私室でご飯を炊くマーギン
時は少し遡る。
「お母様、マーギンって過去から来た人なのかな?」
マーギンがミャウ族の集落で押せよー、押せよー、押せよーをしている頃、カタリーナは王妃の私室に来て話をしていた。
「あら、面白いことを言うのね。どうしてそう思ったのかしら?」
王妃はマーギンが古文書を読めたときに過去の話を少し聞いたが、おくびにも出さずにカタリーナに聞き返す。
「あのね、タイベで壊れた遺跡に行ったの。そこに骸骨になった人のお墓があって、マーギンはその骸骨を見てボロボロと泣いたの。お墓は遺跡の中に隠されてて、読めない字をマーギンが読んでくれて発見できたんだ」
「そんなことがあったの。でもマーギンさんは博識ですからあなたが読めない字を読めてもおかしくないわよ。それに人は死ぬと遅くても数年で骸骨になるのよ」
「そうなの?」
「そうよ。なぜ遺跡と呼ばれる場所にお墓があったか分からないけれど、亡くなられたのはそんなに昔のことじゃないのかもしれないわね」
王妃はそれらしい説明をした。
「なーんだ。マーギンってすっごい魔法も当たり前のように使えるし、どんな魔物もバンバンと平気で倒すから、実はお伽噺に出てくる勇者なのかと思っちゃった」
「そうね、マーギンさんはこの国にとっては勇者ですわね」
「あ、そっか。そう言われたらそうだよねぇ。あー、マーギンが早く帰ってこないかなぁ」
「ちょっとの間、いないだけでしょ」
「だって、マーギンといると楽しいんだもん。絶対に守ってくれるって安心感もあるし」
「あなたにはローズが付いてるでしょ?」
「うん。でもマーギンはなんか違うの。別世界の人ってやつ? 酷いことをされたりするけど、絶対になんとかしてくれるから」
「酷いこと?」
カタリーナはタイベでのあることあることを説明したのだった。
◆◆◆
マーギンが王都に戻った翌日、シスコは魔道具ショップ、バネッサは特務隊の訓練所に向かった。マーギンは娼館へ。
「ババァ、シシリーはタイベに残るってよ」
「そうかい、好きにすりゃいいさ」
「ずいぶんとあっさりしてんな。シシリーがいなくなると困るだろ?」
「その分、あたしが長生きすれば済むことさね。ヒッヒッヒ」
ババァはあと何年生きるつもりだ? というか死なないのかもしれん。
「あと、これを食えるなら土産にやるぞ」
マーギンはイクラを出した。
「魚の卵かい?」
「そう。専用のタレを作って漬けたんだ」
味見をするババァ。
「悪くないね。これは定期的に手に入るのかい?」
「毎年手に入ると思うよ。ただ、年に1回か2回くらいしか手に入らない。それをタレに漬けて、冷凍するんだ。それがなくなったらその年のイクラは終わり」
「なら、1年分置いていきな」
「1年分ってどれくらいだよ? ババァが食うだけか?」
「これは仕入れさね。10kgほど置いといておくれ」
「店で出すのか?」
「そうさ。こいつは酒のつまみになるだろ」
「俺は好きだけど、魚の卵って人気ないぞ」
「あんたがそんな心配する必要ないんだよ。さっさと置いていきな」
「酒もワインには合わないぞ。酒も仕入れるか?」
「蒸留酒には合うだろ」
「タイベ産の酒の方が合うぞ。これ飲んでみろよ」
と、日本酒を少しだけ飲ませる。
「これも樽で置いていきな」
「一樽だけな」
「ケチケチすんじゃないよ」
「ケチケチしてるんじゃない。使う予定があるんだよ。これは追加で手に入るから、がっつくな」
「そうかい。ダッドの店にでも卸すつもりかい?」
「いや、社交会で使うんだ」
「……社交会ねぇ」
あ、しまった。余計なことを言っちゃたわ。
「ま、そういうこと。あとこれはババァにだ」
アジの南蛮漬を渡す。
「あたしだけかい?」
「そうだ。今日の晩飯にでもしてくれ」
これでここでの用事は終わり。店を出ようとすると、
「マーギン、仕入れ代金を回収しないつもりかい?」
「イクラと酒の金か? 今回は土産だからいらんよ。次からはハンナリー商会に発注してくれ。俺は商売人じゃないからな」
「ったく、お前は」
「ババァが旨いと思ったならタバサの墓にも供えてやってくれ」
「遊女に墓がないの知ってるだろ」
「なら作ってやってくれよ。お供えする場所がないから不便なんだよ。じゃな」
こっちの世界は遊女どころか庶民の墓もない。これは昔もそうだった。墓は一部の上流階級のものしかない。それはそれで別にいいのかもしれないけど。
次はリッカの食堂へ。まだ昼の営業前だからちょうどいい。
裏口から店に入る。
「誰だ……って、マーギンか。ずいぶんと久しぶりだな」
「ずっとバタバタしててね。今年は薪と炭は足りそう?」
「いや、難しいな」
「だろうね。準備しとくわ」
「この前の冬も助かった。いつも悪いな」
「薪と炭は魔法で作れるからいいんだけどさ、いっそのこと魔道具にしたらどうだ?」
「そんな高い物を買えるわけねぇだろうが」
「作ってやるよ。それなら費用は掛からんだろ。魔石の方が高く付くかもしれないけど、薪が手に入らないよりいいんじゃないか? 魔石や魔結晶はそのうち値下がりするだろうし」
「お前はまたホイホイと貴重な物を……」
「魔道具なんて貴重でもなんでもないんだよ。ただの便利道具だ」
「買うと高いだろうが」
「俺が作れば費用は不要だろ? 厨房や寝室とかはダミーの箱とかいらないけど、食堂はそういうわけにもいかないから、なんかそれらしき箱でも作っておいてくれ」
「寝室とかにも付けてくれんのか?」
「ついでだからな。本題はこれをここで扱うかどうか決めてくれよ」
と、イクラを出す。女将さんとリッカにも食べてもらおう。
「魚の卵なんていらないよ」
女将さんは気持ち悪いようだ。大将は一口食べた。
「悪くねぇな。仕入れ値はどれぐらいになる?」
「どうだろうね? 今はお試しだからまだ卸値をいくらにするか分からん。そのうちシスコが値付けするだろうから聞いてみて。あと、タイベの酒も置いていくから、売れそうなら仕入れてやってくれ」
マーギンは少しだけ大将に飲ませる。
「この魚の卵と合うな」
「魚介類と醤油を使った料理に合うよ。大将の煮込み料理に醤油や味噌を使うようになればそれに合わせてやればいい」
リッカがこそっと日本酒を試そうとして、女将さんに手を叩かれていた。飲むなら店が終わってから飲め。
リッカの食堂での用事も終わり、訓練所に向かう。ローズに魔法を使えるようにするのと、カタリーナが聖女になるかどうかの確認を取らねばならないのだ。
訓練している人数が少ない。実戦に出ているのだろうか? 残っているのものがやってるのは基礎訓練だな。
「マーギンっ!」
ヒョイ、ベチャ。
相変わらずのカタリーナ。こいつは怪我しても自己治癒するから気にしないでおこう。
「もうっ!」
「だからいちいち飛び付いてくるなと言ってるだろうが」
「タイベではそんなこと言わなかったじゃない。おんぶしてくれたり抱っこしてくれたり普通にしてくれてたのに」
誤解を招くようなことを大声で叫ぶんじゃない。
「あれは移動するためだろうが」
「でも、してくれたじゃない」
「ここではあんな移動をしないからな。それより、王妃様と面会したいんだけど、いつにアポが取れそうだ?」
「なら、今から行く? 多分大丈夫だから」
まさか王妃って暇なのだろうか?
「いつもいきなりで大丈夫か?」
「マーギンなら大丈夫だよ」
「分かった」
マーギンは王妃の所に行く前にローズの予定も確認しておく。
「ローズは今日の夜とか予定ある?」
「べ、別になな、何もないぞ」
なんか慌てるローズ。
「じゃ、うちで晩御飯食べる?」
「わ、分かった」
「私はー?」
「お前がいたらローズの仕事がいつまでも終わらんだろうが。今回はローズに用があるからお前はなしだ」
「えーっ。……あっ、もしかしてエッチなことするの?」
何を言い出すのだ君は?
「しませんっ。まだ子供のクセに余計なことを言うなっ!」
「成人してるもーん」
「年齢だけだろうが。いい加減落ち着け」
「ぶーっ」
膨れっ面になるカタリーナ。そういうのが子供なのだ。
王妃の元に向かうと、普通に通される。やはり暇なのだろうか?
「突然申し訳ございません」
「宜しいのよ。今回の用件は何かしら?」
「社交会の料理の件です。アジの南蛮漬は揚げたものだけにしてはどうかと思うのです。小骨を全部除去して焼くと身がボロボロになるので、料理としては見栄えがよくないのかなと」
「揚げたもの?」
「はい。カタリーナが王妃様に召し上がっていただいのは焼いたもので、揚げたものの方が主流なのです。作ってきましたので味見をしていただいて宜しいですか?」
アジの南蛮漬を毒味なしで食べる王妃。
「こちらも美味しいですわ。他の方々にはこちらの方が向いてますわね」
「では、社交会前日に仕込んでもらいますね。下処理は全部してありますので、揚げてタレに漬けてもらうだけで大丈夫ですから」
「マーギンさんがして下さったの?」
「社交会に出す量のアジを手で捌くのは大変ですからね。マジックコンテナに入れてお渡ししますよ」
「マジックコンテナとは?」
「マジックバッグの大きい版です。ハンナリー商会で使う予定にしていますので、同じものを献上しますよ」
「それはどれぐらいの容量が入るものかしら?」
マーギンはベランダストッカーぐらいのサイズを手で示した。
「これぐらいのサイズで、1頭立ての荷馬車ぐらいですかね。マジックバッグを保存用に使うためのものですから、そこまで大容量にしてませんよ」
マーギンの常識はズレている。十分大容量過ぎるのだ。
「贅沢な使い方ですわね」
「魚介類の鮮度を保つのに適してますからね。これは販売するつもりはないので、王家の食品保存用としてお使い下さい」
「分かりました」
「それと、こういうものは召し上がられます?」
王妃にもイクラを試してもらう。
「これは?」
「鮭の卵を醤油ベースのタレに漬けました。アジの南蛮漬用に準備した酒とも合いますので、ちょっとしたつまみによいかと」
王妃には大根おろしではなく、クラッカーの上にクリームチーズとイクラをのせる。
「黒い小さな魚の卵よりずっと美味しいですわね。これもまだお持ちですの?」
王妃の言ってるのはキャビアかな? 俺もイクラの方が旨いと思う。
「まだありますけど、今シーズンは手持ちの分で終了です。追加発注が来ても手に入るのは来シーズンになりますね。鮭の卵は手に入る期間が短いのですよ。少しズレると小さ過ぎたり、大き過ぎたりするので。今シーズンはちょうどよい時期のものが手に入りました」
「マーギン、私も食べたい」
今のやりとりを見ていたカタリーナも食べたいと言う。うぇぇぇ、しないだろうか?
「なら、昼飯をこれにしてやろうか? サーモンの刺身と親子丼にしてやるぞ」
「丼? とは何かしら?」
「丼とはご飯におかずをのせたものです。サーモンの刺身とイクラをのせた米のご飯ですね」
「あら、ではお昼ご飯にそれをいただきましょうか」
あ、王妃も食うのか。
「ではご飯を炊きますので、少々お待ち下さい」
マーギンは王妃の私室で米を炊き、何をしているのだこいつは? という目でお付きの人達に見られるのであった。