聖女の姉は散歩でもトラブルを見つける
「あらクリス殿下、今日はお散歩ですか?」
「ほとんど丸腰で大丈夫なんですか。」
「今年は雨が良く降るから水不足にならなさそうで助かるよ。」
私邸まで民家が点々とある程度の道を歩いているのだが、すれ違う人が順にクリス様に挨拶をして話をしていく。少し遠めに帰る家が見えているので、ある意味ご近所様みたいなものか。
通いの使用人の家もあるようだ。
「慕われているんですね。」
「僕は優秀だからね。」
どや顔で言っているが、馬車から降りた直後走って民家に入りトイレを借りた姿のせいで少し締まらない。エスコートされたのは数分のことだった。
トイレを借りたのもどうやら初めてではないようで、民家の家主であろう老夫婦は「紙が切れたらトイレの中の厠に置いてあるよー。」と外の農地から声をかけるだけだった。
この世界は今が実りの季節らしく、いろいろな野菜や果物が収穫されている。
品種改良の進んだ植物がここ10年で急速に普及したということだが、概ね元の世界にあったものと味も名前も一致していることから、「異世界転移」とやらで少しずつ異世界のものが持ち込まれたのかもしれないと考えた。
見たことがあまりない植物はそもそも私が知らない地域の植物なのか、それともこの国で独自に発達した植物なのかはわからないが、昔からあるという植物も元の世界のものと酷似している。
カモミールやヨモギに至ってはこちらの世界でも薬草として大活躍しているとのことだ。
「夕食に何か食べたいものはあるかい?」
「野菜を見ながら言うことではありませんが、好きなものを言っていいのなら鶏肉が食べたいですね。」
空腹ではなかったが、一人前を平らげたくらいで食べたいものを思いつかなくなうほど小さな胃袋ではない。可愛げがないことは自覚しつつ正直に答えた。
「さっきの家に買い付けに行かせるよ。少し離れたところに飼っているはずだ。」
「可愛げがない、とか女性らしくないとクリス様はおっしゃらないですね。」
「僕にとって貴方はいるだけでその場が華やぐような可憐さを持っているからね。」
「だからもてるんですね。」
本当におモテになるのかどうかは知らないが。
お世辞にもそのような可憐さを持っているとはいいがたいだろう。
真逆、というほどではないが例えばクラスの女子カーストで言えば下から数えたほうが早いであろう自分にとって、信じること自体が非常に困難な誉め言葉であり、素直に喜べるような誉め言葉ではない。
といってもどうせ嫌味だろうと卑屈にさせるようなものもない言い方である。
まるで本当にそう思っているようだが、私レベルがそう見えるのであれば、ミシェル嬢の前で目を開けていられるはずがない。
「なかなか信じてもらえないな。」
「客観的に見て美しくないですからね。」
「客観的な美しさは、人生を共にする上では飾りでしかないよ。なにより外見の美しさは自分で足りているからね。」
驕るようでも自慢げでもなくそういう彼は確かに美しい。猫を猫だというように、美しいものはただ客観的に美しいと。
であれば自分がいるだけで場が華やいでいるではないかーと思ったが褒めてもらっているのにここであえて自分を落としにかかる必要はどこにもない。
話を変えることにした。
「それはそうかもしれませんが。ーあ。」
視界の端に足を引きずって畑を歩く男性の姿が見える。
「どうしましたか?」
「あっクリス様。」
少し離れたところにいる護衛が声をかけると同時に、クリス様がさっと畑に入り明らかに彼より体格のいい男性をお姫様抱っこで抱き上げて道の端に連れてくる。心なしか男性の顔が尊敬の念なのか赤らんでいるように見える。
「そこの裏手で野犬に襲われましてね。犬自体は追い払ったんですが戻ってくる途中に足を滑らせてし、前に自分で仕掛けた罠にかかってしまいまして。罠は外したんですけど、けがが痛くてね…。」
男性のふくらはぎのあたりからは多量ではないがまだ新鮮な血が流れている。失礼しますといいながら裾をまくると、ふくらはぎに半円に傷が並んでできている。かなり大きなトラバサミを仕掛けていたのだろう。
元の世界なら愛護団体が文句を言いそうな案件である。
「野犬…?このあたりに野犬がいるのか?」
「いないはずなんですけど、首輪もしてなかったし手入れもされてなかったし、あれは野犬だと思いますよ。最近は家畜に被害が出ることがあるので捕まえに行こうとしてたんですけどね。」
「あの、とりあえず傷を洗ったほうがいいですよ。」
こんな汚染されているなら破傷風ワクチンもうってほしいくらいだが、ワクチンそのものがない国で言ってもし仕方がないだろう。犬にかまれたわけでないのなら狂犬病の心配はひとまずなさそうなのでほっとした。
クリス様はこちらを見て言う。
「治癒魔法はそろそろ使えるようになったか?」
「裁縫でもした時に針で刺した傷程度ならふさげましたが、これだとまだ無理ですね。私の実力程度だと消毒もできませんし、下手に表面だけ閉じてしまうと、中に細菌を閉じ込めて後で化膿させてしまう危険のほうが大きいです。物理的に洗うのがよろしいかと。」
まだといったが今後できるようになるかもわからないが。
「ソーヤー、お前の家はすぐそこだったな、おぶっていこう。」
さすがに成人男性の姫抱きを続ける気はなかったようだ。
ソーヤーと呼ばれた男は道の端に連れてきてもらった後も座り込んだままだったが、慌てたように立ち上がる。力を入れると痛いらしい、けがをしている右足をかばう。
「とんでもなく恐れ多い。いえいえ、歩けますよ。」
「クリス様、貴方がおぶるくらいなら我々が運びますので。」
いいから、としゃがんで背中を見せる彼にソーヤーと呼ばれた男性は慌てている。違う意味で慌てている護衛が傍にやってきた。
しばらく言い合いをした結果、護衛の男性が肩を貸す結論になった。




