第1話 いつもの朝
午前７時半―
いつものようにダイニングルームで朝食の席に夫のラファエルが現れるのを待っていたが、一向に彼は現れない。私は７時からこの部屋で夫を待ち続けていたが、どうやら今朝も無駄な様だった。
先程から給仕のフットマンが気の毒そうに私をチラチラと見ているし、何より忙しい彼をいつまでもこの部屋で待機させるわけにもいかない。
「ごめんなさい、夫は今朝も来ないようだから…今日も１人で頂く事にするわ。用意して貰える？」
笑みを浮かべて、隣に立つ給仕のジェフに言った。
「は、はい！承知致しました！で、でも…すっかりお料理が冷めてしまったので温め直してまいりましょうか？」
ジェフが申し訳なさそうに私を見た。
「いいのよ。今日で最後だから別に冷めていても構わないわ。それに忙しい貴方の手をわずらわせるわけにはいかないしね」
「は、はぁ…」
今日で最後と言う言葉が気になったのだろう。ジェフは首を傾げながら料理を私の前に並べていくが…理由を尋ねる事は無かった。
「あ、あの…奥様。旦那様は…恐らく、今お部屋で…」
冷めた料理を並べ終えるとジェフはためらいがちに言った。
「ええ。分っているわ。ラファエルはアネットと一緒に部屋で食事をしているのでしょう？だって２人は同じ部屋で寝食を共にしているのだから。それでは朝食を頂く事にするわ。」
私はすっかり冷めてしまったスープを飲み始めた。
冷めた料理を口にしながらジェフの様子を窺うと、彼は困ったような顔で私を見ている。
私の事を気にしているのだろうか…？その目には憐みが宿っているように思えた。
そう、私は本当は知っている。夫のラファエルは自室で幼馴染で恋人のアネットと朝食をとっていると言う事を。夫は私と言う妻がいながら、堂々と恋人とほぼ１日中一緒の時間を過ごしてる。晩餐会やパーティーに招かれても、連れて行くのは私では無くアネット。でもこの屋敷の使用人たちは私を憐みの目で見ても、誰も夫の行動を窘める者はいなかった。たとえ夫の両親であっても…。
その理由は恐らく私が貴族では無く、商人の娘だったからであろう。私はラファエルの妻であったが実際は単なる書類上の妻というだけの存在で、アネットがこの屋敷の女主人の様に振る舞っていたのだ。
「奥様…今朝はその、何だかまるで別人の様ですね？」
料理を口にしていると、不意にいつもは寡黙なジェフが話しかけて来た。
「え？そう？」
まさか、何か気付かれたのだろうか？
内心ドキドキしながらも、私は冷静な態度を崩さなかった。
「ええ…いつもなら旦那様の所に怒鳴り込みに行こうとしたり、時には泣いたり、暴れ…コホン。少々乱暴な行動を取られたりしていましたが、今朝はやけに冷静なので。あの…何かありましたか？」
「い、いいえ。ちょっとした心境の変化よ。毎回いくら私が泣いたり、暴れたりしてもラファエルの態度は全く変わらないから止める事にしたのよ。だってそんな事をしても私が疲れるだけだから」
疲れる…これは私の本心からの言葉だ。以前までの私なら2人の仲を激しく嫉妬し、泣いたり暴れたり…散々な醜態をラファエルやアネット…そして使用人たちの前でさらけだしていた。それがあの2人を喜ばせている行動だとは思わずに…。あの時の自分を思うと恥ずかしくてたまらない。
「あの…奥様、大丈夫…なのですか？」
ジェフが心配そうに私を見ている。
「ええ。もう大丈夫、私は今日から生まれ変わったのよ。もうあんな醜態はさらさないわ」
そう、私は生まれ変わった…というか、何故か今朝目が覚めたら前世の記憶が蘇っていたのだ。
そして真っ先に思った。
あんな夫とはさっさと離縁しようと―。
