聖女の姉は拐される
「そろそろ起きろ!」
頭に冷たい水がかかる感覚で目が覚める。
息を吸ったタイミングに合わせて水を被ったらしく、一瞬息が詰まり呼吸を忘れる。だが、そのおかげで我に返る。
状況が呑み込めないまま、目を開いたが、濡れた髪に覆われて何も見えなかった。
逆に言えば、思わず目を開けてしまったことはまだ水をかけた相手には伝わっていないようだった。
一瞬息が詰まった分口を開けて大きな呼吸をしたかったが、必死に抑えて呼吸を整える。
ミシェル嬢が、陛下と話をしたいといって陛下の部屋の前まで来ていたのはつい先ほどのことのはずだ。
が、今横たわっている冷たい地面は冷ややかで埃臭い。冷ややかなのは冷水を浴びせられたからかもしれないが、床も壁も、少なくとも王宮のきらびやかなものとは全く異なるものだ。
待合に座ろうとして、女性同士で話すのにここでは地味ですし、せっかくならお茶とお菓子も欲しいですねとミシェル嬢が可愛いことを言った。
なので、アリスの部屋はどうでしょうと私が提案した。
勝手に客人の部屋に入るのはとミシェル嬢は逡巡していたが、私の部屋は狭すぎてさすがにお茶をしましょうと言えるほどの広さも応接の設備もないし、かといって勝手に使っていい部屋がどこにあるかはわからない。
アリスの部屋とはいっても中には仕切りというか壁があり、私アリスの来客時は一度部屋に入ってすぐのソファに通すよう言われていたのでー私に客が来るといってもそれはクリス様か魔法やこの国について教えてくれる講師くらいだったけどー、アリスの部屋の手前にあるソファとテーブルが置いてあるスペースは、二人のものという認識だ。
ることを考えると、迎え入れること自体には問題ないと考えたのだ。
お茶の準備をお願いして、アリスの部屋に入った。ミシェル嬢をソファに座るよう促し、向かいに自分も座ったところまでは覚えているー
ミシェル嬢はどこに行ったのか、どうしているのかも気になるが今はそれどころではない。
「氷水かけられたのにまだ寝てるぞ、こいつねじ飛んでるのか?」
「死んでないか?」
靴のようなもので膝のあたりをつつかれているのがわかる。
寝たふりをする。
ーさて、まずどうしたものか。
寝たふりを続けていてもさらに蹴られるか水をかけられることだけは間違いないだろう。
足と手は拘束されているが、口は覆われていない。
叫んでも、助けが来るところに見方はいない可能性が高いということだ。
どれくらい気を失っていたかはわからないが、王宮からいくら護衛がついていない人間とは言っても、人間を運び出すとなると労力と時間がかかるだろう。
ということは、「転移」の魔法だろうか。それと、聖女の部屋に戻ってから発動しているーその点を踏まえると、おそらくこの誘拐もそれらにかかわったものだと考えるのが自然だろう。
足音が近づいてくる。
蹴られるかもしれないー覚悟していたが、髪をひっぱって顔を確認された。人間の頭は10キロ以上あるので、頭が動くくらいの力をかけられるととてつもなく痛い。思わず顔をしかめたが、髪の毛とともに逃避も引っ張られているのでどれくらい表情に出てしまったかはわからない。
「起きそうな顔はしてるが、反応はないな。」
起きていることはわからなかったようだ。
瞼を通して入ってくる光は強烈ではないことを考えると、部屋自体が暗いのかもしれない。
「おい、下ろすときはある程度慎重にしろよ。防護結界の魔法が何で発動するかわからないからな。」
なるほど、ここでの魔法の発動を恐れているということか。
魔法が発動して周囲に感知されることをおそれているのか、それとも魔法をかけた術者に感知されることを恐れているのか。
いずれにしても、国境を超えるレベルで遠方に連れてこられたわけではなさそうだ。
ひとまずまだ気を失っているふりを続けることにする。
「防御魔法って言っても、かけたのが聖女だったら感知される心配はないだろう?」
頭をそっと地面に降ろされる。そっとおろしはするが、その手つきは人間を扱うというより壺でも置くときのような気の使い方だ。
防御魔法が発動すれば、場所や発生したことが術者に知らされる。つまり、私の場合はどういった状況になれば発動するのかさえ分かっていれば、クリス様にこの場所を知らせることができる、ということだ。
とはいっても事故や自損を含め害あること全てに発動するのか、攻撃のようなものでしか発動しないのか条件がわからないとこうすればいい、という答えが見つからない。
少年漫画の主人公ならいちかばちかで危ないところに飛び込んでみたりするのだろうが、そんな勇気はないし、彼らの会話に参加して有利な情報を引き出そうという勇気もない。
また、防御魔法の発動に気を遣っていることを考えれば、彼らによって偶然魔法が発動するということは期待しないほうがいいだろう。
「だったらそうだけど、聖女に何かあったらってことを考えると、二人とも他の人間が防御魔法をかけていると考えるほうが自然だろ。」
「そもそもなんでこっちもつれてきたんだ?あっちだけならハイネ様と聖女のふたりで、別に転移で国まで帰れたんじゃないか。」
「ハイネ様が連れてけっていったんだから知らねえよ。起きたら起こして呼べって言ってたからその時についでに聞けばいいだろ。」
「わかんないから起こして聞くんだろう。ほら、氷水。」
先ほどからの二人ともと言ったことから察するに、かどわかされたのは私一人ではないらしい。
聖女もつれてきたような口ぶりからすると、まさかアリスもつれてこられてしまったのだろうか。
話している様子からすると傍にいるのは二人、どちらも男の声だ。
五体満足に動けたところで逃げ切ることは100%無理だと考えたほうがいいだろう。足の方は布で縛られているだけだが、後ろ手に拘束しているのは布ではなく何か硬い金属だ。
アリスのことは命に代えても守るんじゃなかったのか…でも伝説レベルの魔力を持っているといわれる聖女という魔法使いをとらえることができる技能があるのなら、それはもう伝説ではないだろう。
聖女がかけていた魔法なら関係ないというのは、感知できる人間もつれてきているからということか。
盗聴器が仕掛けられていた期間の出来事を思い返せば、異世界から聖女が一人、身内を伴ってきていること自体は漏れているのだろう。
また水をかけられた。
「嘘だろ、まだ起きないぞ。」
「仕方ない、氷水に頭突っ込むか。」
「まだ氷残ってるぞ。」
「水がない。」
「すぐ汲んでくる。」
寒くてつらいが、黙っている方が情報が得られそうなのでもうすこしー
ーくしゅん!
くしゃみは止められなかった。




