聖女の姉は異世界の治療を把握する
前話のあらすじ
飛ばされた異世界の治療魔法がどんなものか、治療院というところに私と妹のアリスにいくことになった。
少し長いので頑張って読んでください。
「次は今朝から腹痛の10代男性です。」
順に患者が診察室に呼ばれ、入ってくる。
建物の様式の違いはおそらく土地柄によるものだろうが、おおむね元居た世界と同じような仕組みで動いていた。治療師、イコール医師と考えてよさそうだが、この部屋の担当治療師ハンスは紹介状に相当するのであろう手紙のような文書を眺めた後、後ろで立って控えているアリスに「はい、何の患者かどんな経過かとかはここに書いてあるから」と渡した。
私とアリスは、ここでは「この世界の治療魔法を見に来た外国の客人」ということになっているようだ。
アリスが「聖女」として活動できるようになるまでは彼女が聖女ということは伏せるようにとのことらしい。アリスが自分の身を護る魔法を習得できるまでは、アレク殿下かクリス様が同行できるとき以外はできるだけ内密に行動するとのことだ。
まあ治療レベルが高い人間が来る、と聞いて実際まだ魔力が使えないからできませんというのも心苦しいとアリスは言っていたのでアリスにとってもちょうどいいのだろう。
ハンスさんはこの人呼び入れて、と傍に待機している治療補助師にまだ中は空欄のカルテの名前を見せている。
治療院の見学自体は珍しいものではないようで、見学者専用の白衣のようなコートに付属のフードを被り、見学者と名札を下げている私とアリスにわからないことがあれば適宜聞いてください、といい机の上においてある瓶を取って中身を手につけている。
瓶のラベルに「酒精」と書いてあるので、どうやら消毒しているようだ。
なんでも魔術でしているわけではなく、清潔不潔の概念はあるらしい。
「消毒は魔法でしないんですか?」
怪訝な顔を一瞬されてから、今自分はアリスの侍女としてついてきていることを思い出した。
ハンスさんはアリスを見ておそらく不快な顔などしていないか確認した後丁寧に答えてくれた。
「外で備蓄がない場合や、魔力が余程有り余っている人でない限りはしませんよ。いくらうちの国が治療魔法師を多く育てているからと言って、そこまでは余ってないのでね。」
どこまでが常識かもわからないが、この言い方からするとこの国は治療魔法師が多いらしいが、それでも魔法ですべてをカバーするほどではないらしい。
魔力は貴族が持っていることがほとんどということは魔力持ち自体は貴重なものと考えるのが自然だろう。魔力での治療が必要な患者を集めて治療することからも、魔力のインフラよりも医療のインフラのほうが発達していると考えられる。
今目の前にいる治療師は私よりは年上だが、おそらく治療師としては中堅くらいの年齢だ。愛想はそこまでいいわけではないが、同時並行で複数の治療補助師に指示を出しているところを見るに、おそらく優秀な人間なのだろう。
渡された紹介状をアリスに渡し、覗き込む形で目を落とす。
アリスがそっと私に寄せて見せてくれようとするが、周りの目が気になるのでアリスが主に見ている体裁にしてもらう。
1週間前から嘔吐下痢、家族にも同じような症状があるがそちらは継承のため様子見していると。本患者は口からものが食べられておらず魔力での治癒が必要と考えられるのでよろしく、というようなことが書いてある。
まあなにかしらの食中毒だろう。
何でもかんでも治すのではなく、放置しておくデメリットが大きいものを治療する、ということだろう。点滴で水分を補充するのではなく魔法で直すというところに違いがあるようだが。
患者が入ってきて簡単に話を聞きながらハンスさんは患者の体をじっと見る。治療師の使う魔法には平たく言えば「診察」と「治療」があり、この治療師は両方使えるとのことだ。まあ未来の聖女様に出来ない人間を見せることはないだろう。
治療をはじめますね、と言って患者の胸に手を置くと患者の身体が淡く光る。心臓と腎臓のあたりだろうか。朝や昨日の陛下の御前 で使っていたアリスの魔法とは眩しさや光る範囲が全く異なる。
おそらくこの光の強さが使用されている魔力なのだろう。身体の外側が光っていないことを考えると、アリスが魔法を使って辺りが光るというのはおそらく魔力のロスが大きいということなのだろう。
治療は終わったらしい、光っていた身体は元に戻っている。大分楽になりました、という患者に対しあとは日が経てば戻ってきますので水分はとりすぎないように言っている。
心不全の見立てで、腎臓に利尿効果でもかけたのだろうか。強心剤と違って副作用などがないのなら、共振作用をかけて心臓そのものを回復させたのかもしれない。
患者が出て行ったあとアリスが尋ねる。
「まだ患者さんしんどそうですけど、治療は今ので終わりですか?」
「若いから、食事をとれるようになればあとは自分の回復力で何とかなるよ。良くならない場合や悪化した場合にはもう一度来るようにも言ってある。」
次の患者の紹介状に目を通しながら答える。
「元気にするところまでは、魔法は使えないんでしょうか。」
「うーん…お嬢さんほどの魔力があれば話は違うのかもしれないが、治療に必要な魔力にはみんな限りがあるんだ。全員を回復するまで魔力を使っていては、少し魔法を使っていれば助かっていたはずの人が助からなくなる。だから、自力で回復できるところまでの底上げが僕らの仕事だよ。」
「もしお嬢さんが自分の見た人は毎日調子を整えてあげたいというのであれば、インフラとして整備されている治療機関じゃなくて、個人のお抱えとして雇ってもらえばいい。まああんまりやる人はいないけど、金銭的にはそっちのほうが間違いなく儲かるよ。はい次、60代女性で嘔吐、下痢。」
そう言って次の手紙をアリスに渡す。
アリスの魔力の量でも見えたのだろうか。
午前に倣った魔力の使い方を思い出し私にもアリスの魔力が形を持って見えるのか試してみたが、残念ながらうまく見えなかった。
「アリス、魔力の使い方ってどうやってできたの?」
小声で尋ねてみる。
「え?なんとなく、治れーって祈ったら光ったよ。」
聞くだけ無駄だった。
頭が良すぎる人間にこの物理の問題どうやって解いたの?と聞いた時の答えと似ている。
ハンスさんは次々紹介状に目を通し、診察し、治療していく。
5人目は70代の女性ということだ。一週間前から体がだるく、様子見をしていたものの良くなる傾向がないから一度魔法で全身の状態をよくしてほしいということが書かれている。
詳しく調べてほしいではないのが、紹介元の治療師が魔力持ちで特に悪いところがないと判断したのか、これがこの世界でのスタンダードなのか。
こちらの世界での平均寿命は70歳だそうだ。治療魔法でよくすれば伸びそうなものだが、この治療の仕方だと高血圧や糖尿病などの継続して内服が加療な状態は治療できていないだろうから、その影響もあるかもしれないと勝手に考察した。
平均寿命ということで、70代のこの女性はというのは元の世界での感覚以上に高齢者なのかと思っていたた、イメージ通り入ってきた夫人は元の世界での80歳くらいと大きく変わらない。まあ70代になると個人差のほうが大きいだろうから一概には言えないかもしれないが。
「1週間前から怠くて、食事もとりにくくて…」
声にも張りがない。
「そうですか…。もともと心臓が弱っているといわれていますか?」
「いえ、そんなことはないですよ。でも仕事が忙しいので、あまり治療院にはこないですし、いわれたことがないだけかもしれませんが。」
ハンスさんがした瞼を指で押し下げる。全て魔法の診療で済ませているわけでもないらしい。
「貧血はないですね。最近、最近でなくてもかまわないのですが周りに似た症状の人がいたり、動物を飼っていたりしますか?」
「心当たりありませんわ。」
「体に熱は…ないですね。ひとまず治療しますね。」
肩に手を置き、さっきより長めに魔法治療が行われる。
「終わりましたがどうですか?」
「さっきより楽になりました、ありがとうございます。」
しばらくハンスさんは老婦人をじっと見て楽になりましたか、よかったですとつぶやく。
何か考えているようで心ここにあらずといった様子だ。老婦人が不思議そうに「あの?」というと我に返ったようで、
「心臓の機能が弱っていますが、いつからのものかわからないんですよね。また、悪くなるかもしれませんのでこちらで予約を取っておきます。もし悪くならなければキャンセルしてもらってもかまいませんが、予約日より早く悪くなるようなら早めに来てください。」
「はい、ありがとうございました。」
老婦人は足取り軽く部屋を出ていく。ハンスさんはちらりとアリスを見て尋ねる。
「お嬢さん…もし後ろでわかっているのなら教えてほしいんだが、あれは心臓が悪いのか?」
「えっと…心臓が悪い、というのはわかりましたが…」
アリスがちらっとこちらを見る。
魔力での診療とは体をめぐっている生命力の流れが見えているらしく、調子の悪いところはその流れが極端に少なかったら滞っていたりするのがオーラで見えるようだ。
私にはまったく見えなかったが、アリスは一通りの説明を受けた後試したところ一発でできるようになっていた。
遠慮しているのか、助言を求めているのか。
ハンスさんはこちらに向き直る。
「昨日王宮で大きな魔法が発動したのは、ある程度の魔力持ちならみんな感知している。俺は君が伝承にある聖女様かと思ったんだが…違うかい?魔力の量を見て、お嬢さんが聖女様かと思っているんだが。」
「えっと、これからなる予定ではあるんですが…あの、魔力の量ってそんなわかるものなんですか?」
言い当てられてしどろもどろになっている。聖女としての身分は隠してとのことだったのでどうしていいのかわからないのだろう。あてずっぽうなのか、確信を持っているのか。
「魔力の量と適性の魔法はね、髪の色でわかるんだよ。この世界で育っている人間には常識だけどね。」
もともと染髪を校則で禁止されているアリスの髪は黒だった。今は輝くような銀髪に、虹色の艶がかかっている。似合っているのであまり考えていなかったが、なるほど魔力によって変わるのか。
先ほどから患者としてくる人たちや治療補助師は黒か茶色の髪色だ。
それでいうと黒色に分類される私の髪は、わずかにしか魔力がないのがみためでわかるということだろう。
挨拶の時にフードはとったが、それいがいでも向かい合って話をすれば前髪の色は見える。
フードは目深にかぶっていたので、患者さんからは気づかれないようにしていたということに今更ながらに気が付いた。
「そのことを知らないという時点で、外の世界からきているのか、物理的な箱入りの世間知らずか、どちらかだろう。そもそも君たち、表門じゃなく裏口から入って来ただろう?その髪色は目立つから、人目に触れないよう連れてこられたんだと思うよ。実際今日はこの部屋はベテランの信頼できるスタッフ以外出入りできないようになってるから。」
アリスはどう答えたものか決めかねているようで、こちらを見ている。
まあ、ここに事情を代わりに説明できる人間を連れてきていない時点で、ある程度の裁量は任されていると判断していいだろう。表に普段は殿下たちの側近として働いている護衛がついているようだが、害があるわけでもないのに彼らを呼ぶのもおかしな話だ。
うろたえているアリスに変わって、口を挟ませてもらうことにした。
「横から失礼いたします。今は側仕えとして付き添っていますが、私は彼女の姉です。妹は確かに聖女の資格があるとしてこちらに呼び出されたのはその通りですが、元々魔法の存在を知らない世界で暮らしていたのでその使い方を把握できておりません。元居た場所でも治療をしていたわけでもなく、まだ魔力の使い方に関しましても基礎を教わった程度ですの。あまり大きな期待をされても難しいかと思います。」
ふむ、と鼻を軽く鳴らしてハンスさんは体ごとこちらに向き直る。
「お嬢さんのお姉さんは…妹についてきたくちかい?結構年上だね。」
この世界についてきたのは希望したわけじゃないけどね。
そして目の前のおじさんよりは若いと思います…と言いたくなった。
「そうですね、生きていく手段を確保するまでは妹の側仕えとして置いて王宮に頂けることになっています。」
「お姉さんは魔力を多少は持っているがまったくものにできてはいない感じだね。」
「わかるもんなんですか。」
「まあね。魔力の流れが魔法を使える人間とそうでない人間は違うからな。まあでも、病気の人は見る職業についてた?」
「そうですね。」
「顔色が異様に悪い人を見ると、見慣れてない若い人はどうしてものけぞったり驚いたり反応があるもんなんだけど、君は全くなかったからね。さっきベッドから車いすに移譲するのを手伝ってくれたのも、経験者の手つきだったよ。」
「そうですね。」
先生、そろそろ診療に戻ってくださいと治療補助師が声をかける。この世界でも治療する人間は先生と呼ばれるのか。
「本題に戻ろう。但しお姉さんにもこたえてほしい。外の世界でも人間の構造は同じなんだが、こっちの世界では魔法で治せてしまうから、あまり医学という形では発展していないんだ。さっきの患者さんについてだけど、俺の見立てを説明すると、心臓に生命力の流れが滞っている部分がある。病態としては心不全だな。大体年を取って少しずつ心の臓の機能が弱っていくときは流れが滞るんじゃなくて、流れが少なくなっていくんだ。魔法でも治療は体力と回復力の底上げだから、全身に治療魔法をかければどんな病態でも多少はよくなる。ただ、体力を回復させただけにしては改善の程度が著しい。何かしらありそうなものだが、どうしたものか、そしてそれがわかったところで治療可能なものかどうかがわからない、という話なんだ。魔力が滞ってる点では心臓の悪性腫瘍かと思ったがそれにして症状の出現があまりに急だし、心臓の弁とかの構造を破壊して心不全になったなら合うかもしれないが、心臓の腫瘍なんてまずまずできるもんじゃない。聖女様なら何かわかればと思ったんだが…」
しゅんとアリスが落ち込んでいるのがわかる。
おそらく一回りは離れていそうな少女が落ち込むのを見て、責めるつもりで言ったんじゃないからなと慌てて付け足す。
「これから聖女様になる段階だったらまだ難しいよな。本来俺が担当して考えることを聞いているだけだから、そんな顔はしないでくれ。」
2人の話に割って入ってもいいだろうか、確認する相手もいないので勝手に割り込むことにした。
「私は魔力での診察も治療もできませんが、一つ気になったことがあります。」
「なんでもいい、俺の見落としかな?」
「見落としというのは失礼ですし、一瞬のことだったので見間違いかもしれませんが。」
さっきの診察を思い出す。
「眼瞼結膜に、暗赤色の点が見えたように思いました。指先に同じようなものはなかったですか?」
「いや、指先はなかったが…。」
「足の指まで確認したらあるかもしれません。熱はなかったとのことですが、感染性心内膜炎の可能性があるのではないかと思いました。ご高齢ですし、熱は上がりにくくて微熱程度でも不思議ないかもしれません。」
「感染性心内膜炎…?」
この世界では病名が違うのかもしれない。もしくは魔法で治せてしまうならそういった疾患概念は必要ないのかもしれない。但し、治療が足りていなければ死に至る可能性も高く、いいですと引っ込むわけにはいかない。
「この世界での病名をまだ把握できていないのでこの世界では言い方が違うのかもしれません。典型的には発熱しますし、心臓に細菌の塊がついて、機能を落とします。全身の倦怠感は心不全の他に全身に細菌が回っていることによる影響もあるのではないでしょうか。」
「ああ、…なるほど、非典型であってもそう考えると他の事象は説明がつく。」
熱以外の経過は合うし、典型的な珍しい疾患よりも非典型的なよくある疾患のほうが頻度が高いというのはよくある話だ。試験や教科書では典型的な例しか出てこないが、実際病気になるときは、教科書通りの典型的な症状がそろっている患者のほうが少ないくらいではないかと思う。
「心臓に流れる生命力が滞っているとのことですが、心臓の壁にできているのではなく、心臓の弁に菌の塊が引っ付いている感じであれば感染性心内膜炎の可能性のほうが高いと思います。原理的には悪性腫瘍はどこに発生してもおかしくはないですが、悪性腫瘍だとして、弁に引っ付いているような形でできているとすれば症状が一週間前からのはずはないと思いますので。」
元の世界ではエコーや血液の細菌培養で確認するが、この世界にどこまでのデバイスがあるかは定かではない。魔法という便利なものがあれば、案外発達していないかもしれない。目上の人間に対して失礼に当たらないよう言葉を選びながら伝える。
「あとは、血液に細菌がいるかどうか調べる検査はできますか。」
「細菌を検出する診療魔法なら使えるやつがいる。確かめてもらおう。見学に来てくれたのに申し訳ないな。妹さんの姿を多数に見せるわけにはいかないから、今日はここで帰ってもらっていいか。」
「ハンス先生、すみません。先ほど出て行った患者さんの具合が急に悪くなって…」
治療補助師が慌てた様子で診察室に戻ってきた。
ご覧いただきありがとうございます。




