながら叫んだ。
皆、なぜジュリエットは喜んでくれないのだろうと互いに顔を見合わせる。
そこに、さっきどこかに去っていった銀縁眼鏡の貴公子が駆け込んできた。
さっと、大きな円い鏡を掲げる。
びゃーっと、謎の光が鏡から溢れ出た。
貴公子は、鏡を掲げながら歩き回り、眼をハートマークにした貴族や王族たち一人ひとりに光を当てていく。
「あ、あれ? い、今……朕はなにを!?」
国王と王妃が、慌てて魔石の鍵とティアラを引っ込めた。
「グザヴィエ、なにをしている?」
急にすんっとした顔で立ち上がったアルフォンスが、貴公子に訊ねる。
他の貴族たちも正気に戻ったようだ。
「王家の秘宝、『破邪の鏡』です。
緊急事態と見て、宝物庫から持ち出させていただきました。
お叱りは、あとでいくらでも」
「いや。それは構わぬ。
しかしこの娘、魅了使いということか。
衛兵! 対魔導装備をした衛兵を呼べ!」
険しい目で、国王は床の上に崩れ落ちたジュリエットを見下ろした。
「違うんです! 私、ほんとに何もしてなくて……!
お願いです、信じてください!!」
泣きじゃくるジュリエットを、遠巻きにするように人々が下がる。
父と継母は、がくがく震えながら逃げ場を探しはじめた。
グザヴィエは、一歩前に出て眼鏡をくいいっと持ち上げた。
「これほど強い魅了、もしこの令嬢自身の力なら、今まで隠し通せたとは思えません。
なにか事情があるのではないでしょうか」
床の上にへたりこんだままのジュリエットに、グザヴィエは「破邪の鏡」の光を当てた。
「「「あああああああ……!?」」」
ジュリエットの頭上に、ピンク髪の令嬢たちの姿が何人も何人も湧いて出た。
中には、ドレスではなく庶民のワンピースをまとった少女もいるが、皆、ピンク髪ばかりだ。
うじゃうじゃいるピンク髪達の身体は宙に浮き、向こうがかすかに透けて見える。
幽霊だ。
ピンク髪の令嬢や少女の幽霊が、大量にジュリエットに取り憑いていたのだ。
強気なくせに幽霊に弱いカタリナがゆっくりと失神して、慌ててジュスティーヌが抱きとめた。
「「「目から魅了ビーム!!!」」」
数十名もいるピンク髪達は、いっせいにチョキにした指を目元にあてがい、ぽわんとピンク色を帯びた光線を放った。
光を当てられた貴族達は再度魅了にかかり、駆けつけてきた衛兵を押し返す。
グザヴィエは必死に「破邪の鏡」で魅了を解除するが、ピンク髪達が魅了ビームを四方八方に放ちまくるので追いつかない。
「イケメン眼鏡の人! 頑張って!!」
「ふぇ!?」
孤軍奮闘するグザヴィエにジュリエットが声援を送った途端、ジュリエットに気を取られた眼鏡は、またしても眼がハートマークになってしまったアルフォンスにどつかれてよろめいた。
ヤバい。
鏡を奪われたら、一巻の終わりだ。
「ヒヒーン!」
そこに、ジュリエットのピンチを悟った黒王号が、衛兵を振り切ながら庭から駆け込んできた。
高々と棹立ちになると、ぶふぉおおおおおおおお!とものすごい勢いで鼻息を噴く。
「「「みぎゃあああああああ!?」」」
ピンク髪達はまとめて吹き飛ばされ、一度天井にぶつかって、団子になって落ちてきた。
どうやら、黒王号は、霊が見えていないと干渉できないが、見えるようになるとビシバシ攻撃できる系能力持ちだったようだ。
「悪霊共め! 観念しろ!」
すかさずグザヴィエが、ピンク髪の山に「破邪の鏡」を突きつける。
すううっと、無数のピンク髪達は消えてゆき、ローブをまとった老女が一人、取り残された。
フードを外した頭はほぼ白髪だが、数筋、ピンク色が残っている。
ちんまりと床の上にうずくまった姿は、いかにも優しげな小柄なおばあちゃんという感じで、悪しき存在にはとても見えない。
というか、ジュリエットにはこの老女の雰囲気に見覚えがあった。
「ももももしかして、あなたは昨日の祠に祀られていた方ですか?」
老女はふわりと笑った。
「そうです。お若い方、私達の復讐に巻き込んでしまってごめんなさいね」
ジュリエットに深々と頭を下げると、老女は国王の方へと向き直る。
「国王陛下。このお嬢様は、私が誰とも知らず、たまたま情をかけてくださった方。
なんの罪咎もございません。
すべては、忘れ去られた王家の因縁によるもの。
お話させていただければ、私は今度こそ、恨みを捨て、女神フローラの御下に向かえることでしょう」
じいっと、老女は国王を見上げた。
その表情に何を読み取ったのか、国王は重々しく頷いた。
「……よかろう。許す」
皆、静まり返って、老女の言葉を待った。
「どの国王の御代だったかは、申し上げないことにいたしましょう。
王宮には、最初の王妃が産んだ第一王子である王太子、後妻として嫁いできた王妃が産んだ第二王子がおりました。
国王は、母を喪った王太子の後ろ盾として、有力な家の娘と早くに婚約させたのですが……この婚約者が、それはそれは酷い方でした。
子どもの頃から、お前と婚約しているのは王妃になるため、そうでなければお前のようなつまらない男と結婚するなどありえないとほのめかし続け、長じては、王太子は公務をまともにこなすこともできない愚物だと、周囲に自分の献身を見せびらかすようになりました。
本来、王太子の公務は、さまざまな人々の話を聞き、視察をしたり行事に出席して民と交流すること、あとは政務を決裁する国王の傍に控えて、判断の仕方を学ぶことです。
公務の準備として、予定を調整し、調べ物をし、報告書を作るのは侍従の仕事。
なのに、婚約者はしゃしゃり出て、わざわざ徹夜して資料造りをしたり、事細かに書類のチェックをしては差し戻すような真似を繰り返しました。
最初のうちは、なぜ婚約者がそんなことをするのかと訝しむ人もいましたが、婚約者が巧みに自分の苦労を喧伝したこともあり、次第に、王太子は自分の仕事を婚約者に押し付けている、彼には国王として十分な能力がないのではないかという危惧が広がっていきました。
第二王子が可愛い王妃も、陽に陰に王太子に辛く当たります。
群臣にも、婚約者や王妃に倣う者が数多おりました。
王太子はおかしなことが多々あっても、父を煩わせまいと黙っていたために、政務に忙しい国王は気づきません。
そして、彼が十七歳になった頃、今は名も遺っていない男爵家の娘だった私は、治癒魔法と浄化が使えることがわかり、宮中に上がりました」
なんかどっかで聞いたような話だ、とジュリエットはぱちくりした。
「話すようになったきっかけは、魔法の修練の時に、わざと魔法をぶつけられていた彼を見かけて、まさか王子とも思わず、声をかけて治癒したことでした。
てっきり騎士見習いかなにかだろうと思っていた私と、孤立していた王太子はあっという間に仲良くなって……
気がついたら、互いに離れがたいほど、深く愛し合うようになってしまいました。
婚約者は、激怒しました。
おかしな話です。
あんな仕打ちを長年続けていたくせに、心の底の底では、彼に愛されたかったのでしょうか。
婚約者は、何度も私を殺そうとしました。
王宮の大階段のてっぺんから思いっきり突き飛ばされたり、攻撃魔法を打たれたこともあります。
幸い、私は貴族の娘といってもだいぶお転婆な方でしたから、なんとか躱し続けることができました。
私が禁じられている『魅了』の力で、王太子や貴公子達を誑かすとんでもない淫婦だなどと噂を流されたりもしましたが。
いずれにせよ、このままでは、王宮で暮らすことはできません。
彼は、私との愛を貫くために、王太子の地位を弟に譲り、臣籍降下する道を探るようになりました。
ですが、ある舞踏会の夜、私が無理やり控室に連れ込まれ、身を汚されそうになった時。
ぎりぎりのところで私を助け出してくれた彼は、怒りのあまり、公衆の面前で、彼女との婚約破棄と、私との婚約を宣言したのです」
何人かが、あ、と声を漏らした。
芝居や娯楽小説でよくある「婚約破棄物」のパターンだ。
「王妃にさんざん彼の悪評を吹き込まれていた国王は、彼を見捨てました。
彼は廃嫡され、私達は東の塔に幽閉され──彼は毒を飲まされてしまいました。
ひどく苦しんで、のたうち回る彼を、私はただ見ていることしかできませんでした。
治癒魔法が使えないように、魔力封じの腕輪を嵌められていたからです」
どれほど時が過ぎても辛い記憶なのだろう、老女の眼に涙が浮かんだ。
「瀕死の彼は、言いました。
私が死んだら、次は君だ。
きっと、私達には思いつかないような酷い殺し方を用意しているに違いない。
彼らの思うままになるのは厭だ、せめて君だけでも逃げてほしい。
私には無理だが、君なら通れる、古い抜け道がある、と。
彼と離れるのは嫌でした。
彼が助からないのなら、いっそ一緒に死んでしまいたかった。
でも、彼は何度も何度も私に約束させて息を引き取ってしまい──彼の最後の望みを叶えるために、私は逃げました。
目立つ髪は染め、あちこち逃げ回った末に、深い森の中に女隠者として暮らすようになりました。
やがて、魔力封じの腕輪が緩んできて、少しずつ魔法が使えるようになった私は、近辺の村人の病や怪我を治したり、魔獣が湧く瘴気の淀みを浄化したりするようになりました。
彼が生きていれば、困っている人々を助けただろうと思ったからです」
あ、とジュリエットは声を漏らした。
「それで、村の人達が、あの像を造ってくれたんですか?」
「ええ。もしかしたら、私の事情を察して同情してくれた人がいたのかもしれません。
月日は流れ、あの像の由来も次第次第に忘れられていったのですが……
私には、どうしても許せないことがありました」
老女の瞳に、強い光が宿った。
「王太子の婚約者は、横滑りで第二王子と結婚し、やがて王妃となりました。
でも、それだけでは彼女は満足しなかったのです。
“ピンク髪の分をわきまえない娘が、愚かな王子を『魅了』で誑かし、王子はまっとうに義務を果たしてきた婚約者に婚約破棄を突きつける。
当然、王子の我儘は通らず、王子と恋人は追放されるか処刑され、元婚約者はより良い伴侶を得ていつまでも幸福に暮らす……”
皆様、このような話に覚えがあるのではございませんか」
皆、気圧されながら、頷いた。
芝居でも、歌劇でも、小説や絵物語にも、そんなパターンの筋はたくさんある。
「あれは、王妃となった婚約者が、みずからを正当化するために作らせた芝居が元になっているのです。
物語の登場人物にも、うっすらと魂のようなものがございます。
あの手の作品が作られる度に生み出された、ピンク髪の愚かな娘達は、なぜ自分は薄っぺらで、深みも厚みも与えられないのか、なぜただただ『ざまぁ』の生贄として存在しなければならないのか思い悩むうちに──やがて、彼女たちの原型である私のところに流れ着きました。
なぜ死んだ後になっても、謗られ貶められ続けねばならないのでしょう。
この苦しみは、一体いつ終わるのでしょう。
互いに嘆き、慰めあうことはできても、私は依代である石像から離れる力はなく、このまま人知れず消えてゆくしかないのかと思っておりましたが──
こちらの可愛らしいお嬢様がたまたまお立ち寄りになり、私の像に供え物をしてくれた瞬間。
髪の色が似ているからでしょうか。
お嬢様もまた、いわれなき迫害を受けていらっしゃったからでしょうか。
なにかが通いあい、私達はお嬢様に取り憑くかたちで、王宮まで来ることができたのです」
老女は小さく笑ってみせた。
「積年の恨みを晴らすべく、もっともっと暴れたかったとは思いますが。
そちらの貴公子の才知、そして忠義な黒馬に邪魔されてしまったのも天命でしょう」
老女は跪き、そっと手をあわせて頭を垂れた。
その姿が、淡く輝き始める。
消滅の時が来たのだ。
静かに老女の話を聴いていた国王が、口を開いた。
「そなたが誰であるか、朕には心当たりがある。
代々、王家の秘事とされてきたが、そなたとそなたの恋人の名誉は、必ず朕の代で回復しよう」
老女は国王を見やり、小さく幾度も頷いた。
その眼に、新たな涙が光る。
人垣をかき分け、老女の前に一人の紳士が進み出てきた。
「私は、王立歌劇場の総監督を務めております。
俳優として、演出家として、『婚約破棄物』に関わったことが幾度もある。
罪滅ぼしに、あなたの物語を新たな作品として発表させてください」
ふふ、と老女は微笑んだ。
「ならば、悲劇ではなく、楽しいお芝居にしてください。
皆が幸せに、笑いあって終わるような」
その言葉が消える前に、老女の姿は強く光り輝き、天へと登りながら溶けていった。
黒王号が、悲しげにいなないた。
十日ほど後のこと──
念の為、死ぬほど検査されまくったジュリエットは、魅了の力を持っていないことが無事証明され、男爵家に戻された。
魅了の後遺症なのか、それとも老女の置き土産なのか、父や継母、義理の妹はこれまでのことをジュリエットに謝り、きちんと長女として扱ってくれるようになった。
今日は、先日の騒動を無事収めてくれた銀縁眼鏡の貴公子に改めてお礼を言うべく、父母に連れられて、宰相ノアルスイユ侯爵の館を訪問している。
銀縁眼鏡の貴公子グザヴィエは、侯爵家の四男だったのだ。
宰相はなにやら父母に話があるらしく、ジュリエットはなぜだかカチンコチンに緊張しているグザヴィエに庭を案内してもらうことになった。
ジュリエットは、騒動の後の王宮の様子が気になっていたが──
モテまくり人生に甘えて軽佻浮薄なところがあった王太子アルフォンスは、色々反省して公務に身を入れるようになり、王太子妃の座を巡る公爵令嬢同士のバトルも、実は王宮には幽霊が結構出ると知ったカタリナが降り、漢気を見せたジュスティーヌが王太子妃に内々定して穏便に解決。
とりあえず雨降って地固まったという雰囲気になり、老女とその恋人の名誉回復も、もうじき発表されるそうだ。
そんなことをグザヴィエに教えてもらいながら、季節の花々を美しく咲かせた花壇や凝ったトピアリーの間を巡り、テラスのテーブルで一休みでも、となった。
すぐに香り高い茶と菓子が運ばれてくる。
すっかり打ち解けたジュリエットは、遠慮なく、うまうまと堪能した。
「それにしても、どうしてグザヴィエ様だけ、魅了に引っかからなかったんですか?
魔力がめっちゃ強い国王陛下までやられてしまったのに」
グザヴィエは、くいいいっと眼鏡の真ん中を押し上げた。
「私は、他人と眼をあわせることがなかなかできない体質で。
愛らしいご令嬢相手だと、特に厳しく……
だから貴女と眼が合う前に、皆の異変に気がついたのです」
謎にドヤ顔で言ってくるグザヴィエに、ジュリエットはぽかんとした。
「その、内気というか、コミュ障というか、なんというか……
こうしていても! その! 手汗が!」
グザヴィエは、いきなり焦りだした。
「そーなんです??
あの時は、めっちゃ落ち着いて超ピンチな私を助けてくださったのに」
試しにジュリエットは身を乗り出し、きゅるん♪とグザヴィエに眼をあわせてみた。
「あが! あが! あばばばばばばば……」
グザヴィエは真っ赤になってわけがわからないことを口走る。
「かーわーゆーいー!」
「いやいやいやいや、男性にとって可愛いと言われるのは、屈辱的というかなんというか!」
「かわゆいんだから、仕方ないじゃないですか。
それとも、私にかわゆいって言われるの、厭です??」
ジュリエットは軽く唇を尖らせてみせる。
「い、い、い、厭というわけでははははは……」
黙っていればクール系インテリ眼鏡枠なのに、もはや乙女か!という風情でグザヴィエはもじもじしている。
「グザヴィエ様、やっぱりかわゆいです」
令嬢らしくふんわりと微笑むと、ジュリエットは少し考えた。
「あのー……フォルトレス男爵家って、御料牧場を運営して、競走馬を生産するのが一番大事なお仕事なんですけど、グザヴィエ様、そういう仕事に興味あります?」
「はへ!?」
「父が、早く私に婿をとって、男爵家を継がせたいって言い出して。
私が決まらないと、義妹も嫁ぎ先が決まらないですし。
もしよかったら……私はグザヴィエ様がいいなって」
「そ、その件は、今頃、父がご両親に相談しているはずですががががが!
ななななななんで貴女が私にそんな話を!?」
「グザヴィエ様は、私の命の恩人だし、かっこいいし、頭良くて素敵っていうのもありますけど。
こうしてお話してみたら、めっちゃかわゆいからです!
なんていうか……一生、守ってあげたいなって!」
きぱあっとジュリエットは胸を張った。
ふぁああああ!?とグザヴィエはのけぞった。
「ええええと、私は身体を動かすことがあまり得意ではなく……」
もしょっと語尾が消える。
きょとりと次の言葉を待つジュリエットに、グザヴィエは全身全霊、勇気を振り絞って自分から眼をあわせた。
「ですが、競走馬のデータを集め、より良い産子を得る組み合わせを探すことなら、できるかと」
なんとか言い切ったグザヴィエは、もうまっかっかだ。
「やったー!! 素敵なお婿さんゲットぉぉぉ!」
ジュリエットは、青空に拳を突き上げた。
久々にアホな短編を書いてしまいました…
御感想・いいね・★・レビュー等々、御心のままに賜れますと、アホな作者のテンションが爆上がりして、また謎作品を書いてしまいますので、よろしくお願いいたします!
この作品は、美形だけどぼんやりした王太子アルフォンスを巡って、できすぎ公爵令嬢ジュスティーヌ・野生の男爵令嬢ジュリエット・高飛車公爵令嬢カタリナなどがわちゃわちゃする「王太子アルフォンスが雑な扱いを受ける短編とか中編」シリーズ第18作です。
このシリーズからスピンアウトした、金髪縦ロールが高笑いしながら事件の謎を解いたり解かなかったりする異世界恋愛ミステリ「公爵令嬢カタリナ」シリーズは、↓のリンクからどうぞ!