17話「ニートは二度、倒れる」
全てを凍てつかせるような瞳を向けながらアリスは俺の言葉を聞くと、特に頷く素振りや納得したような表情を見せることはなく、ただ一点を見つめるように視線を合わせては決して逸らすことはなかった。
「それはわたくしを置いて行くほどの事ですの?」
そこで漸く瞬きを一回ほどすると彼女は恐ろしく静かに落ち着いた様子で口を開いて一つの質問を投げ掛けてきた。
しかしその言葉の中には自分を置いて行くほどの事という妙な意味合いが含まれている文言があることから、恐らく俺がこの屋敷を出て行くというのは既に見透かされている事だとして考えておいた方がいいだろう。
ならば今伝えるべき言い訳はこれしかないだろう。
多少の危険性は伴うが当れば一発逆転の大博打となるはずだ。
「そ、そうなんだ。実は大切な冒険者仲間が魔王軍に囚われていてな。今すぐにでも助けに行かなければならないのだ!」
アリスに事の真意を信じ込ませる為に生前の頃、小学校の演劇会で培った迫真の演劇を駆使して伝える。だが実際のところ冒険者仲間なんぞ俺には一人も居ないし、そのうえ魔王軍に囚われている者なんて無論居るはずもない。
けれどこの話を俺が持ち出した時点で彼女が何処からか勇者一行の情報を得た瞬間に全ては一つの輪となり、嘘だという事が発覚して尚且つ通報されて勇者一行の元に身元を晒されることは間違いないだろう。
これが今一番想定されうる最悪な展開のあらすじであり、多少の危険性を伴う理由だ。
「そうですの……。なら仕方がありませんわね」
どうやら俺の賭博は成功したようでアリスは納得したように呟くと、先程まで肩に力が張り込んでいたのだが今は落ち着いているように伺える。ただ気になることに彼女の言葉には感情が無いというか何処か冷めているように感じられるのだ。
「おお! わかってくれるのか! ありがとうな」
しかしそんな事を一々気にしてもしょうがないとして、親指に全神経を注ぎながらぐっと上げると可能な限り笑みを作り添えることにした。
「ですが……貴方がこの屋敷を出て行き、また戻ってくる保証がありませんわよね?」
その発言は実に唐突なものでありアリスは再び全身から冷気のようなものを漂わせると、威圧的な視線を新たに向け始めていて俺の体は金縛りに遭遇したかのように微動にしなくなった。
まるで動き封じの魔法を受けている時みたいな感覚だが、彼女からは魔法の才を一切感じられないことから恐らく体が動かないのはプレッシャーによるものだろう。
それと先程のアリスの言葉には戻ってくる保証がないというものがあるが、もしかして彼女としては俺が再びこの屋敷に戻ることを前提で考えていたのだろうか。
こういう場合は普通に考えて契約は破棄されて終わりだと、俺は思っていたのだが世間一般的には違うのだろうか。確かに契約期間が残っていれば一般常識的に続けるべきことかも知れないけど。
「だ、大丈夫だ! 仲間を助けたら直ぐに戻る! 俺を信じてくれ!」
けれど向こうの気がそういうことならばそれを阻害しては後々面倒な事になる可能性は高く、ならば今は敢えてその話に乗ることで無駄な争いは避けるべきであろう。
「ふぅん……。まあ取り敢えず一旦落ち着きましょうか。さぁ、どうぞ。私の入れた特性のお茶ですわ」
一先ず怪しまれているという部分は脱したようではあるが依然としてアリスの瞳に光が戻ることはなく、両手に抱えていた銀色のトレイを近くの机に置くと茶を飲むように勧めてきた。
しかし俺としてはティーカップに注がれた茶は色々とトラウマが蘇り苦手の筈なのだが……慣れというのは実に恐ろしいものだと実感させられる。
そう、今日という日に至るまでに俺はアリスと幾度もお茶会をしていたことからトラウマ部分が徐々に薄れて、今では普通にカップから茶が飲めるまでに精神が回復しているのだ。
これは喜ぶべきなのかどうなのか答えは分からないが飲めるという事実は確かにある。
「あ、ああ飲みたいのは山々なんだが……。生憎今はそんな時間すらも惜しくてだな?」
だけど俺は知っているのだ。女性がお茶を出すと時に限り、妙な瞳を宿している時は途轍もなくやばいことになると。俺がトラウマを植え付けられた時も、モニカが変な瞳を見せながら茶を飲めと言ってきてああなったからだ。
ならばそこから学ぶべき点は多く有り”お茶と女性と妙な瞳”という組み合わせが全て揃った時に必ずと言っていいほどに、俺にとっての厄災が起こるという考えに到達するのは至極当然の事と言えるだろう。
だがアリスは俺が茶を飲むことを拒むと途端に顔を俯かせて体を震わせ始めると……
「飲めとッ! わたくしが言っているのです! さあ、早くしてくださいまし!」
急に距離を縮めて顔を上げると鼻先が触れそうになるほどに近くて、瞳からは影すらも消えて深淵を覗き込んでいるような印象を強く受ける。
だがそれと同時に今の彼女の声はまるで魔物がとり憑いたような声であり、今までにも何度かは怒ることは有りはしたがこんな怒り方は始めで気迫に圧倒される。
そして今この場で俺が茶を飲むことを再度拒否すると殺されそうな雰囲気もあって、現状のアリスは完全に狂気に身を落としていると言っても過言ではない状態だろう。
「わ、わかったよ。飲むよ。だからそんな怖い顔をして俺を睨まないでくれ……」
鼻先が触れそうになるほどに近い顔から離れるように横に逸れると、アリスの首は油が抜け機械のような歯切れの動きを見せて視線を逐一向けてくる。もはやそれはホラー映画のようなもので一体、お茶を飲ませることにどれだけの意味があるというのだろうか。
「はやくはやくはやく! はやくしなさいッ!」
そう考え事をしているだけで動きが止まると直ぐに彼女は壊れたラジカセのように何度も同じ言葉を口にして茶を飲むように催促をしてくる。
「はぁ……。まさかアリスにあんな一面があったとはな。さっさとこれを飲んで屋敷から離れないと殺されかねないぜ」
背後で監視するように立ち尽くしているアリスに聞かれないように独り言を呟くと銀色のトレイに乗せられているカップに茶を注ぎ込むが、確かに珍しい茶葉を使用しているだけのことはあるのか匂いが独特で嗅いでいるだけで頭が痺れそうになる。
本当にこれは飲んでも大丈夫なお茶なのだろうか。なにか劇薬的な雰囲気が大いに漂うのだが……背後からは今にも刺してきそうな威圧を放っているアリスが居る。
故に今の俺に残された道は、この見るからに紫色をしている怪しげな茶を完飲することのみ。
「ああクソが! ええいままよ!」
頭を掻き毟りながら右手でカップを手にすると半ば投げやりで覚悟を決めて、一気に飲み干すべくカップを口元に押し付けて未曾有の茶を口の中へと流し込む。
その際に匂いが一段と強くなり鼻腔を瞬く間に突き抜けていくと脳が考えることを放棄したのか徐々に意識が遠くなっていき、最終的には目眩まで発症させて立っていられなくなった。
「く、くそったれ……」
たまらず膝から崩れ落ちると尻を床に付けて座り込むが手足の感覚すらも徐々に失っていくと、やがて座っていることすらも苦痛となり横に倒れるようにしてうつ伏せとなる。
「二度と女から出された茶は飲まないぞ……くはっ」
なにを今更と思われるかも知れないが金輪際ティーカップに注がれた茶には決して自らの口を付けることはないと、遠くなる意識の中でそれだけは揺るぎのないことだとして心中で誓う。
最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
宜しければ評価と、ブックマーク登録を、お願い致します。
活動の励みとなり、更新が維持出来ます。




