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聖女の姉は魔法の世界で現代の医療をするー1

 クリス様は笑顔を見せているが、息は上がっているし顔色はあまりよくない。

 

「大丈夫ですか?」


「いや、流石に人数が多かった。今残ってる魔力ではぎりぎりだったみたいでね。」


「…申し訳ありません。」


 元をたどればおそらく私がうかつに盗聴器の入った箱を受け取ったから起こったことなのだろう。そう思うと、彼自身が無傷だったからと言って素直に喜べない。


「終わったよ。あとは拘束してきた相手の身元を割るくらいかな。少し待って王都に今度こそ戻ろう。」


「本当にすみません…。」


「気にするな、というのは無理だと思うけどね。どうせ、遅かれ早かれ聖女様の存在を隠し通せるとは思っていなかったよ。だから、気にすることはあっても気に病むまでのことはない。女装も楽しかったしね。」


「…ものすごく似合ってました。」


「そうだろうね、知ってる。」


 大真面目な顔をしてそう返事してきたので、思わず吹き出す。



 

 一台、遅れて馬車が合流してきている。


 中から慌てた様子の人が出てきて、すぐにクリス様を呼び出した。彼は外に出ていき、すぐに少し慌てた様子で戻ってきた。


「治療魔法を少しは使えるようになったといっていたね。」


「といっても、さっきも言ったように針の穴をふさぐくらいのことしかできませんが。」


 アリスのように細菌が体中をめぐる菌血症を一発で治すことなんて当分できないだろうし、体力の回復まがいのことすらまだできない。


「治療魔法は、通常は習得に相当の時間がかかる魔法なのだから、すこしでもできるのなら努力している証だよ。いや、それはともかく、護衛の一人が深く切りつけられているらしい。何か今できることがあれば頼みたいんだが。」


「できることならします。」


 そうでなくてもできることを探すのは言うまでもないが、この襲撃自体が私の失態から起こっている可能性が高い。できることをしなければという使命感以上に罪悪感が押し寄せる。


 案内された馬車に入ると、男性が中で側臥位で横たわっており、左肩甲骨の下にに矢が刺さっている。


「馬車にはもともと防御魔法をかけていたのだが、伝達に出ていたところでやられてしまったらしい。」


 男性の咳には血が混じっている。肺まで貫通しているのは間違いなさそうだ。


「他の回収した矢には何も塗られていなかったので、矢に毒は塗られていないと思われる。ひとまず抜けばいいか?」


「絶対に抜かないでください!」


 刃物が刺さった時の応急処置の原則は「抜いてはいけない」である。

 もちろんそのまま動けば刃先があちこちにあたり傷口を悪化させる原因になるが、創面が刃物の圧によって保護されていることも多く、下手に下準備なしで抜けば抜いた瞬間、傷つけていた血管によっては血が噴き出すことで出血多量になって死亡する可能性もある。


「医療器具として使えるものは何かありますか。」


「簡単な傷に対処するための包帯や消毒液ならあります。」


 他の兵士が箱を出してくる。概ね一般家庭に普及している救急箱と比べ包帯など外相に対しての備えが多い以外、中身は大差なさそうだ。


 診断魔法を発動させようと目に力を込めて集中する。

 ぼんやりとどこまで損傷があるかくらいなら判断できそうだ。矢の刺さっている部位は、場所からはいわゆる大動脈やその直系の分枝からはそれていそうだった。


 ただ、どの気管支レベルまでかはわからないが喀血するということは気管支に傷がついていることであり、刃物による肺挫傷ということは気胸も起こしているだろう。



 漫画やドラマでは画面上処置が派手だからか、肺を圧迫する胸腔の中の空気を外に出すことが必要な緊張性の気胸が多い。それも両側のため急ぎでの処置が必要というものだ。だが、傷口通りであれば彼は片側で、緊急での脱気は必要ないかもしれない。


「傷のあるほうを下にして寝てください。あと、治療院までは急いで出発してほしいのですが、できるだけ揺らさないようにしてください。上の服はすべて脱がしておいてもらえますか。」


「揺らさないように、服を…?」


「刃物で切ってください。下手に動かすと、傷が深くなる恐れがあります。」


 ひとまず気管支の損傷部位からの出血で窒息することは防がなくてはならない。

 気休め程度にしかならないかもしれないが矢傷を上にして横になっていたので周りの人間に手伝ってもらいながら反対側を向ける。


 呼吸は荒く、数えるまでもなく頻呼吸だ。

 怪我の影響というよりは、肺に影響があるのだろうか。見えないだけで中で出血している可能性もある。


 脈は触れているが、速い。


「ハサミをください。」


 服を脱がせるといっても矢を動かさずに脱がすのは難しい部分も多いのだろう。鎧のような防具を外してもらったところで、ハサミを手に取り肌着を裁断する。


 女性だと手伝いに入ってもらいにくくなるので、男性だったのは不幸中の幸いだ。


 大きく露出した胸に耳を当てる。


 聴診器がなかったころは直接患者に耳を当てて聴診していたとのことだ。若い女性患者の羞恥心に配慮したことから聴診器が開発されたということだが、中年男性の豊かな胸毛に顔をうずめるというのは医療者側にとっても快適とは言い難い。


 そして、肝心の呼吸音はーやはり左の呼吸音が弱いというかほとんど聞こえない。

 だが、それだけじゃないー息を吸ったタイミングで、右下の肺にも、パチパチとはじけるような音が少し聞こえた。


「肺炎か何か、過去にされたことはありますか?」


 けがをした本人は息が荒く答えられず、代わりに側にいるほかの兵が答える。


「詳しくは私も聞いていませんが、何度か肺の病気で魔法治療院に通院していたことはあったと思います。」


「水…」


 荒い息をしながらものどの渇きにはあらがえないらしい。

 息が荒い分口の中は乾きやすいだろう。


 寝かしていた体勢から痛みに顔をゆがめながら体を起こす。他の兵がまた横になるよう促したが、もう起きてしまったのだから水くらい飲んでもらうのはいいだろう。


「体を起こしてもらったので、そのまま見させてもらっていいですか。もう少しだけそのまま体を起こしてください。水は飲みながらで構いません。」


 胸に左手を当てて、右手の指で打診をする。左上は空洞のペットボトルを叩いたときに響くような音が鳴るが、下の方に叩く位置をずらすしていくと、正常な肺と比較して明らかに鈍い音がする。


 片肺の損傷だけにしては、息の切れ方が通常ではない。中で出血しているか、それとも元々の肺機能が少なく、何かあった時の予備能が少ないかのどちらかを想定していたのだが。


 ーまさかどちらもとは。


 もともと人間の肺はある程度の予備能を備えている。激しい運動に耐えたり、病気になっても呼吸という生命の維持に必要な機能に影響を出さないためだろう。


 だから、何かあった時に肺の予備能が少ない人間は、肺に障害を負ったときに酸素化するための組織が足りず、重篤な状態になりやすいー


 今がまさに、その状態だろう。



 右で聞こえるということはおそらく以前から、それも拙い自分の聴診で聞こえるほどの異常音なのだからー自己免疫性か感染後の器質化かーいずれにしてもいまの状態を脱するためには大きなマイナスであることには変わりない。


 そして、肺がしぼんで虚脱しているだけなら空のペットボトルを響くような音しか聞こえないはずだが、下の方で元の肺より鈍い音がする、しかしここはまだ肺のあるべき位置である―と考えると、出血だ。


 患者がまた横になろうとしたので、支えながら救急箱のような応急手当セットを眺める

 ー何か、あるはずだ。

 考えろ。

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