聖女の姉は交渉したいー1
「ハイネ様、あちらはどうですか。」
ハイネ様と呼ばれた男は、屈強な男たちに頭を下げられながらこちらに向かってくる。
名刺にあった名前とは違う気がするが、あちらは当然偽名だろう。
「あー全然ダメ。警戒しまくって何も話してくれる状態じゃないね。協力してくれるのが一番早かったんだけど。」
話してくれる状態ではない、というのはどういうことだろうか。錯乱しているだけならまだいい。何かけがなどしているのかもしていないか心配だが、あまりに冷静であることを悟られ、既に目を覚ましてから時間がたっていることを気取られてもいけない。
アリスは、何も話していないらしい。なら、私も何を言われようと黙っているのが良いだろう。
相手が持ちかけてくる交渉が難であろうが、自由を奪って対等でない状態に持ち込んでくる段階で碌なものではない。
こちらをじっと見降ろす商人だった男はわたしの傍まで来てしゃがんだ。
茶色い髪のカツラを外すと、下から少し鈍い色だが銀色の髪が現れる。
後ろで一つに束ねられた紙が背中に落ちている。
「あらためてはじめまして、フリート王国第6皇子のハイネと申します、お見知りおきを。」
胸に手を当てて挨拶してくる。
「どこかでお会いしましたか?…現状をお聞きしてもいいでしょうか。」
一応首を左右に振ってあたりを細かく見渡すそぶりをする。
少しでも多くの情報が欲しい。莫迦のふりをした方がいいだろう。
「はは。どこかでお会いしましたかとは!そんな不安げな娘のような表情をしたところで、油断させられると思わないでくださいね。」
思った以上に私の演技は下手だったようだ。
後ろ手に縛られたまま座り、睨み直す。
「痛いのですが、この拘束は、解いてもらえませんか?」
「不便でしょうね。簡単な魔法なら発動できないように拘束してありますから。けど、解いたら逃げるでしょう?こちらとのお話と、契約が終わったら解放しますよ。」
本当は解いてもらってもここから逃げるような魔法は一切使えないのだが。
「…お話とは?貴方にいただいた盗聴器のおかげで、全てそちらに私たちの状況は伝わっているのかと思っていましたが。」
「やっぱり、壊れたのはたまたまではなく、途中で盗聴器だってわかったから壊されてしまったんですね。残念でしたね、壊すのではなくそこからフェイクの情報でも流しておけば、もう少し違った方向に誘導されたのかもしれませんが。」
少し近づく。
「…ふむ、顔はまったくにていないな。」
うるさいな、と吐き捨てたくなる。
普段言われてもいちいち劣等感を抱くことはないが、こう明らかに格下だ、という目をされるのは不快極まりない。現代ではルッキズムのことが話題になりがちではあるが、それはきっと、こういう容姿で人を見下す人間のせいだろう。
多少鼻筋は通っているが、クリス様ような輝かしさは全くない。目に至ってはキツネを思わせる。
「聖女様の姉君ですよね?」
「…」
口を開くと余計なことを言いそうなので黙った。
「まあ返事を頂かなくてもわかっているんだけどね。交渉をしましょう。聖女様が、私たちの国に来てくれるようなね。」
落としどこを決めているような交渉は交渉というのだろうか。
黙っていると勝手にハイネとやらが話し出す。
「聖女によって、国は栄える。一方で、聖女そのものをめぐっての諍いは過去数を上げればきりがない。我が国の国王陛下、まあ兄上なんだが、聖女様を迎えたいと言っていてね。お迎えに上がったというわけだ。」
「…お迎えって言いましたが、アリスは不自由なく過ごしていますか?」
「ええまあ、さっきまではそうしていたんですがね。交渉の席にすらついて頂けないようなのでお姉さんに代わりに交渉しに来たんです。」
交渉を私に任せるという意味なのか何らかの時間稼ぎのつもりなのか。
「…今は不自由な状態ということですか?」
「とはいっても、魔法の使用を封じる拘束具を使わせてもらっていただけですよ。聖女様に本当に使えるかは半信半疑でしたが、効いてよかったです。ただ、本気を出した聖女様を封じられるとはこちらも思っていない。こちらも人手を少なくして来ているので、もうしわけありませんが今は意識を落としてもらっています。」
まあ確かに伝承で現われるのみの存在を対象にした魔法なんてないだろうから、一般的なものを高度にして、どこまで対処できるということだろう。
一度はそれで誘拐に成功しているようだが、本気でていこうしたらそれだけではずせるものかもしれない。
「…アリスの無事を確認させてください。」
「それをするメリットが我々にあると感じられればそうしましょう。」
「なければ、協力することはないと思ってください。」
「…聖女様もそうですが、他国に無事なままお返しするくらいなら、このままここで殺します。」
物言いは穏やかだが、言葉には温度がない。
それがかえって本気であること際立たせ、ぞっとする。
「…せいぜい二回です。」
ハイネは指を2本立てて続ける。
「おふたりにはおそらく強力な防御魔法がかかっていることは、承知しています。一度私お身をもって経験していますから。でも、ご存じですか?
防御魔法って消耗品なんです。何度も攻撃すれば壊せます。自力で防御魔法を貼りなおせない限り、持って2回程度でしょう。そして今ここは、すでにフリート王国の領地の端です。
あなた方を殺して、私たちが逃げおおせるのは決して、むずかしくない。」
言うことがどこまで本当かはわからないが、ここで嘘を言って私が周囲から受けている説明と矛盾しても不信感を抱くだけだ。おそらく嘘をつく理由はないだろう。
「…私のついていくメリットは何がありますか。」
「私の国での待遇が変わりますね。人質としてか、聖女様の身内としてか。」
「…どちらにしても人質であることに変わりはないでしょう?」
聖女が国の発展に手を貸すことが前提になり、拒否するという選択肢を与えていないという部分でも、こうして非人道的な方法でさらってきている部分からも疑う余地はない。
待遇が多少優遇されていたとしても、国のための犠牲としてしか数えられていないことは明らかだ。
そう思うとトランバル王国で聖女としての活動をしてくれ、と頼まれていたことに関しては確実にアリスの意思を重んじてくれていたのだということに気が付く。
「どうかな。ただの人質としておわるかどうかはそちらの出方次第ですし、あなたの能力次第でもある。あなたは魔力こそ持っていないが、私たちの世界でも使える異世界の知識を持っているようだ。知識は財産であり、それ自身が強力な能力です。」
「人質にするということは、自由はないのでは?」
私にさらに一歩近づいてくる。
唾を吐きかけようとすれば出来る距離まで近づいてきた。
「…貴女に使っている魔力を封じる縄は、妹君に使っているものにくらべるとおもちゃみたいなものです。それでもこの距離で何もできない。適当な屋敷にかけて、出られないように魔法をかけたらもうそれで逃げる心配はないと思っています。」
私の肩にかかっている毛布がずれかかっていたのをかけなおしてくれる。意外と紳士的なところもあるようだ。
「それに、聖女の祝福の条件くらい私も知っています。せめて身内が幸せに暮らしている国の方が、始まりが誘拐だとしても、祝福の魔法をかけられる理由になるーそんなふうに考えていますよ。」」
近づいてくるのは、本当に反撃をしないかどうかも試しているのかもしれない。
「私は貴方が治療を施した子供を見ているのでね。魔法の気配を感じなかったのか、感知できないほどの少量の魔力で治療したのか。あの領地に輸入させた傷んだサバに気が付いたのも姉だったと聞いていますし、あなた自身にも十分価値があると考えています。
まあだからこそ、これだけ丁寧に対応させていただいているのを、誠意ととらえてもらえれば。」
「両手両足縛って冷や水をかけるのが誠意なんですね。」
「それくらいで済ませているというようにとらえてもらえれば。」
嫌味のつもりで言ったのだがへらへらと笑いながら受け流された。
「そうですか。…そこまで私のことを高く買ってくださっているなら、さきにアリスに会わせて無事を確認させてくれても損はないと思うのですが。」




