聖女の姉は助けを求める
連れてこられた時のことを思い返せば、確かにミシェル嬢と、アリスの、聖女様の部屋にいるときにかどわかされたのだ。
ーとなれば、聖女様と間違ってミシェル嬢が連れてこられても、おかしくはない。
彼女の髪は見事な銀髪だ。アリスの髪の色とは違うが、金や銀の髪色が高い魔力のあかし、という言葉にのっとれば最上位の魔力を持っているということがわかる。知らない人が見れば聖女だと思っても無理はない。
ミシェル嬢のそばによる。
声を出さなかったのは、アリスの声を覚えられている場合、声が違うことから気づかれるおそれがあったからだろうか。そこまで考えが及んでいたかはわからないが、しゃべらないでいてくれてよかったと思う。
近づくと、目には涙を流した跡があった。
漫画ではよく窮地に陥っても誇り高くどうたらとか構えてる貴族令嬢を目にするが、やはりわけのわからない窮地に立たされて平常心でいられる未成年など通常いないということだろう。
けがはないかと声をかけても、返事はない。
ふと、この部屋がやたら暖かく、煙のにおいがすることに気づいた。
「この部屋、何を燃やしているんですか。」
部屋の隅で何かが燃やされている。なんのためだろうか。
「大丈夫、換気はしてるから。」
一酸化炭素中毒や急激な換気でのバックドラフト現象は心配いらないという意味かもしれないが、そういう問題ではない。
風向き的にミシェル嬢は煙を直接吸い込みかねない位置にある。
一酸化炭素中毒の特徴である鮮紅色の唇はないが、目元はうつろだ。
何か薬効のあるものを燃やしているのだろう。
ともに連れてこられた人間の無事は確認した―が、ここからどうしたものか。
これがアリスであれば、それとなく話を合わせたうえでいったんフリート王国の味方に付いたふりをするつもりだったのだ。
最悪、アリスに一か八かで異世界転移魔法を使ってもらって元の世界に逃げかえればいいとさえ思っていた。だが、アリスがここにいないとなると話は別だ。
もしかすると私だけ人質として連れて帰る可能性はあるかもしれないが、聖女が相手国にいる状態で不和を生む外交が望ましくないのであろうことはわかるし、成果として望まれていないものでもなにかしら持ち帰るというよりは、ハイネという男は思い切りのいい性格をしているようにも思う。
もちろんそれは私だけでなく、ミシェル嬢も危険にさらすことになるだろう。
もしも、私が彼らなら任務失敗と判断してー間違えてかどわかした二人を処分した後、自国の仕業であると考えられる痕跡を消して帰国するだろう。国の中心部に連れて帰った後でも同じことだ。
最悪の場合でもアリスは無事なのは、不幸中の幸いだ。
そもそも連れてこられたのはアリスではなかったし、王宮内への侵入を加えた誘拐事件の前例があれば対策は厳しくなるだろう。ただ、現状を打開するためにアリスを計算に入れてしまっていた分、こちらが助かる算段が―立てられない。
場所さえ伝わればそのうちアリスが見つけてくれるのかもしれないという希望はある。少なくとも、アリスは私がいなくなれば間違いなく気にかけてくれるだろうし、危険な目にあっているということを知れば助けようとしてくれるだろう。
ーただ、あの殿下がどれだけ動いてくれるのか。
ーそして、今王宮に不在のアリスがいつ気が付いてくれるのか。
クリス様はそのうち気づいてくれるだろうが、防御魔法が発動しても、到着までには死んでいる可能性が高くなってきた。
「次の転移まであとどのくらいだ。」
「あと、20分ほど魔力の回復にかかるそうです。」
「次の転移先では準備は整っているのか。」
「報告は来ていませんが、予定通りなら準備も間に合っているはずです。遅れている連絡がないのなら、大丈夫かと」
ハイネと兵士の声が聞こえてくる。
ミシェル嬢と私がここにまとめてつれてきているのが転移魔法だと考えると、この転移も転移魔法のことだろう。それまでに場所を知らせる手段を考えなくてはいけない。
さっき、転移魔法でハイネともうひとりなら国の中心まで直接帰れるという話をしていた。ここに助けが来るのが間に合わなかったとしても、おそらく次の魔法で予定の場所に帰ってしまうのだろう。
「-ハイネ様。妹の様子がおかしいのですが、どういうことか、説明してもらえますよね?」
「魔法をもし使われたら逃げるのを止められないといっただろう。魔法の類は聞かないから、薬物で意識を落としてもらっているんだ。」
風向き的に、少し私の気道にも入ってきている。
普段からそんな危険な薬物のにおいは鍵慣れていないので何かはわからないーいや、
火を起こしているところから炭化した植物が一部風で飛ばされてきた。
大麻だ。
「ーこれ・・・!」
「ーはは。悪いが私は用心深くてね。おなたと同じく、口約束程度ならすぐに破られると思っている。妹君に先に会わせに来てあげただけでも優しいと思ってほしいし、誠意があると思ってくれ。」
そう言ってハイネは私の胸ぐらをつかみ、唇を覆うように唇を重ねてくる。
不快感に続いて全身に鳥肌が立つ。
口に侵入してきた舌に歯を立てた次の瞬間、殴り飛ばされた。
。私を殴り飛ばした後、彼が床に吐き捨てたつばには血が混じっている。
「ーとんだじゃじゃ馬ですね。」
「身の危険を感じてなりふり構わず居られるほど、人間出来ていませんから。」
「これから配偶者になるかもしれない相手からのキスに、身の危険ですか。
ーまあ、間違いではないのですが」
ふと、体が熱を持っていることに気が付く。
この感覚は経験がある。
アリスの魔力を、私の体を通したときにおこった感覚だ。
あの時よりはましだが、体中の血が沸騰しているような感覚。
「姉君に魔力がないことは見ればわかるのでね。魔力を入らない器に魔力を流し込めば、器は物理的にもうごけなくなるんですよ。」
説明されなくても知っている。
どこかで切ったのか口の中に血の味がするが、目の前のいけ好かない男の唾液の感触が残るよりましだとあきらめた。
目の前のいけ好かない男は、兵士に見張りを指示して去っていく。煙を吸わないためだろう。
意識が遠のきそうだが、まだ意識を飛ばすわけにはいかない。
飛んできた火の粉を後ろ手に握りしめる。熱さと痛みで少し目が覚めた。




