聖女の姉は異世界を外遊する-5
やってきたのは男爵の息子だった。
向かい合ってみると、改めて若いことがわかる。
若くても才能があればなれるのが治療師なのか、それとも彼が特殊なのか。
元の世界では大学で6年医学を学んで研修期間が2年とかかるため、最短で26歳だ。医学部を出ていないと医師免許が取れないため、おそらく留年生や再受験生、多浪生が他の学部よりも多いので、平均年齢はもっと上がるだろう。
もっとも、6年の大学生活も詰め込めば半分くらいに短縮できそうだし、一般教養という名の飛び級制度が日本に普及すればそのあたりも数年短縮できそうなので、同様の知識を詰め込むのに26歳までかけなければいけないというわけではないだろう。
記憶力は21歳がピークと言われているのだから、それくらいには社会に出てしまい覚えるべきものを覚えることに費やせる環境を整えるほうが本来有用だとは思う。
さて目の前に座っている少年はどこまで話が通じるかーとはいっても治療師としていつくらいから働いているかによっては自分より治療経験は先輩にあたるわけだがー
想像以上に呑み込みが早かった。
「ヒスタミン中毒ですか…つまり、アレルギーの症状出る、という診断の間違いではない。ただ、厳密にアレルギーの症状が出ているだけでアレルギーではないと。」
「確かに食べたものの中に青魚が含まれる料理を食している人が多かったですね。塩味が強いので主食というより付け合わせやディップソースの材料として使われることも多いので、共通の食材として上がりにくかったんでしょうね。」
「今まで青魚の瓶詰でアレルギーが出るといった人はいなくても矛盾はないということですね」
一つ話せば3つ、4つ理解している。
治療魔法の一言で済ませられる世界に置きながらこの説明で納得できるというのは余程発想が柔軟なのだろう。
こういった賢さは自分にはないので非常にうらやましい。
「ヒスタミン中毒というのは青魚のアレルギーのようにも思えますが、魚のアレルギーではなく、傷んだ魚がアレルギー症状にかかった時に体内で作られるのと同じ、ヒスタミンという成分を多量に含むことから起こるのです。青魚自体のアレルギーではないですからね。」
一緒に来ている他の治療師には今一つ伝わっていなさそうなので、もう一段回会かみ砕きながら付け加える。
もっとも、私がここで説明を付け加えるより後でこの男爵の息子が補足する方が理解が早そうだ。
「そうか…傷んだ魚というと店でも出さないですし家庭でも何度も冬を越したものは破棄すると思うのですが、去年のの冬が温かったことなどは関係あるのでしょうか。」
おっと聞いたこともない情報が出てきたが、素知らぬ顔をする。
「青魚は元々傷みやすいですし。少し傷んだくらいじゃ魚自体の味は味付け次第では気が付かないでしょうね。内陸で普段あまり魚を食べないなら、保存の為に味は濃いでしょうし。ヒスタミンは加熱してもなくならないですし、瓶詰めにされた段階で傷んだ魚が使われていたらどうでしょうか。」
鯖を読む、というくらいだし。
ものがあった方がわかりやすいだろう。先ほど食料品店で買ってきた瓶詰をいくつか出す。
説明を続ける。
「傷みはじめの青魚は口がピリピリするともいわれますが、あまり食べている間に違和感は感じないことのほうがほとんどなんです。しかも、加熱しても一度生じたヒスタミンは消えません。重症者の食べたものの記録を見ると、若いのに症状が強い方はやはり青魚を食べているのがはっきりしている傾向にありますし、だからこそのアレルギーの診断だったのかもしれません。」
「なるほど。」
「こちらの瓶詰がここ最近はやり規格だそうですが、いくつか賞味期限内のものを開けてみます。」
買ってきた瓶はすでに開封済みだが、そのうちひとつを渡す。
「適当に7瓶ほど買ってみたところ、二つの瓶に少なくともヒスタミンが過剰に含まれた青魚と思われるものがありました。見た目やにおいは、普通ですよね。」
匂ってみるよう促す。
男爵の息子が確認して、問題ないと頷く。
「食べるとわかるのですが、少し違和感があるものがあります。」
食べろという意味ではなかったのだが、ぱっと胸から取り出したピンセットでつまんで食した。
隣の治療師がサク!と名前らしき呼びかけをして止めようとするがすでに口の中に入った後だ。
「味も普通っすね。いや、言われればなんかピリッとする?そういう味付けかな?」
隣の治療師が怒っている。
どうやら彼のプライベートでも近しい人間かなにからしい。
子爵の息子ということは、跡取りかそうでなかったとしても自信を大切にしなくてはいけない立場であのは言わずもがなだ。
ただ、それに対して彼は毒だとわかって味見するのに何の注意がいるんだと開き直っている。
何かあってもお前が治してくれるだろと言われ、ため息をついていた。
若さゆえのものかもしれないが、彼がもし跡取りなら先は大変そうだ。
「他の瓶にはその刺激はなかったので、それが傷んでいる証拠かと思います。味はしないことの方が多いくらいなので、傷んでいるとわかる味がするのはかなりひどいものだと思います。」
科学捜査がこの世界にあるのかどうかはわからないが、まあ後は誰かが何とかするだろう。
「それぞれの治療師が何ののアレルギーと考えたのか聞かないとわからないですし、アレルギーの集団発生と報告されている以上は何かのアレルギーであるかめどはつけようとされていたところではないかと思います。まあその日食べたもの全般を禁止と言われていても、大体の食事だと難しいように思いますし。」
同じ人が何度もかかれば絞り込むことはできただろうから、発症してから時間がたてば青魚が原因になっているかもしれないということは少なくとも特定できただろう。
「ここは内地とのことなので、青魚は輸入されたものかと思います。販路と加工までの経緯などを見直せば新しく患者は出なくなるかもしれませんね。」
「じゃあ…今回アレルギーを発症したと思っていた患者も青魚を食べても大丈夫ということかね?」
「まあこんかいでたまたま暴露量がアレルギーの発症要件を満たして青魚アレルギーになっていることが絶対にない、とは言えませんが。ほとんどの人は青魚自体は食べても問題ないと思いますよ。」
「なるほど、ありがとう!対策を考えようと思う。」
男爵の息子がとてもうれしそうな笑顔になる。
彼も患者だったのか、と机の上に置かれた地図にある患者の発生した自宅のマークを一つずつ確認する。…あった。おそらく彼の家だろう、そのあたりで一番大きい敷地面積を持つ屋敷にもぺけマークが二つ付いていた。
「念のために、食べるときは、少しずつからにするほうがいいと思いますよ。もちろん、今回の中毒の原因になっている可能性のある青魚はまずすべて回収してもらうのがいいでしょう。自宅で保存食にしている場合はそちらも忘れずに。」
「そうだな、すぐに対応しよう。本当にありが…」
男爵の息子が礼を途中まで言いかけてからはっと気が付いた顔をする。
私も少し遅れてようやく気が付いて、最後に一言付け加える。
「いえ、あくまですべて、聖女様の御心を代行したまでにございますので。」
そうだ、これはアリスの聖女としての仕事の一部なのだった。
アリスはわかっていなかったのか忘れているのかとなりでお菓子を食べながら聞いていたが、え?というした顔をして、こちらを見た。
周りの顔を見渡してから察したらしく頬にパウンドケーキを詰めていたのを慌てて飲み込む。サクラ男爵の息子は改めてお礼を言いながらアリスのまえで礼をした。
茶番だが、この茶番が大事らしい。
アレク殿下の側仕えが、記録魔法を使っているそうだ。後で編集して聖女様のお披露目の時にデータとして使うらしい。
ーひとまず、結果が出るまで確定ではないが、私の知識で役に立てることがあってほっとした。
2人が出て行って私たち姉妹とアレク殿下の三人になってから、おねえちゃん、アイスも欲しかったーと文句と言ってくる。
アイスをさっきたべたと聞いたのだが、毒見はどうしたんだ、アリスに聞いても答えなかったのだが毒見させずに食べさせたのかーと殿下が詰問する口調でこちらに聞いてくる。
自分の身を大事にしなければならない割に、とさっき男爵の息子に思ったところだが、大人でもそうなのに10代の少年少女が三大欲求に勝てるはずがなかった。
私はちょっと観光してくるから、あとはお二人でよろしくと言って部屋を後にした。
ご覧いただきありがとうございました。




