聖女の姉は影響するー4
「今考えていることは、貴方が元の世界に戻っても、一生考え続けることになるのだろうね。息子が迷惑をかけて、すまない。今日はそれが言いたかったんだ。本当ならこんな寝台の上からではなく、きちんと頭を下げるべきなのだが…」
「病人は寝ていてください。」
「病人、か。その通りなのだがあまりはっきりと言われることはないな。」
陛下は苦笑する。
「それと、いったん退室したあともう一度戻ってきますので、少々よろしいでしょうか。」
断られても戻ってくるつもりだったので、さっと踵を返して扉に向かう。
さきほど待たされていた部屋にまだ人の気配があるので戸を開ける。クリス様があまりに早く戻ってきたからか驚いているようだ。
「あれ、もう終わったの?」
「私の用事は終わりましたね。なので少し来てください。」
「えっと…陛下に呼ばれているという認識でいいかい?」
「実父ではなくとも、父親の見舞いに理由がいるのですか?」
「いや、それは…陛下だし、いるだろう。」
彼の基準では必要らしい。手を引くが戸惑ったまま、立ち上がろうともしない。
「すぐ戻るって言いましたので、来てください。」
「どういうことかを、説明してくれないか。」
説明したら、行かないだろう。
別に二人の間に誤解があるわけではない。齟齬があるわけではない。
ただ、話をしてほしいのだ。
彼は生きるのに必要なものを何でも持って生まれてきた。
だから、欲しがり方がわからない。
何が欲しいのかもわからない。
どう欲しがっていいかもわからないから、欲しがろうともしない。
でも本当は、何か拠り所が欲しい。
別にここで少し話したくらいで拠り所があらたにできるとは思わない。
だけど。
足りないものを埋めるには、代替品ではだめなのだ。
かけらしか手に入らなかったとしても、代替品だけで埋めるのとは仕上がりが違う。
かたくなにクリス様は立ち上がるのを拒むので、効くかわからないが交換条件を出す。
自分でこんなことを言うのははしたないと思うし、恥ずかしい。真っ赤になりなが誘う。
「今ついてきて用事を済ました後は、昨日言っていた「あとで」のつづきをしましょう!」
クリス様はぽかんとあっけにとられる。
わたしは余計に顔が熱くなる。何なら恥ずかしすぎて目はなにか液体が出てきそうだ。
一瞬の間をおいて、クリス様は立ち上がった。
私は彼の気が変わらない間に連れて行こうと手を強く引いて、陛下の部屋にもう一度入る。
陛下は面食らっているようだった。この国の人間はきっと恐れ多くて誰もできなかったのだろう。クリス様は心持ちまだ抵抗しているようで、半ば重心を崩されたような形で引いた手に従って引きずられてくる。
「陛下。私を通しても彼とは話はできませんし思っていることも伝わりません。」
「いや、そんな話をするというほどのことでは…。」
後ろでクリス様が「陛下、呼ばれてもいないのに申し訳ありません。」と言っているが知ったことではない。
「あえて言うことがなかったとしても、陛下がクリス様のことも大切に思っているということは少なくとも伝わっていないと思います!死人に口はありませんよ!
クリス様も!思っていることを直接伝えてきたことがないのかもしれませんが、基本的に回りくどいです!したいことや欲しいもの、思ってることは、大人だろうが子供だろうが直接言っていいんです!」
不仲なわけではないし、何かしらの誤解があるわけではないかもしれない。
けれど、このまま亡くなったら後悔するだろうということを直感していた。
何も変わらなかったとしても、もし知らないところでは二人がとても仲が良かったとしても、その時は私が恥をかくだけである。
そのまま場は静まり返った。
先ほどまでとは比べ物にならない間の後、始めに口を開いたのはクリス様だった。
「…伝わってないわけではありません。跡継ぎ候補として連れられてきた僕を気にかけてくださっていたのも存じております。」
陛下は柔らかく笑いながら言う。
「死人に口がないから伝えろ、というのは他人が言われたというまた聞きも含めて初めて聞いたな。でもそうだな、私たちは姉君が言うように対話不足だったのかもしれない。」
「僕はこの年になって正直な心の内を話せ、と言われてもなかなか難しいこともありますけどね。」
「クリス、お前はそのままでいい。私が生きている間に、アレクと同様、お前のこともきちんと大切に思っていることを伝えなければならなかったのだ。私の後継者がという話にお前の名前が出たあたりから、この城で居心地が悪そうにしていたのは知っていた。放っておいて悪かった。」
「ただ放っておかれたのではなく、僕の居心地が悪くならないようにあちこち根回しをしてくれていたことは知っています。
今後、王宮に縛られない生き方をできるように法改正などしてくれていたのは、僕を追い出すためではなくて、僕を自由にしようとしてくれていたんですよね?」
「…気づいていていくれたのなら、何よりだ。」
なにやら小難しい話がそのあと始まった。
話の子細まではわからないが、やはり二人の間に確執があったわけでも誤解があったわけでもないのだろう。
ただ、お互いへの思いやりに反してよそよそしいとは思っていたのは正しい見立てだったようだ。
「お二人は、直接過ごす時間がもっと取れたほうがいいのかもしれませんね。」
「そうだな、せっかくだから、茶でも運ばせようか…。」
クリス様が頷き、侍女にお茶と茶菓子を運んでくるように促している。糖尿病持ちにお菓子はどうかと思いかけたが、長期の予後をどこまで考える必要があるのか。
アリスの全身治療魔法ありきで永らえているのであれば、それ自体が今後を左右することはないだろうと思い水を差さないことにした。
クリス様に椅子が用意されて座る。私にも用意されるがいいです、と伝え辞退する旨を伝えると、
「せっかくなので、貴女もどうかと思うのだが。」と陛下が声をかけてくれる。
「いえ、少しお伺いしたいことがありますので、少し前で侍医の方とお話しさせていただいてよろしいですか?」
水を差さないという目的もさることながら、聞きたいことがあったのだ。
はじめこそ本当に挨拶だけでクリス様が出て行ってしまうのではないかと思ったが、その心配はなさそうだった。こんな些細なきっかけすらなかったのだろうか。
「私ですか?」
ずっと付き添っていながらも自分に白羽の矢が立つとは思っていなかったようだ。
「言われてみればちょうど、陛下についているのも交代の時間ですね。交代のものがそろそろ来るはずなので、来たらお伺いしましょう。」
王宮付きの侍医ということは少なくともかなり上の立場の治療師であることは間違いないだろう。伺うという言葉を使っても呼び出すような形になるのは失礼極まりないだろうが、そこは聖女の姉君という立場で許してもらうことにする。
「ありがとうー。私は残り決して長くはないだろうが、きっと私は今日の感謝を忘れない。」
陛下が笑うので、お辞儀で返す。
それにしても、思っていることは言わないとか。
人には言えるけど、自分にはなかなか実行できていないことに気がついた。
クリス様が耳打ちしてくる。
「君が僕のために言ってくれたのは承知しているし、今席をはずそうというのも気づかいなのはわかるんだがーその、
「あとで」のつづきを誘ってくれたのは、もう少し後でも有効かな?」
濁しながら言っているがクリス様も耳が赤い。顔には出ないタイプなのだろう。
「有効ですよ。でもその前に、私もお話することがあります。もっと私の心の内を、知っていただきたいのです。」
私も、思うだけで言葉に全然していなかったことに気づく。
わかってくれないなんて傲慢なほどの察してくれという感情をまとっていた。
言語化して伝えるというのは、ある意味自分をさらけ出す行為だ。
弱いところもみっともないところも出てしまうから、つい吐き出しにくくなっていく。
魔法の一言なんてものはないし、時間が解決してくれる分なんてそもそも行違っていなかった分だけだ。
胸の内を知ってもらって、それからどうするか考えればいい。




