第一話 伝説の始まり
空と海と山がぶつかる世界。
誰が一番とか、誰が強いとか、そんなの決めなくてもいいのに。
どうして争うんだろう?
どうして戦うんだろう?
(モナネル…お前がこの世界を…れ…え…)
壊れたラジオのように微かに響く声。いつも同じところで途切れて、その先が聞こえない。僕の頭に残るその男は、僕の頬を優しく撫でて、いつも泣くんだ。
「誰なんだよ…」
「ほう…お前はオレの顔まで忘れちまったのか?」
「イッテェ!何すんだよ、おっちゃん!」
丸太みたいな太い腕で思い切り叩かれた頭。
冗談抜きで一瞬めまいがしたんですけど!
「昼間から眠りこけるなんて偉くなったもんだなァ。お前が塗った汚ねぇペンキ、とっくに乾いてるぞ」
「げっ!」
「…またハケ折ったのか?今月何本目だよ。お前はうちを赤字にしたいのか?いつになったらマトモになるんだ?もう15だろう」
ペイントショップ・バルは、僕たちが住む"空界"唯一のペンキ屋。
15年前、この世界が3つに分かれた瞬間、おっちゃんのペンキ屋は爆風で見事に崩壊したらしい。それを3年かけて1人で建て直したのだと聞いた。
今日は、3年に一度の総塗り替えの日。
3年前は技術が足りなくて。6年前は幼すぎて手伝うことができなかった。
(ちくしょー、今年こそは僕がやってやる)
僕が塗ってペンキが大きくよれた壁。その下に落ちている折れたハケ2本。おっちゃんはため息混じりに僕を見て、新しいハケと白色のペンキ缶を差し出した。
「日が暮れるまでに塗りなおせよ」
「えーっ!」
どかっとドラム缶に腰掛け、タバコをふかすおっちゃん。
おっちゃんの視線を感じながら白いペンキにハケを浸す。あんま分厚くならないように塗らないといけないのが難しいんだよなぁ…
バキッ
「あ、またハケが折れた」
「テメェ、ふざけんじゃねえ!!」
日暮れまで、あと1時間。
♢
モナネル・バークレーは孤児である。
15年前、人気のない山小屋に捨てられていたところを発見したのが、ペンキ屋の旦那だった。生後数ヶ月の幼すぎる赤ん坊は、泣きもせずじっとペンキ屋を見つめていた。深い海のようなブルーの瞳、頬には謎の赤い模様が施された不思議な子ども。
(神の子か…?)
高級なシルクの布に包まれた赤ん坊の足首には、名前らしき文字が彫られたシルバーのペンダントが括り付けられていた。その神々しい見目は幻想的で、ペンキ屋の心を奪うのに時間なんて掛からなかった。ペンキ屋は後先考えずに赤ん坊を抱き上げ誓ったのだ。「オレが育てる」と。それが、モナネル・バークレーとの出会いだった。
人間なんて、ましてや神の子かもしれない子どもを育てたことはない。しかし、モナネルはペンキ屋の心配をよそにすくすくと成長した。青い髪と青い瞳、そして頬の赤い模様のために目立つ容姿をしているが、心は真っ直ぐで、普通の少年だった。
15歳になったモナネルは、成長に比例してよく食べ、よく寝て、よく笑う。
問題といえば、ものを与えるとすぐに壊すことくらい。握力というかなんなのか、とにかく体全体のパワーが強いのだ。この間は、1つ10kgもある小麦の大袋をまとめて3つ運んでいた。呆れて物が言えなかった。
「おっちゃん、おっちゃん、空が」
「…店閉めるぞ」
(始まったか)
何かを察知したモナネルが、眉間にシワを寄せて空を見上げる。
静かな街に、けたたましいサイレンが鳴り響く。
…この世界は15年前からちっとも変わっちゃいない。
「なあ、おっちゃん、いつになったら終わるんだ?戦争って」
「さあな。お前が大人になる頃には決着もつくんじゃないか?」
「僕が大人になるのっていつ?」
「空界では20歳から成人だ。海界と山界では18歳だったか?」
「ふうん、じゃああと5年かあ」
遥か遠い上空で、数機の戦闘機が撃ち合っている。
時折聞こえる爆音は、誰のためのものなのだろう。
(どちらが悪で、どちらが正義なのかは、下界に住む俺たちには関係もないことだ。)
ただただ、明日も明後日も、家族の平和が守られればそれでいい。
ただ、モナネルが側にいればそれでいいんだ。
「危ないから、家に戻ろう」
「うん」
それが俺たちの最後の会話になるとは、思いもしなかった。
.