聖女の姉は魔法の世界で現代の医療をするー3
「電気分解?どういうことだ?」
空気の組成の話があったので科学の用語は通じるかと思ったが、そういうわけではないらしい。
「いいから、水を袋に入れて、右手から左手に思いっきり電気を流すんです。泡が発生しますから、その泡を集めてください。中身が少ない方に、酸素が溜まっています!」
正直それだけのものを準備しているあいだにつくかもしれないが、あまり揺らさないように馬車を進めてもらっている以上時間がどれだけかかるかわからないし、ついたからと言ってすぐに見てもらえる、すぐに新しい酸素が供給されるかはわからない。
足りない可能性を考えれば備えはあるに越したことはないだろう。
「…なるほど、すぐ準備しよう。」
今馬車の中には患者の他には私と治療師、クリス様と付き添いの兵士が一人いるだけだ。
電気魔法を使えるという兵士はおそらく付き添っている彼の話だろうから、少なくとも彼にも働いてもらわないといけない。
とはいってもビニール袋を見かけないこの世界で水を入れる袋なんてあるのだろうか、そう思っていたら水が袋に入っている状態で隣の馬車から渡された。水の運搬自体を袋の形状のもので行っているようだ。偶然ではあるが好都合だ。
「お嬢さん、点滴をありがとう、今は何をしているんだい?」
「消毒です。準備しているのは、血胸のドレーン処置のための器具です。自己輸血として回収するのはさすがに無理でしょうけど、呼吸状態は良くできるかもしれませんから。貢献はほとんどできていないとは思いますが、少しでも肺からの出血を止められればと思い、できる範囲で治療魔法を…」
正確にはごくわずかに使えるが、今この場で役に立つかどうかという観点で言えば、使えないと表現したほうが正しいだろう。
一応肺の表面からの出血がごくわずかでも止まればと治療魔法を試していたのだが、多少出血量は減ったようだがほとんど手ごたえはなかった。
自然に止血した分なのかどうかもわからない程度なので、やはりほとんど魔法は役に立っていないだろう。
肺の中に血が溜まって呼吸の状態が悪くなっているーなら、胸腔にたまった血液を抜いてしまえばいいのだ。
酸素である程度顔色もよくなってきたが、ここから又悪くならないとも限らない。そこまで出血が多量であれば輸液程度では組織への酸素供給は追い付かないからどちらにせよ助けることは厳しいのかもしれないが、血胸として出ている血液が新鮮血なら、凝固を阻止すれば、最悪の場合彼への輸血として回収できる可能性もある。できることはやっておかねば。
胸水などの混入もあるだろうがそこまで濃度に影響を及ぼすものではないと信じるしかない。私程度では想定もつかない合併症の可能性もある。でも、できることに備えは必要だろう。
乾いた喉に唾を送り込む。
「言っていることはわかった。とりあえず、王都まで持てば何とかなるだろう。それと、今お嬢さんがしているのは肺の傷の表面だけを対象に治療魔法をかけているんだね。それくらいの治療なら私でもできる。」
あれ、治療魔法は使えないのではと思ったが、こちらの思っていることはすぐに見抜かれたのだろう、治療師は説明する。
「治療魔法は使えないとは言ったが、治療魔法として成立するレベルで使えないというだけで、おそらく今のお嬢さんよりは使えるよ。数十年ぶりだけどね。お嬢さんは胸腔から血を抜く準備をしてくれるかな。僕は手が離せないので、やってくれるかい?」
そういって治療師は私が患者の胸に置いているの上に手を重ね、魔法をかけ始める。確かに私がするよりは明らかにしっかり魔法が発動している感覚がある。
「はい。」
胸腔に針を刺す準備は整っている。
肋骨を蝕知し、上縁に沿って差し込む。注射器を引くと、新鮮血が回収できた。
ごく少量がじわじわと出ている程度なら、中で血液は固まっていて出てこないだろう。ある程度での新鮮血が回収できるということは、やはり出血もかなりしていると考えていい。
「酸素はもうほとんどなさそうだ。」
いつの間にか患者の口元に酸素を当てているのはクリス様になっている。二人が治療していて一人が酸素を作ろうとしていれば仕方ない。そのまま働いてもらおう。
「酸素はできましたか?」
「酸素かどうかはわかりませんが、水を分解したら空気の泡を出せました。少ない方が酸素と言っていたので右手側から出た機体をそこの袋ににためてあります。」
水の中に入れている両手から泡が噴き出ている、大したものだ。右手から出ている泡は左手から出ている泡と比較すると半分ほどなので、おそらく右手から分解されているのが酸素で間違いないだろう。
水の電気分解をしている兵士がそこ、と言って促したところには水を入れていた袋がいくつか並べられていた。水上置換法で集めているようだった。
「クリス様、その袋を患者の口元に充ててください。それくらい、と具体的な量が言えればいいのですがそういうわけにはいかないので、治療院につくまでに丁度使い切るくらいでお願いします。」
「入れすぎて害になることはないのか?」
「足りなくて害になる可能性のほうが圧倒的に高いです。酸素の重さは空気の重さとあまり変わらないので、入れ物のふたは口元で開けてください。」
クリス様は私の指示に従って酸素を患者の口元に充ててくれている。
「…王都までもちますか?」
輸液の瓶が空になっていたので、新しいものに交換していると付き添っている兵士が効いてくる。
「…確実なことは言えませんが、今できることは、いましています。」
ドラマみたいに、必ず治しますなんて言えない。
ドラマで患者が治るのは、治る病気がドラマになるからだ。治らない病気は死ぬことを通じて命を題材にした作品くらいにしか出てこない。
最善を尽くす約束はできても、けがは治りましたが患者が死にましたでは何の意味もないからだ。
でも最善を尽くしたって、患者からすれば結果が伴わないと何の意味もない。
「すみません、胸腔内から回収した血液なんですけど、これに治療魔法をかけてもらうことはできますか?」
回収した血液に生理食塩水を混ぜて攪拌する。抗凝固罪があればいいのかもしれないが、出血している患者の体内に戻すのに使うのは危険だろう。ひとまず血球濃度を下げれば凝固スピードは落ちることを期待する。
「難しいだろうが…細胞レベルでという話ならできなくはないかもしれない。でもそんな方法は聞いたことがない。どういった理由だ?」
「細胞自体の生きが良くなれば、体内に戻しても回復する可能性があるんじゃないかと…。このまま戻せば、ろ過していない分凝固血も戻してしまうことになります。」
もし肺塞栓といって固まった血が肺の血管に詰まってしまった場合、さらに状態が悪くなるリスクもある。
「…申し訳ないが、私の治療魔法では細胞レベルでの回復はできない。体内に入ってからなら多少なら治療できるかもしれないが…。」
「そうなんですか。…では、回収した血液と生理食塩水を混ぜたこの液体、投与した傍から針の刺さっている血管に対して治療魔法をかけるというのはどうでしょうか?」
「…なるほど。そういう方法ならできるような気がするな。」
治療師は感心したように相槌を打つ。
「でも、私にはできるイメージがわかないし、今は肺の出血を少しでも押させるので手いっぱいだ。イメージできているのなら、お嬢さんのほうができる可能性は高い。」
イメージの世界、と言っていたのなら確かに。この世界では細胞レベルでの医学はそこまで発展しているとはいえなさそうだった。
となると細胞単位での凝固や分離というのは、この世界の治療師にはイメージは難しいのは必至である。
それに肺の出血を抑えるのと、起こるかどうかわからない血栓予防、どちらかしかできないのであればまずは肺の出血を抑えるほうが優先なのも当然のことでもある。そもそも、微小血栓は必ずあるだろうが、点滴の留置針でもわずかではあるものの微小血栓はできるものだ。ただ異常をきたさないレベルで済んでいるか、異常をきたさない部分の梗塞で済んでいるだけだ。
「わかりました。やってみます。」
「投与した直後からその血管に対して集中する必要があるだろう。他にしておくことがあれば事前に言ってくれ。」
患者をもう一度確認する。
胸に矢は刺さったままだが、呼吸数は落ち着いている状態が維持できている。脈は速いことには変わりないが、しっかり触れたままだし、どちらかというと少し落ち着いてきているようにも思える。顔色は佳くはないが悪くはなくなってきている。
「このまま、治療院まで持たせて引き継ぎます。」
患者以外の馬車に乗っている全員が頷いてくれる。
ここで最後まで治療するのは不可能だろう。
やるべきことはできないことをやろうとすることではない。
できると判断できることをすることだ。




