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聖女の姉は招待される

「ところでその分厚い本は?重たそうだね。」


「本を買いに出ていましたから。」


「医学書だね…元の世界では、こっちでいう治療師になる予定だったんだよね。」


「そうですね。」


 最も魔力は向こうの世界ではなかった概念だから、こんなビハインドがあるとは想定もしていなかったが。


「…向こうで明確な目標があったのなら、この世界に来てしまったことは残念に思うかい?」


 少しの沈黙の後、クリス様は意を決したように尋ねた。


「まあ今のところは思ってますけど。」


 しかもついた瞬間にお呼びではないと牢屋に入れられそうになったり、外出すれば盗賊から逃げなくては行けなかったりと碌な目にあってない。


 彼は直前に尋ね方から想定出来た申し訳なさそうな顔になる。とはいっても実際来てよかったと思うことなんて今のところあるはずもないのだから仕方ないだろう。


「そうか…。」


「思っていますけど、そう思ったところで帰れるわけでもないですし。幸いなことに、期待値ゼロで呼び出されていますので、私が何をしてもプラスにしかならないと思えば、気楽にやりたいことができるとも言えますね。」


 アリスのように、聖女として呼ばれ、聖女としての責務を果たしてほしいというようなプレッシャーがあればまた別のつらさがあるのだろう。

 変わってあげることはできないのでどうしても他人事だが、アリスは気楽にふるまっていたとして気楽な気持ちで過ごすというのは難しいだろうことは想像がつく。


「やりたいことか。治療師の仕事は、小さいころからやりたかったのか?」


「いいえ、別に。そういった方が圧倒的に多いのも事実ですが、元居た世界ではこの世界で言う治療師は社会的地位が高いのです。…私は、元々人からの承認欲求が強いんだと思います。」




 自分の生育過程には両親から限りない愛情を受けて、大きな波乱もなく育ってきていたと自信を持って言える。家族や友人を含め周囲の人間関係にはこれ以上なく恵まれて育ってきたものだと思う。

 ただ、物心ついたころにはすでに、自分の価値は誰かに認めてもらうことで成立するという前提で 日々の生活を送っていた。 


 どんな行動も、周りに褒められるからという動機付けで動いていたように思うし、人からの叱責を強く恐れる子供だった。


 自分のことは好きではないが、人に褒められる自分のことは少しだけ好きだった。


 自分を自分で認めるために、周囲に褒めてもらう行動を繰り返していると、気が付いたら医師を目指すようになっていたのだ。


 実際大学に合格し進学が決まった時が一番自分を認めていた瞬間だったように思うし、試験で少しでも悪い点を取ると自分がすべて否定されたような感覚になって食事が喉を通らなくなったこともあった。




 だからだろうか、年がいくつも離れた妹はとてもまぶしく見えたのは


 彼女は自分も自分の周囲も無条件に愛して承認して、そしてそれが誰しもに伝わっているようだった。

 褒められることをしたわけでもないのに彼女の周囲には人が集まり、小さいころ私がした褒められることをすれば、自分の時は比べ物にならない賞賛を受ける。


 年が近ければもしかすると僻みの対象になったのかもしれないが、彼女のあふれる愛情には僻みを生じさせる余地もなく、周りの人間と同じように彼女を愛する以外にはなかった。


 ただ、妹が生まれてからはそれまで以上に承認欲求が強くなって、努力や目標の動機づけが他人に依存していたように思う。

 でもそれはアリスに責任があるなんて逆恨みするつもりは全くなく、むしろ、妹の存在には救われたくらいだと思う。




「どうしたんだい?」


「いえ、何でもないです。何の話でしたっけ。」


「何で治療師になりたいと思ったのかっていう話をしていたんだ。」


 話の途中で黙ったと思われていたのだろう、心配したふうに尋ねられた。


 自分の内面をそこまで話すつもりはない。



「助けられる人は、助けたいからですね。」


 それだけ言うと立派な精神だが、実際のところは自己承認欲求からくるものなのでそんな褒められたものではないだろう。


「素晴らしい心がけだね。」


 見守るとは違うが、試されているというほどではない。

 でも今言わなかったことがあるということは見過ごされている、そんな眼だ。


「…クリス様は、どうして私のことをそこまで気にかけてくれるのですか?」


「どうしてだと思う?」


 質問に質問で返してきた。


「聖女候補の、姉だから。」


 唯一の正解でなかったとしても、外れにはなりえない答えを言う。


 それが肯定で返されても、今聞きたいことの質問の答えには何もならないのだが。


「もちろん、そうでなければ魔力のない君には気づかなかっただろうね。」


 彼は上品に笑う。


「…気づかなかった?」


 一緒に来たのに、気づかなかったというのはどういうことだろうか。



 馬車が止まった。


「思ったより時間がかかりましたね。」


「実はアレクに、姉君の帰宅を遅らすように言われていてね。それと国家を転覆させるようなものでない限り希望はすべて聞いていいから、自発的に帰るのが遅くなったと話を合わせてくれとのことだ。」


 王宮からは歩いてきたはずなのに、来るのにかかった以上の時間馬車に乗っているだろう。少しくらい遠回りしてきたのだろうか。帰るのが遅くなるというにしてはそこまで時間がたっていないようにも思うが…。


 窓についているカーテンを開けて外を覗く。


「…どこですか。」


「僕の私邸だ。なかなか簡素だろう?」


「まあ、王宮に比べたらそうですね。」


 基準がわからないので謙遜なのか本当に簡素なのかはわからないが、現代人の感覚では間違いなく大豪邸だ。


「とりあえず、夕食はここでと思ってね。」


 貴族の別荘、という表現がしっくりくる建物の入り口には明かりがともされ、中からは出迎えが来ていた。


「…別に怒りはしないのだから、事前に言ってくださればよかったんですよ…。もともとそんなべったりな姉妹というわけじゃないんですし。」


 妹だって未成年であり成人の庇護下にあるべき立場とはいっても義務教育は終わっている年齢だ。

 恋だってするだろうし、善悪が全く分からないほどの子供ではない。

 安全にさえ気を回してもらえるのであれば、わざわざ間に割って入ったりするほど野暮ではない。


「そうだね。遠回りして馬車で話というのもいいけど、やっぱり揺れるしお腹もすくだろう。僕が来るときはここらで一番評判のいいレストランのシェフを呼んでくれているから、好きなものを作ってもらうといい。」


 あまりに得意げな顔をするので、寿司とでも言ってやろうかと意地悪い考えが頭をのぞかせる。


 ただそういうところが可愛げがないといわれることが多い原因になるのだろうー思うだけで言うのはとどまった。そもそも御馳走になるのに文句を言うものではない。


「ありがとうございます。ちなみに帰りはゆっくりしてほしい、というのはいつまでというのはあるんですか?」


「ああ…。」


 少しだけ言いにくそうな顔をした後、振り切ったように笑顔で続ける。


「日付をまたいでもできるだけ長く、とのことだよ。」


 なんなら当分帰ってくるなということらしかった。

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