聖女の姉は恋敵?と会う―3
手を伸ばしてくれた美女を側仕えと思われる女性がとどめる。
「姫様、おやめください。なにをもっているかわかりませんよ!」
まるで雑菌扱いだ。
だが今土で汚れドレスの裾が破れている私が反論しても説得力に欠けるだろう。
「イリナ。こちら、聖女様の姉君です。そういったことは疑うのすら失礼というものよ。」
イリナと呼ばれた侍女はおとなしく下がる。
「ミシェル様ですよね?お待たせして申し訳ありません。あと手はいりません。実際今私の手は汚れていますから。」
窓は思ったより高かった。ミシェル嬢が手を伸ばしてくれていると言っても、その手に体重をかけて持ち上げてもらえるほどの力があるとは思えない。
目の前の美少女は明らかに私より小さいし、きゃしゃだ。何なら私がお姫様抱っこしてあげられるだろう。
両手を窓枠にかけて上がろうとするが、足場になるところもなければ足を大きく上げるわけにもいかないので上れない。
スカートをたくし上げればどうにかなりそうだが、さすがに成人女性のすることではないだろう。
私が代わりに持ち上げます、とイリナと呼ばれた侍女が窓枠から手を差し出したがそれでも私と同じかすこし背が高いくらいだろう。このままお話しますのでいいですと丁重にお断りした。
「改めてご挨拶いたします。サキ・カトウと申します。聖女と言われているアリス・カトウの姉にあたります。」
ここ数日で覚えたお辞儀をする。裾が泥だらけのドレスでどれだけそもそも足りていない気品が残っているかはお察しだが。こういうのは気持ちだ気持ち。
「いいえとんでもない、急にお邪魔したのはこちらですから。ミシェル・ブルーベルと申します。お顔を直接拝見するのは今日で3度目になります。」
美少女は何をやっても映える。お辞儀をするだけでクラシックが聞こえるような気さえする。
「3度目…?」
「召還したときと、翌日妹君の部屋で魔力を使った直後ですわ。召還した当日はローブを着ていたので、認識されていらっしゃらないかもしれませんが。」
「ああ…なるほど。」
たしかに異世界からの「転移」スキルを持っているのが彼女だけなら私とアリスを召還したのは彼女ということになる。あの時は混乱しているうえに牢に入れられそうになった衝撃で全部うやむやになっているが、あの場にはいたと考えるほうが自然だろう。
「今日の要件としてはまず謝罪に伺いました。この度は、私が中心になって行った魔法の不手際でこちらに呼んでしまい、申し訳ありませんでした。また謝罪が遅くなりましたことについても同時にお詫び申し上げます。」
「呼ばれたのが本意か不本意かと言われると不本意ではありますけど、別にだからと言って恨んだりはしません。帰る方法ですが、アリスが、いえ妹が転移の魔法を習得するよりも早く他に帰る方法はないのですか?魔力不足のために帰れない、というようにクリス様に教えていただきまして、他に方法がないかと思いまして。例えば、妹の魔力を貴方に譲渡して使ってもらうとか。」
許容量を超える魔力を体に流すと不具合が起こるということは、許容量内の魔力なら移譲できるのではないかというのは一つの仮説だった。
「そうですね、いろいろ試行錯誤はしているのですが、今のところは妹様に異世界転移の魔法を習得していただくのを待つほかないと思います。
提案していただいたような魔力の譲渡はできても、私の魔力の器は人間を異世界転移できるほど容量が大きくありません。今提案していただいた方法では難しいと思います。また今回使用したのようにものに複数の魔力のこめられた道具と転移魔法を使える全員に魔力を注ぐのは、非常に緻密な魔力の調節が必要になります。必要最大限まで魔力が体に残っている状態にしないといけないですが、許容量を超えると魔力は体にとって毒になりますので。
ものに魔力を込めて魔道具にするという方法もありますが、物に魔力がこもるまでかかる時間よりは、妹君が転移の魔法を習得する方が早いと思われます。ただ…それを周囲が許すかどうかはわかりませんが。」
「なるほど。わかりやすいです。」
事前に打ち合わせも口留めもおそらくされていない立場の人間からも同じような言葉が得られたということは、これは真実なのだろう。クリス様が話してほしくなかったのは、このことではなさそうだ。
「…私が呼ばれたのはどういう不手際だったんですか。」
予定外ということは誰かしらの不手際なんだろうが、呼ぶつもりがなかったといって呼ばれるには遠すぎる場所でありり、言われるたび自分で認めるたびに何かが萎えていくような気持になる。
ただきっとそれは向こうも同じだろう。
人ひとり召還するのに大量の魔力を消費するということは、二人になると消費量は単純計算で二倍だし、単純計算にならないとしても相応の魔力が余分に必要だったことは間違いない。
国家の一大プロジェクトと言われるほどの召還魔法で、どうしてそんなことが起こったのか。
「そうですね。本当は経過からお話しできるのがいいのですが、自称としては転移の座標が予定していたよりも広くなったんです。ヒューマンエラーの一種です。」
「誰かがミスをした、ということですか?」
「ミスというか、なんというか。ただ、そこに意思が介在するかというとーあ」
ミシェル嬢の視線が私の後ろに移る。
「着替えてくると聞いていたんだが、ずいぶん斬新な衣装替えだね。」
振り向こうとした瞬間に後ろから腰に手を回される。
「あ、クリス様!?」
想像以上に早かった。着替えに本来必要な時間くらいは持つものと思っていたのだが。
「ミシェル嬢。今日のご用はもう終わったかな?」
「ごきげんよう、クリス様。今話し始めたところですわ。突然の訪問、失礼いたします。」
「僕も彼女の護衛として同席するつもりだったんだけど、これはどちらかに出し抜かれてしまったということかな?」
笑顔だが、機嫌がよくないというのは伝わってくる言い方である。
「とんでもありませんわ。どうやら屋敷の中で迷われたようで。」
さらりと状況を察してフォローを入れてくれる。
屋敷の中で迷った割に外にいるのはなぜという話になるし、実際迷いましたが通じる状況ではないだろうが、とりあえず乗っかることにする。
「そうなんですよ、部屋への戻り方がわからなくなっちゃって…ははは。」
クリス様はため息をついた。
「もともと、着替えてからミシェル嬢に挨拶に行くといってたのでね、待たせて申し訳ないが、もうすこしいいかな?」
有無を言わさずクリス様は私を抱き上げて表の門の方へ向かう。私の口をはさむ余地はなさそうだ。
「大丈夫ですわ。仕事も持ってきてますし、時間を持て余すことはありませんから気になさらず。姉君も、またあとで。」
ミシェル嬢は笑顔で手を振る。
私には腹に一物抱えていそうな女性にはまったく見えないが。
クリス様は私を抱えたまま彼の部屋まで連れていく。私が使っている部屋の隣だったらしい。
これだけ広い屋敷で、客人の部屋が隣とは、落ち着かないのではないだろうか。
それとも少ない使用人で回すことを前提に、夜間に人が集まる場所を固めているということだろうか。
「…あの、クリス様。その、ドレスに土がついてるので、ベッドも汚すことになるのですが…」
カバーがかかっている分ソファよりはベッドの方がいいという判断なのだろうか。
抱き上げられたまま部屋まで連れてこられ、クリス様は寝台にそのまま座り、私はそのまま膝の上に座る形になった。
「この屋敷でだれがどう動いた、誰が魔力を使ったは大まかにはすぐ感知できるんだよ。」
「そうなんですね。」
「僕の探知をかいくぐったのでなければ、彼女が君を魔法で呼んだわけではない…と思っているのだが。」
「そうですね。」
じゃあ私の行動は窓を出た時点でばれていたということか。
「…怪我もしてるね。」
私の右腕をつかみひねりあげる。勝手な行動に腹が立っているのか、少しいたい。
いら立っているようなので、文句は言わず我慢する。
そのまま彼は私の右腕の擦り傷に唇を這わす。
「ちょっと…やめてください。後で洗いますから、そっちの方が清潔なので。」
さすがに顔を手で押しのけて辞めさせた。
傷をなめるなんて清潔な水が手に入らない昔の対症療法だ。きれいな水で洗えば十分である擦り傷を化膿でもさせる気か。
漫画ではときめいたりする状況だが職業柄不潔にしか感じられない。
「じゃあ、僕が洗って、着替えもさせてあげようか?着替えに行くといって時間がたっている割にはまだみたいだし。」
もう一度私を抱き上げて、部屋を出る。
「えっと、あのー」
どこに向かっているかわかり赤くなるが、少し抵抗したところでびくともしない。
この屋敷は温泉が湧いているところに建てたとのことで、大きな浴室がある。
外には露天風呂もあり常時湯が張っていると案内されていたが、流石にどれだけ治安がいいかもわからない露天風呂に入る気にはならなかったーところに、こんな状況で来ることになるとはー
そのまま露天風呂につくと、出勤してきたらしいメイドが掃除をしていた。
露天ぶろ、というと旅館についているものをイメージしていたが、どちらかというと西洋の湯殿のつくりだ。まあ邸宅自体西洋風のつくりなので当然と言えば当然だろう。
クリス様が今日はここはいいから、出ていくようにというと、メイドは少し驚きながらもすぐに素直に出て行った。
私を抱き上げたまま、湯に入る。
靴の中に湯が入ってくる感覚が気持ち悪いが、それを言い出せる空気ではなさそうだ。
右手を洗われるのかと思いきや、両手で顔をつかまれた。
そのまま上に覆いかぶさり、唇をふさいできた。
息ができないと体を押し戻し、ようやく口を離したとおもっても、何かしゃべろうとすると、また唇で唇をふさがれた。
しばらくーといっても時間で言えば5分にも満たないだろうがーして鼻で息をすればいいことに気づき、抵抗する気もなくなってきたころに、ようやく唇を離してもらった。
「あの…」
いつもの余裕のあるクリス様とは違う。
その顔は、母親から離される子供のような悲痛さすら感じ取れる。
「君は―今でもやはり、帰りたいかい?」




