聖女の姉は考察する
屋敷についたころには、日は暮れかかっていた。
もう夕食だからこのままここでまっていてくれと応接室に通された。メイドの婦人がお茶を入れてくれる。帰り際はずっとクリス様は側仕えの人に指示を出していたので、先ほど見つけた狼のことでおそらく仕事をしていたのだろう。
部屋で待ってようと思います、と席を立とうとするといえいえクリス様がすぐ戻ってきますから、ととどめられる。
なんだかメイドがそわそわしているので、何かあったのかと聞くと、どうやら朝の風呂の一件がやや尾ひれがついて伝わっているようだった。どうやら部屋に行ったらもう食事に降りてこないのではとでも思われたようだ。
どう訂正していいか考えたがもうわからなかったのでクリス様に任すことにして笑って濁した。
しばらくして一息つける状態になったらしく、クリス様は応接室に入ってきて出されていた紅茶に手を伸ばす。
メイドが新しいものを準備します、と声をかけたがこれでいいといって口をつけ、ぬるいなと一言こぼす。そりゃあ熱いものもカップにそそいで時間がたてば冷めるのは当然だろう。
カップをソーサーに戻してから足を組み、背もたれにもたれかかる。
気だるげなその仕草には、艶めかしさといってもおかしくない色気が伴っており美しさの無駄遣いとはこういうことだと感嘆させられる。
彼はメイドに下がるようにいい、食事の準備ができたら呼びに来るように添えた。
下がるやいなや、紅茶を飲み干して私の隣に座る。
「お疲れですか?」
「食事を一緒に取りたかったからね。」
膝の上に頭を転がしてきた。私の長くない髪を触る。
艶と言い色の美しさと言い、自分の髪を触っている方が有意義なのではないかとは思う。
「横になったら食事できなくなりましたよ。」
「人が来るまで、少しだけだから。」
この人は本来、甘えたがりなのかもしれない。
それとも男性はこういう方が一般的なのだろうか。
「狼が出るなんて今までにないことだな…。」
半ば独り言のようにつぶやく。
「狼はこの国にはいないんですか。」
「密輸がない限り、だがな。今回国境から離れた王都で見つかったということは間違いなく密輸されていたんだろう。何のためかはわからないが。」
「…転移の魔法って密輸し放題だと思うんですけど。」
いわゆる「転移」の魔法とはテレポートのようなものかと思っていたのだが、どうやらそれだけではないようだった。言葉やメッセージを「転移」する通信手段として使われることが多いというか、そういう使い方は基礎魔法として普及しているそうだ。
ミシェル嬢がアレク殿下に頼まれてアリスを覗き見ーもとい、未来の聖女様の安全を確認するためにおこなっていたー「世界をまたぐ転移」を起こすのぞき見やテレポートのような物質の移送は、魔法自体が複雑かつスキルと容量の多さも必要であり、使える人間は少ないそうだ。
「転移の魔法自体は「異世界転移」と違ってありふれているとはいってもそれでも生命物体を移動させられるほどの魔法を使える人間は珍しい。
大体魔力をもっていれば国に起用されるか、拒否した場合稀なスキルであれば厳重に監視される。国家間の取り決めもあるし、よほどのことがなければメリットはない。
今この国には転移の魔法をもって国に起用されていない人間はいないから、おそらく他国からの干渉ということになる。下手を打てば国同士の戦争だ。」
「魔力を後天的に持ったということはないですか。」
「過去報告はないな。それに、魔法を正しく使うには専門の指導が必要になるから、隠匿して魔法を習得というのは現実的ではない。そもそも生命物体の転移はどれだけ短距離だったとしても周囲の魔力持ちが感知してしまうから、練習もできない。」
「国同士のやり取りっておっしゃいましたが、それにしては規模がちっちゃくないですか。」
国家をあげてする攻撃が、狼を放って農家を攻撃といいうのはかかる手間に対して被害が小さいように思う。近くに皇太子の私邸があるとはいっても、実際それで皇太子に被害が及ぶ可能性は限りなく低いだろう。
「…僕はこれは、聖女様という存在をめぐる騒動の一つだと考えて居るんだ。」
「どういうことですか?」
「アリス殿のことを予言した、聖女様候補を召還すると国が栄える、というのは10年以上前にミシェル嬢が「占星」のスキルで得た予言だ。
占星のスキルとはあくまで不確定で、自分の思うように発現することもできないしそれがあっているかどうかの検証もできない。外的要因がなければそのまま実現する未来だとされている。だが、半年と少しほど前から、聖女様召喚の為に、暮らしを整えるという面でも権力を持ってもらうための制度にしても、また召還のための道具集めという意味でも、具体的に呼び込むための準備を始めた。」
「陛下の調子が悪くなるより少し早いですね。」
陛下が体調を崩したのは半年ほど前からと言っていたが。
「もともとは陛下が在位している間、もっと後に召喚する予定だったんだ。聖女とはいっても一人の人間を呼ぶわけだから、できるだけ本人の意思を尊重できる年齢になってから召還したかったのでね。ただ、陛下の体調が思ったより悪くなったから多少無理に事を進めたかもしれない。」
国の繁栄を呼ぶといわれている聖女の召還に反対の声こそ表立っては上がらないとおもわれたものの、聖女を召還の準備を進めているという事実自体はどこから他国に漏れるかわからないため、隠匿して行うこととしたという。
「その過程のどこかで情報が他国に漏れたかもしれないということですね。でもそれと狼と何の関係があるんですか?」
予定より急に推し進めたものならどこかで隠し切れない事案が出てきても仕方ないだろう。
「狼に限らず、今この国では半年くらい前からあちこちで大量のけが人や病人が出る事態が起きている。たまたま重なることもあるからね、あまり気にしていなかったのだけど、以前君がサクラ男爵のところで解決してくれた中毒事件の件、あの時の原因になった傷みかけの青魚の加工品の仕入れ元の国と、そのあと襲ってきた盗賊の本拠地のある国は同じ隣国なんだ。
小競り合いは時々ある国なんだけど、ここ1年でそのフリート王国との国境付近での諍いは明らかに増えている。狼も確証はないけど、犬の祖先にあたる動物がフリート王国で飼われている、というのは聞いたことがあるからそこから送られてきたものの可能性が高い。これだけの判断材料がなければ、真っ先にどこかで個人が密輸養育していたものを逃がしたというのを想定したけどね。」
「つまり、聖女が本当に来ているのか探りを入れに来ている、ということでしょうか。」
「それか、聖女の誕生や来訪を阻止しようとしてるかどちらかだろうね。」




