ふたりきりの夜
「今日の事を怒りに来たの?」
「違う」
家に入ってリビングではなく、ダイニングのテーブルに座って話をする。ローズは違うと言ったきり、なかなか話を切り出そうとしない。
「ちょっと飲む? 前に北の領地で買った美味しいワインがあるんだよ」
「酒は……いや、少しもらおうか」
グラスに赤ワインを注ぐ。おつまみはチーズだ。ローズはグラスのワインをぐっと飲み干した。
「マーギン、私は結婚することになったのだ」
ようやく切り出したローズ。
「おめでとう。良かったね、護衛任務が終わるまで待ってくれる人がいて」
マーギンは結婚すると言ったローズに笑顔で答えた。
「なんならそのまま護衛任務を続けてても構わないと言われている」
「へぇ、貴族って、奥さんは家にいるものだとか言うと思ってたよ。ローズもいきなり家庭に入るより、護衛任務をやりきれるなら良かったじゃん」
「そうだな……」
「その割には浮かない顔だね。なんか嫌な事でもあるの?」
「私は……マーギンは私の事を綺麗だと思うか?」
「思ってるよ。前にも言ったけど、騎士姿もドレス姿も似合ってるよ。できればミニスカート姿も拝みたかったけど、見れる機会なかったね」
と、笑顔で答える。
「マーギン……私は結婚相手に綺麗だと言われても何も嬉しくはなかった。だがマーギンに言われると照れ臭くはあるが嬉しいと思う」
「いつも真っ赤になってたよね。それもまた良しだよ。俺も冗談とか冷やかしで言ってたわけじゃないよ。剣を構える姿も凛として格好良かったし、ミミズピーマンに怯えて蹲るローズも可愛いかった」
「ミミズピーマンはトラウマになるぐらいだったぞ」
「悪いことしたなぁとは思うんだけど、騎士姿のローズとのギャップが可愛くてね。でももうあんな事をする機会はないから安心して」
「もうそんな機会はないか……」
「そう。ローズは貴人の護衛騎士を目指して頑張った。それが叶ってカタリーナの護衛騎士をしている。特訓で気配察知や気配を消す事もできるようになった。もう俺が特訓する必要がないんだよ。他の皆もそれぞれに目標を持って頑張っている。あとは皆自分でやれるんじゃないかな」
「バネッサには新たな敵と実戦訓練をやらせるのだな」
「そうだね。バネッサは何か明確な目標を持ったんじゃないかな。かなりというか、凄く強くなってる。それでもまだ強くなろうとしているからかなり高い目標を持ったんだと思う。だからもう少しその手助けってのかな、体験をさせてやろうと思ったんだ。それが特務隊のためにもなるしね」
「マーギンはバネッサの事が好きなのか?」
「正直言うと好きだよ。ややこしい性格をしているけどあいつは自分の心に素直だ。それに頑張り屋でもある。頑張ったら必ず報われるわけじゃないけど、報われて欲しいと思う。だから今以上の事をやろうとするなら頑張り方を教えてやりたいと思うんだよ」
「マーギンは人の事をよく見ているのだな」
「俺は頑張ってこなかったからね。頑張ってる人が眩しく見えるんだよ」
「マーギンも頑張ってきたからこそ、そんな力を身に付けたのだろうが」
「俺は頑張ったから力が身に付いたわけじゃない。魔法の能力は勝手に与えられたものだ。だからやらざるを得なくなっただけだね」
「それは使命というものか」
「そう。俺に与えられた使命。それを成すためにこの力が与えられた。俺の存在価値はそれだけの為にあるんだよ」
「そんな事はない。マーギンと出会って、マーギンがいたから私は……私は護衛騎士になれたのだ」
「それは結果論。カタリーナの護衛騎士になれたのはローズが頑張ってきたから。俺はその手伝いになったかもしれないけど、ローズを選んだのはカタリーナだ」
「では私はやはり姫様の護衛騎士は失格だ。私の事で姫様にご迷惑をかけてしまった」
「なんかやらかしたのか?」
「私の事で姫様に余計な心配をかけてしまった」
「なんの心配?」
「そ、それは……私の気持ちだ。私は貴族の娘として生まれ、貴族としての義務を果たさねばならない。しかし、それに耐えられない自分がいる」
「何が耐えられないんだ?」
マーギンがそう聞くとローズはマーギンをじっと見つめた。
「私はマーギンの事が好きだ。他の男と結婚などしたくはないのだっ」
そう告白したローズはポロポロと涙を流す。
「マーギンが私をそのような対象として見ていない事は分かっている。だけど、この気持ちはどうすればいいのだろうか。他の男に嫁げば忘れられるのだろうか。私には分からない。だけど、どうしても他の男に嫁ぐのが嫌なのだ。貴族の娘としての義務を果たさねばならぬ事も理解している。貴族の結婚とは好きや嫌いでするものではないということも分かっている。でも私は嫌なのだ……」
「ローズ……」
マーギンはどう答えていいか分からない。オルターネンからローズも自分の事を好きだろうとは聞かされていたが、目の前で女性から告白されたのは初めてだ。もし、もし自分が普通の人間であれば……
目の前で涙を流しながら自分を好きだと言ってくれたローズ。ぐっと抱き寄せて自分も好きだと言いたい。だが……
「ローズ、俺は昔から貴族のしきたりとかよく理解できないんだよね。そんなにその人と結婚するのが嫌なら結婚しなきゃいいじゃん。断ったら誰が困んの?」
マーギンはいつもの自分を装った。
「えっ?」
「いや、家を継ぐ人なら理解できるんだよ。お家の繁栄とかもあるだろし、爵位の事もあるだろうからね。でもローズは家を継がないから別に家に迷惑かけないんじゃないの?」
「そ、それはしきたりが……」
「ローズが結婚を断ったらバアム家がなんかされんの? もしそうなら俺がなんとかしてやるよ。相手の家を潰して欲しいなら俺が潰してやる。社会的抹殺でもいいし、物理的に潰すのでどちらでもいい。ローズ個人に何かしてくるなら、精神が崩壊するぐらい恐怖のどん底に落としてやる。だから、そんなに嫌なら断れ。で、ローズがこの人となら大丈夫と思える人が出てくるまで探せばいい」
「マーギン……」
ローズはマーギンがそんな事を言ってくれるとは思わず、心に絡み付いた鎖が解けていくような気がした。
「俺もローズの事好きだよ。でもそれは推しとして好きなんだよ」
「推し?」
「そうだ。俺はローズのファンだ。真のファンとは推しの幸せを願うものだからね」
「い、意味がよく分からないのだが……」
「俺はローズの事をずっと応援しているってことだ。残念ながら俺がローズを幸せにすることはできない。だから応援をする。ローズになんかしてくるやつがいたら叩き潰す。どんな手を使ってでもな。俺の力はそのためにあるのかもしれない」
「お前は何を言って……」
「ローズ、俺の事を好きだと言ってくれてありがとう。俺の気持ちは天にも昇るようだ。だけど俺は普通の人間じゃない。恋愛……ましてや誰かを娶れるような存在じゃないんだよ。だから全力で応援する。この答えじゃダメか?」
「ダメとかより人間じゃないとか、存在じゃないとか何を言っているのだ……」
マーギンは一息付いて、覚悟を決めた顔をする。
「ローズ、俺はね、この時代の人間じゃないんだよ。前に仲間に飛ばされてここに来たと説明したけど、本当はちょっと違う。魔王がいた時代から未来へと飛ばされたんだ。飛ばされたというか、石化されて、目覚めたらこの時代になってたというのが本当のところだね」
「私をからかっているのか?」
「本当の事だ。俺は魔王を倒すためだけに存在する。そのためにこの力を与えられた。それに魔王が死ぬまで俺は歳を取らない。俺は人類が魔王を倒すためだけに作られた存在なんだよ。騙しててごめん」
「マーギン、意味が……意味が分からないのだが……」
「そうだね。ちょっと長くなるけど、ちゃんと話そうか。今日は帰れなくなると思うけどいいかな?」
そう聞くとローズはコクンと頷いた。
マーギンは順序を追って何があったのか話をしていく。魔王に対抗するために自分が召喚されたこと、そして本体は元の世界にいるだろうということ、勇者パーティに裏切られて石化されたと思っていたこと、でもそれは誤解だったこと、時間をかけてローズに1つ1つ説明をした。
「ほ、本当の話なのか?」
「うん。ローズはこの本を読める?」
「こんな古い本が読めるわけがない」
「だろ? これは魔王討伐の冒険譚。俺を召喚したアリストリア王国が作成したものだと思う。だから俺ともう1人の事は書かれていないけど、読み聞かせてやるよ」
マーギンは魔王討伐冒険譚の絵本をローズに読み聞かせた。
「事実とはちょっと違うけどね」
「本当……本当のことなんだな」
ローズはマーギンが冗談や自分の気持ちを受け止められないごまかしで言っているのではないと理解する。
「きっとあの時に魔王を倒しきれてなかったんだろうね。だから俺は魔王復活に合わせて復活したんだと思う」
「他に誰が知っている?」
「娼館のババァ、リッカの食堂の大将と女将さん、大隊長、ちい兄様だね。王妃様は多分気付いている」
「ちい兄様は知っていたのだな……」
「ローズの事があったから自分の事を説明しておいたんだよ。大隊長には国に魔物対策をとってもらわないとダメだから話した。ただ、俺が魔王討伐のために他の世界から召喚というか作られた存在だというのはローズにしか話してない」
「マーギンはそんな事を抱えていたのか」
自分が作られた存在だと笑顔とも苦悩ともとれるような表情で言ったマーギンにローズはポロっと涙を流す。
「色々と思うところもあったけど、感謝もしてるんだよ」
「感謝だと……?」
「そう。元の俺はきっと何も成さずにダラダラと生きて死んだんだろう。兄を羨み、どうせ自分はと卑下しながらね。でもここでは色々とできているし、与えられたものではあるけど、明確な目標がある。それにローズみたいな素敵な女性に好きだと言ってもらえた。これ以上望んだらバチが当たるってもんだよ」
と、マーギンは笑顔で答えた。
「お前ってやつは……」
ローズの顔は涙でクシャクシャになっている。
「ローズ、まだ強くなりたいと思ってる?」
「思ってはいるがどうしてだ?」
ずずっと鼻をすすったローズ。
「ちょっと実験に付き合ってもらいたいんだけどいいかな?」
「実験?」
「そう。俺はもしかしたら人の魔力総量を増やせるかもしれないんだよね」
「えっ?」
「カザフ達、アイリス、バネッサ、ハンナリーの魔力総量の増え方が常識とは異なるんだよ。こいつらの共通点って何か分かる?」
「マーギンがよくかまっている者たちだというのは分かるが」
「そう。俺とくっついてる時間が長い人達なんだ。おんぶしたり、一緒のテントで寝てたりする事が多い人。多分俺と一緒にいると魔力が増えるんじゃないかと思うんだよ。実際、ハンナリーで確認したけど伸びが大きかった。だだ、皆成長期の影響だという可能性も否定できない。バネッサは特例なのか? とか、確証を持てないんだよ」
「わ、私は何を協力すれば良いのだ?」
「嫌じゃなければ抱きしめさせてくれないかな?」
「えっ?」
「おんぶでもいいんだけどね」
「嫌ではない……でもおんぶは嫌だ」
「これで魔力が伸びるようなら攻撃魔法も教えてあげられるからね。剣だけでは対応できない敵に有効手段が増える」
そこまで言うとローズは立ち上がってスッと両手を前に出した。マーギンはそれを受け止めるように抱きしめる。
ローズを鑑定すると魔力総量は前に見た時とあまり変わらない。マーギンは鑑定しながらローズを抱きしめ続ける。
あっ……やはり伸びた。1、たったの1ではあるが今魔力が伸びたのだ。
「やっぱり魔力が伸びたよローズ」
「こっちを見るな」
真っ赤になっているローズ。それに気付いたマーギンも赤くなる。このままいっそ……いや、ダメだ。これは実験、これは実験。しかし、このペースで伸びても一晩では10程度の増加だろう。実験としては成功だけど、ローズにはあまりメリットがない。そう思ったマーギンは魔力増加を意識してローズに魔力を流していく。
「なっ、何をしているのだ……何か身体に熱いものが流れてきて……マーギン……」
「今、魔力を流している。この方が早く伸びるかもしれないから。抵抗せずに受け入れて」
そう言うとローズはギュッとしがみついて来た。
ピコン、ピコン、ピコン。
思った通りだ。ローズの魔力総量がどんどん伸びていく。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
しばらく魔力を流し続けていると胸の中にいるローズの息づかいが荒くなっていく。身体からも熱を発して汗が流れている。もしかしたら魔力暴走と同じ状況になってるんじゃなかろうか。魔力総量も大幅に伸びて1100を超えた。もう攻撃魔法を使える魔力総量だ。いきなりこれ以上伸ばすのは危ないのかもしれない。
マーギンはローズに流している魔力を少しずつ減らしていく。
クラッ。
おっと、俺も足にきてる。そんなに魔力を使ったのだろうか。相変わらず自分の魔力総量はエラー表示だけど。
「ローズ、終わったよ」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
ローズはぐったりとしているので、ソファに寝かせる。
「何か飲む?」
「水を……」
ソファに寝転がったローズは汗をかいて赤い顔を手で隠している。
コップに水を入れて渡してやると、上半身を起こしてごくごくと飲んだ。
「ごめんね、魔力暴走みたいな症状になったのかもしれない。大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。マーギンから流れて来た熱いものが体中を駆け巡っていた。あれは身体強化の魔力と違うのか?」
「無属性、いわゆる純粋な魔力ってやつだね。でもローズは魔法使いと呼んでいいぐらいの魔力量になったよ」
「えっ?」
「ローズの魔力総量が1100を超えた。タイベから戻ってきたら攻撃魔法を使えるようにしてあげるよ。イメージ的には魔法剣士、サリドンと同じようなタイプになるね」
「私が攻撃魔法を使えるようになるのか……」
「今教えてもいいけど、使い方の指導ができないから戻ってきてからにする。そうしないとローズは勝手に使っちゃうだろ? 攻撃魔法って危ないんだよ。それに増えた魔力量が身体に馴染むのを待った方がいいかもしれないしね」
「マーギン……」
「お風呂に入ってから帰る? 俺も初めてやったから加減が分からなくてやり過ぎたかもしれない。熱が出て汗だくになったろ? 本来は俺から魔力を吸収するのがいいんだろうね。今回無理矢理流したみたいな感じになったから、身体に負担を掛けたかもしれない」
「吸収ならこんなにぐったりしないのか?」
「多分。でも時間が掛かると思う。だからちょっと魔力を流してみたんだ」
「そうか……」
「吸収も効率よくする方法はあると思うんだけどね」
「どうするのだ?」
「肌の密着。全部脱いでくっついて実験してみる?」
裸でくっついてみる? と聞かれたローズは真っ赤になってポカポカしてくる。
「おっ、お前と言うやつはっ、お前と言うやつはっ……そんな事を言うのは私を娶ってから言え……」
「ごめん」
こうしてふたりきりの夜は明けたのであった。