聖女の姉は勉強が好きではない
前話あらすじ クリス様に防御魔法をかけなおしてもらいました。
窓際で本を読んでいると、風の音が聞こえる。
羽織をしていれば、窓を開けていても寒いというほどではないし、日に当たっていれば羽織もいらないくらいかもしれない。
元の世界の本とは違い色が薄くついている紙に印字されている本は照り返しも強くなく、むしろ明るくないと字が薄く読みにくい。私は図書室で今のこちらの世界の医療の基準を確認していた。
自由時間として与えられている時間は有効に使わなくては。もともとそこまで勉強が好きなわけではなかったが、スマホも漫画もない世界で私にとって誘惑になるような娯楽は食くらいである。
ある程度のお金を持たされているにしても、勝手の分からない世界で出歩くほど肝が据わっていないし、かといって図に乗って周囲にお菓子を持ってこいと言えるほど図々しくもないので、今の環境は勉強するには最適と言えた。
昨日はあの後なんだかんだで、クリス様と私だけ先に転移魔法で王宮に帰ることになった。
なんだかんだについては私自身もよく理解していないので流しておく。
泊まる部屋の数や広さ、もろもろと言ったところだろう。
決して私自身の希望というわけではないことは強調しておこう。
というわけで私は今日、アリスが半日かけて馬車で帰ってくるのを待つくらいしかすることがない。
魔法が使えるようになるための自主練習も朝に少しはしていたのだが、使えたという感覚がまだないせいか、自分の自主練習の方法があってるかどうかの判断を一人でしかねたのであきらめた。
クリス様は昨日飛び出してきたときに残してきた分の仕事もあるようで、朝から非常に忙しそうにしていているとのことだった。今日は合っていないのでクリス様の側近づてに聞いただけだが。
帰ってきてからアリスと殿下は王宮内デートをするそうなので、本日は一日フリーというわけだ。
私は王宮内で自由に過ごしていいといわれている。どこに行っても護衛をつけて便宜を図るからと言われ、城下に買い物に行ってもいいとお小遣いのようなものまで渡された。
そもそも、私とアリスは元々そこまでべったりな仲良し姉妹というわけでは決してない。
アリスは実兄よりは私を慕ってはくれていたが、年が離れているから小さい頃は遊び相手というよりは面倒を見る対象だったし、小中学校の宿題を見てあげるように親に言われ口を出すたびにわかってるから口出さないでと怒られたものだった。
今も、二人で出かけることはあっても、普段は家にいても別々に過ごすことのほうが多いくらいだ。
おそらく二人で全く違う世界に飛ばされたということで、お互いの存在に依存しやすい環境になってしまっているのだろう。
そろそろお互い、新しい環境に慣れていかなくてはいけないのかもしれない。
勿論帰れるものなら帰りたいが、こういった異世界物の話では最近の流行ではそのままこの世界に居つくというのが主流のエンドのようである。元の世界で死んだわけでもなければ私に至ってはシナリオとしてはおそらく本筋のキャラクターですらないので、なんとか帰してくれと言いたいところだが。
いつかは帰れるかも、というようなことも聞いたが異世界転移の魔法をアリスが習得するのにどれくらいかかるのかはわからないし、周囲に習得を許してもらえるかもわからない。
習得したとしてアリスは帰るのか、帰らないのに一人だけ帰るのか、帰るとすればやはりせっかく呼んだ聖女を返すことに反対する主にアレク殿下の勢力が何らかの妨害をしないとも限らないだろう。
帰れない場合この世界で生きていくことになるが、召喚されているため家門のような後ろ盾がない。
ひとまず治療魔法を習得さえすれば見習いとして働けるようになるのだから魔法と知識の習得が前提である。
大体の異世界物でそうであるように、魔法とはイメージがあることが前提として、そのイメージに沿って魔力が放出されるそうなので、確立した知識があることに越したことはない。
本を読んでいても、治療方法に「手術」という文字がみられることから、やはりすべてを魔法で治すというよりは最低限に魔法を使うという認識であっているようだ。手術とはいっても表層のできものを取り除くような手術がほとんどであるのは、治療魔法がある以上発達の必要に迫られることがないためだろう。
衛生状態などが改善しているのは、100年ほど前にナイチンゲールのような人間が戦時中に現れたと今読んである本の冒頭に書いてあった。
その女性がその後国の治療システムを構築し根幹から支えた―とあった。過去の聖女かとも思ったが、聖女については伝承レベルでしか残っていないとのことなのでおそらく別物だろう。元の世界と恒常的な人の行き来は出来ないようだが、転移の魔法というものがあれば情報を得ることは可能そうなので、元の世界から情報だけを得たのかもしれない。
もしくは聖女ではなくとも召喚された女性がいて、その女性がこの国に衛生という概念を広めたと考えるほうが自然だろうか。
区切りが付いたところで、本を閉じる。
娯楽に誘惑されて集中が途切れるほうではないが、漫然とした知識を求めて本を読んでも、余程印象に残る内容でも書かれていなければ頭の中に上手に定着できそうにない。
現在の具体的な目的といえば陛下の状態を改善させる余地がないかということくらいだが、アリスの魔法で無理なものは無理だろうと思いながら探しているせいか、悪性腫瘍に関する詳しい記述が見つからない。
まあ、いくら大きな書庫といっても王宮のものだからだろう、歴史的な記述が多くあるものが中心で医学的な書籍はあまりない。あるのなら本屋にでも行ってみるか。
少し離れている護衛の女性兵士の傍に言って声をかける。本当は騎士と兵士がいて違うものらしいが、知識がなく一人一人聞くわけにもいかないので全員兵士と認識することにした。
「すみません。治療師に関する書籍が欲しいのですが、外に出ていいでしょうか。」
「外も含めて、希望があればお連れするよう言い使っております。馬車はお使いでしょうか。」
「えっと、治療関連の書籍を見たいのです。そういった本も置いてありそうな大きな本屋か図書館があれば連れて行っていただきたいのですが。」
「専門書ですか…。取り寄せることはできますが、今日見たいのですよね?」
「出来れば、一人の時間が出るときに…。」
「治療院に言って聞いてみましょうか。殿下の使いと言えば融通は聞きやすいはずです。」
「いや、そこまで権力を行使していただかなくても大丈夫ですが…。」
将来的に職場になるかもしれないところにあまり無理に融通してもらうのは嫌な印象を残してしまう層で気がひける。でも確かにできるだけ早く読みたいし、治療院であれば古いものも合わせれば共同の書籍くらいあるだろう。
護衛の兵士は察したのかにっこり笑う。
「大丈夫ですよ、殿下の使いとだけ言って、書籍の取り寄せ先だけ尋ねるか、急ぎなら書籍だけ借りればいいでしょう。姉君の具体的な素性は言わないようにします。」
ならいいか。
「馬車を出そうと思えば出せる距離ですが、歩いた方が早いですね。」
どうします?と尋ねられた。そこで馬車という選択肢が私にあるはずもない。
「勿論歩きますよ。」
では姉君も外に出て違和感のない格好に着替えていただきます。私も護衛として目立つような恰好を避けるために着替えてまいりますね、といって部屋を出て行った。
どうせついてくるのなら話し相手になってほしい気もするのだが、それをすると周囲に気をお配り損ねては困ると断られてしまった。
少し後ろをついてくるとのことだった。
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