聖女の姉は皇太子に謝罪される-4
魔力の使い方の練習をしながら食事を食べ終わったころ、また殿下から呼び出しがあった。
口にこそ出さなかったものの、行きたくないと顔に出ていたようで、クリス様がわざわざついてきてくれることになった。
「子供じゃないので別にひとりで構わないんですが…嫌だから人についてきてもらうってさすがに情けないですし、そして気が重いだけで一人でいけないわけじゃないんですから。」
何ならもういい年して、約束をバックレるような真似もしない。
「君は何も言っていない、僕が暇だからついていくだけだよ。」
さわやかな笑顔で言う。
呼ばれた部屋には当たり前だが殿下がいた。
仕事机の手前のソファにはアリスが腰かけており、さっきはごめんねと謝ってくる。
アリスと姉君はこちらへ、と仕事机の前まで呼び寄せられる。
いつのまにかアリスのことは呼び捨てらしい。
いやアリスは悪くないでしょうと言って殿下に向き直ると、殿下も先ほどもすまなかったと謝ってくる。思った以上に何の前置きもなく謝罪されたので拍子抜けだ。
どうもあの後は殿下が完全に折れる形で和解したらしい。
「何か望みがあれば言ってくれ。できる限りで応えよう。」
元の世界に返してほしい、だがきっとそれは現段階では難しいのだろう。
魔法を使えるようにしてほしいといっても殿下にはどうしようもないことだろうし。
別にしたいわけではないが贅沢はクリス様に言ったらさせてくれえそうだし、なんならアリスづてに頼めば大体のこと儚いそうだ。
できる加減の限りが難しい。
別にいいです、と辞退するつもりもないのでそういうのは事前に言っておいてほしい。
「後日考えておくのでいいですか。」
「…こういうのは別に結構ですとかいうところじゃないのか。」
「私が謙虚になることで誰かが得するなら考えます。」
クリス様が後ろで噴出している。
アレク殿下は眉間にしわを寄せたままこちらを見た。亜麻色の前髪からヒスイ色の瞳がのぞく。
所見でただ見ただけなら格好いい男性をみれて眼福だと思えただろうか。
「…言っておくができる範囲だけなので却下することもある。複数考えておいてくれ。…ではさっき話をしようとしたことに戻そう。」
仕事机に積んである書類とわけてある書類を手に取り、こちらに渡す。仕事机といってももちろん会社の作業デスクのようなものではなく、立派な彫金が施されている一目で見て高価な調度品とわかるものだ。
アリスに渡されたのを横から見る。
報告書のようなものだろうか。
「昨日見学に行ってもらった治療院から報告があった。昨日アリスが助けた夫人は今日には治療の必要がないレベルまで回復していたとのことだ。」
「ご無事よかったです。」
「ちなみに同じような症例だと通常の治療ではしばらく治療魔法を受けに通ってもらうことが多いとのことだが、今回は見学者の治療によって完全に治癒したと。普段は魔力を多くかけたからと言って治療しきれるものではないそうだ。」
アリスもまだ聞いていなかったようで、顔がぱっと輝く。
私も胸をなでおろす。
診断が感染性心内膜炎で正しかったとして。
現代の医学では血液の培養検査が陰性になるまでの抗生剤投与と場合によっては手術も必要になるはずだ。感染した心臓の弁が壊れたと思われるため、倒れたあの状態からは手術が必要だっただろう。あの時点でやってきた治療師の治療では明らかに何もよくなっていなさそうだったことを考えると、手術が必要な場合、とらなければいけないものは治療魔法では治せないということだろうか。
一般的な魔法で毎日治療が必要ということは、一般的な治療魔法は抗生剤投与くらいの威力ということだろうか。
短くて1週間でよいということは抗生剤よりは効率よく病原体を除去できていそうだ。抗生剤が効かない耐性菌の出現や副作用のことを考えなくていいのは魔力を使用する負担にもよるが、少なくとも患者にとってはかなり利点しか見込めないといえそうだ。
とまあ元の世界の治療法と比較して考えてみたところで、アリスのチート治癒にかかれば必要ないということなら考えても仕方ないか。
「そして、なぜかアリスではなく姉君のほうが治療魔法を習得次第、見習いとして治療院への就労を許可されている。許可…ということは申請をしたということか?」
勝手なことをとでも言いたげだが、行動を制限された覚えはない。
それにしてもハンス先生、仕事が早い。
治療魔法の習得後というのは言われてみれば必須なのは当然だ。
「なぜか、というのがなぜ治療をしたアリスが呼ばれなかったかという意味でなら、あそこの治療師はアリスが召還された人間だと気づいていたようです。過去の聖女様も異世界から召還されたと伝承が残っていると見学を許可していただいた治療師から伺いました。」
「聖女だと気づかれたのか!?」
アレク殿下は焦った様子で立ち上がる。
なぜ―といいかけて、私たちに言っても仕方ないと思ったのか額に手を当てて何か独り言をつぶやいている。
「まあ公表しなくても、召喚の時と言い治療の時と言い、大きな魔力を使ったのはある程度の魔力持ちは感知しちゃうから、気づく人が出てくるのは無理ないことだろうね。まあアリスさんの髪の色だけで十分異質なのは気づかれるだろうから、治療院に連れていく段階で会うスタッフには全員見聞きしたことは他言無用という約束はさせているよ。あの場にいなかったスタッフにも共有させないようにとも言っている。」
クリス殿下がソファに座ってそういう。何か書類を眺めているようだ。側仕えとしてずっとついている人が脇で書類の束を抱えているので、午後するといっていた仕事をここでいているのだろうか。この世界ではペーパーレス化が進んでいないのか、とちらりとアレク殿下の机を覗くと紙の中で文字が動いてたり画像が動いていた。
ペーパーレスというよりは紙自体が思っているものとは違う利用のされ方をしているのかもしれない。むしろ紙の見た目をしているタッチパネルと考えたほうが適切なのか。どちらにせよこれも魔法の一種なのだろうから深く考えないことにした。
「姉君も希望しているとのことで、姉君は魔力を習得できれば治療院に就労してもらう方向で調整する。本来なら治療院に就労してもらうものは既婚者でない限りは原則治療院付近に住まいを構えることが必要になる。その場合、こちらでの聖女の側仕えという立場をどうしていくかも考えなくてはいけないので習得翌日から、とまでは柔軟にはいかないことを了承いただきたい。」
「わかりました。」
「それと、聖女のことは公にはしていないが、気づいてきているものもいると。姉君には適当な商科の娘の養女にして、王宮とはかかわりないという体で過ごしてもらう。」
聖女というのがこの世界ではその能力以上に信仰の対象として見られている側面が大きいようだ。その彼女に使える人間が今いる以上、離れるのであれば後任をどうするのかという話になることは必至なのだろう。
「ではその件はひとまず姉君が治療魔法を習得するのに励む、ということで。ではもうひとつ、アリスは魔法の基礎を既に習得しているとのことだが、調整は効きそうか?」
「うーん、ぼちぼちですね。大まかにはできてると思うのですが、まだ使う魔力を調整できていないので、たぶん3-4回魔法を使ったら倒れちゃうような気がします。使った分だけ効果があればいいんですけどね。」
アリスの桁外れの魔力量で治療しても、使う魔力が多ければ多いほど状態をよくできるというわけで
ないのは昨日の私のニキビで思い知っているわけだが、昨日の婦人にしても感染性心内膜炎に関してはすべて治癒したといって差し支えない状態だそうだが昔けがした痕は消えていなかった。
陛下に関しても昼に二回目の治療魔法をかけに行ったそうだが、朝よりも状態が改善することはなかったらしい。
悪性腫瘍は治せないということだろうか。それとも全身の細菌なら対象を全身に絞り込んでも治せるが、悪性腫瘍など腫瘍が局在している状態では治せないということか。だが全身に転移している悪性腫瘍なら対象は全身になる。
局所は手術でとって、術後化学療法のような形で併用すれば行けるのかー?
ただ陛下の場合は黄疸も出ている、るい痩も出ている、アリスの見立てで悪いところは無数にあるとのことだったので、肝臓や腹膜にも転移していると考えられ、現代医学では積極的治療は難しい段階だ。
オプジーボなどの免疫療法は保険適応にはなっていないものの、進行したすい臓がんに対しては自費診療で行っている施設もある。臨床試験で一定の割合で効果がある可能性がある。
そもそも治療魔法が大きく全身状態の改善であれば、免疫の強化がベースになるオプジーボが聞くのな®あ治療魔法も効果があるように思える。
もしくは、悪性腫瘍の特性によるものなのか―この辺りは検証かこの世界での治療師に確認することが必要そうだ。心臓の腫瘍という言葉が出ている以上、がんということばがなくでもそれと同義である悪性腫瘍の概念がないというわけではないだろう。
「そうか、今父上にかけてくれている魔法はもっと魔力を絞っても効果はかわらないだろう。引き続き調節しながらよろしく頼む。」
私の考察が日の目を見ることはなさそうだ。
することが変わるわけではないし、しないという選択肢があるわけでもない以上当然と言えば当然のことだ。
「はい。そうですね。」
アリスは悲しそうに返事する。
聖女というと、何でも治せるようなイメージがあっただけに日によっては一日に数回治療に行くそうだ。二回目の治療魔法で状態が変わらないことを受けてがっかりしたうえ、陛下に自分に余分な魔力を使わないよう言われた矢先にだったため今度は軽くお叱りを受けてきたらしい。
「まだ魔力の回数に制限がある状態で申し訳ないのだが、聖女が来たと公にするためにお披露目を予定している。それまでにアリスと、ついでに姉君も侍女としてまだその時は出席する必要があるだろうから、この国の一般的なマナーを身に着けてもらうのと、アリスには祝福スキルを身に着けてもらいたい。」
「祝福スキル…?」
アリスも初めて聞く、という顔をしている。
漫画やゲームでは目にする単語だが、媒体ごとに定義が異なるので適当なことは言うまい。
「国に加護を与えるという何とも具体的な内容に乏しいスキルなんだが…ステータス上はできるはずなんだ、だけど歴代聖女にしか発現してきていないスキルだから、どういったものかはわからない。禁書庫に何らかの記載はきっとあるはずだから、信頼できる部下に探させている。」
「そうなんですか、私も手伝ったらいいんでしょうか?」
そこで手伝う選択肢が出てくる妹を尊敬する。
私には全くなかった。
「いや、それはいい。ただ、その発動のためにはこの国を愛してもらう必要がある。…というわけで、明日から外遊だから、2人には同行してもらおうと思う。魔力の習得も基礎は終わっているようだから、ひとまず魔力の習得のための勉学は今日までとして、後はこの国のマナーを身に着けてもいながら出かけよう。」
「勉強しながら旅行?えー…いいですけど…」
勉強しながら旅行と言われて喜ぶ現代日本人は確かにあまりいない。でもアリス、旅行とは言っていないよと声をかけるか悩む。
「移動の間だけだから、頼む。」
渋るアリスに困ったような顔を向ける。こちらをチラチラ見てくるのは、説得しろということなのだろうか。ずっと私の方を向くときは渋い顔をしていたくせに、調子がいいのではないか。
「アリス。私も覚えなきゃいけないことだし、一緒にやろう。マナーのことだったら極端にいえば基本は人を不快にさせなければいいんだから、今日までの勉強に比べたら息抜きみたいなもんだよ。お茶習ってたでしょう?」
思った方向から援護が得られなかったようで、アリスはさらにしゅんとした。
「中学校のクラブ活動でだけだよう…でもしょうがないか…」
うなだれているが、拒否する様子は少なくともなさそうだ。次の瞬間ぱっと体を起こす。
「あれ、でも陛下の治療はどうしたらいいんでしょうか。」
「それだけどな、初日は調子が大きく改善したが、昨日今日と特に悪化はなかったのもあるかもしれないが、今日の1回目の魔法でも侍医によればそこまで大きく状態は変わらなかったとのことだ。父上の自覚的にもあまり変わらないとのことなので、治療の頻度を高くしてもあまり効果はないのかもしれない。ひとまず3日に一度治療してもらいながら俺とともに外遊をしてもらおうと思っている。あまり遠くには行けないが。観光したいものがあれば言ってくれれば手配しよう。」
「外遊って政治家みたいだね。」
アリスがにやりと政治家のまねのポーズをする。
「アリス、目の前にいる殿下は間違いなく政治も担っていると思うよ。」
アリスから見えていないかもしれないが、国を担う人間の仕事に政治がないとは考えにくい。
内政外政多少分離しているにしても、大統領や首相というような役割が存在しないようなのでどちらにせよトップは王族なのだろう。
食事中であろうが休憩中であろうが、いやむしろ休憩中を狙ってか、宰相と思しきおじさまが何度もアレク殿下やクリス様を訪ねて話をしては帰っていく姿を私が目にしているということは、アリスはもっと見ているはずだ。
「今同行する工程の中になんとかして観光を入れるためにそれだけ頑張って仕事を片付けているらしいよ。」
クリス様はいつの間にかソファに寝そべっている。寝そべりながら何か読んでいる。。
「そういうなら兄上も、手伝ってください。3倍速く終わる。」
単純計算でクリス様の方が2倍仕事ができることになるが、それでいいのだろうか。
「もともと手伝う約束の分は終わってるだろう。終わらなさそうなら考えとくよ。」
「まあ、そうだな。」
言いながらクリス様はみじんも手伝う気がなさそうだったし、アレク殿下も本当に手伝わせる気はなさそうだった。
ふと、二人の間には一見壁がないように見えて、思っているよりも固い壁があることに気づく。
確かクリス様は小さいころに養子として連れてこられて、そのあとに直系で跡継ぎの資格があるアレク殿下が産まれたのだ。そして今も皇位継承権を持っているということは、アレク殿下にとっては有事の際に後を継いでくれる人間であると同時に、立場を脅かす人間でもあるわけだ。
特に波風立てるような関係には見えなくとも、野心がなくとも、私とアリスのように気の置けない間柄というわけにはいかない部分もあるのだろう。
「お姉ちゃん、どこが見たい?」
聞いたこともない世界の観光地なんて知るはずもないが、旅行という言葉に心躍る妹に水を差すようなことは姉として言ってはいけない。
「美味しいものが食べられたらうれしいかなあ。」
無難な希望を言った。
「わかった。手配しておこう。」
クリス様が返事をする。
「クリス様も来るんですか?」
「来てほしいのかい?」
手にした書類から目を話しこちらを向く。
仰向けになり額があらわになっているがニキビもシミも一つもなさそうでうらやましい。
「いえ、聞いただけです。」
来てほしい、来てほしくないではない。断じてない。
少し心臓が跳ねたが、たまたまだろう。不整脈にもいろいろあるが、今回一番考えられる単発の期外収縮はあったとしても治療の必要はないものだ。
「残念ながらいけない。事前に教えてくれれば調節したんだけどなあ。」
「事前に決めてしまっただけですよ。そもそも私と兄上の両方が城を複数日空けるのは今はダメでしょう。希望があれば、アリスの許可があれば姉君は置いていきますが。」
アリスはノー!とジェスチャーしている。まあ私もわざわざ遊びに行くと聞いておいていかれるのは嫌なので同じポーズでアピールする。
「ん-。僕が仕事を頑張ってさぼるほうが現実的だよね。もうちょっとさぼっていい仕事ならさぼるんだけど…」
それを見たクリス様はため息をついた。
「アレク殿下、失礼いたします。クリス様、要件が終わっているならサイモン侯爵が部屋でお待ちだそうです。急ぎの要件とかで…」
クリス様は大きなため息を追加して、先に戻るよと部屋から出て行った。
アレク殿下は仕事しながら返事をする。私だったら仕事しながらの会話なら大事なこと以外は前ぐ忘れるだろうなと思いながら、そろそろ失礼しますと部屋を出る。アリスもついてくる。
食後のデザートは部屋に運んでもらうように言ったから、お茶しながらどこに行くか話をしようとかわいい小踊りをするアリスと部屋に戻った。
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