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2 競走馬時代

サラの母親は中央未勝利の馬で、父親はG1レースを1勝した馬だった。


サラが生まれたのは小さな個人牧場。決して華々しいスタートではない。


無事に育ち、2歳になって中央競馬でデビューしたものの、3歳になっても未勝利戦を勝つことができなかった。


中央競馬というのは一般の人が想像するような競馬のことで、ダービーやジャパンカップなどの大レースは全て中央競馬のG1レースである。


中央競馬には数千頭の馬が所属しており、毎週数十レースが行われている。


実はこの中央競馬所属馬というのは、競走馬の中ではエリートなのである。


中央競馬で一勝を挙げるだけでも難易度が高く、中央で勝つことができなかったのでレベルを下げて地方競馬に移籍する…という馬も多くいるのが現実だ。


サラもその一頭で、3歳になっても未勝利のままだった彼女は地方競馬に移籍した。


サラが移籍したのは南関東の厩舎で、地方競馬の中では比較的レベルが高い地域だった。


移籍初戦で勝利を挙げ、次のレースは落としてしまったものの3戦目をきっちりと勝ち切り中央競馬への出戻りの権利を得た。


中央競馬から地方競馬に移籍した馬は、3歳の間に2勝、4歳以上であれば3勝しなければ中央競馬に出戻ることができない。


サラは3歳のうちに2勝することができたので、すぐに出戻ることができたのであった。


その後中央競馬でも4歳時に1勝、5歳時に1勝を挙げ、2戦しかできなかった6歳の秋に引退し繁殖牝馬のセリに出された。



そこで出会ったのが、榎本駿という男だ。


彼は個人牧場の中では比較的規模の大きな牧場の一人息子であった。


しかし牧場を継ぐ気はなく、都市部の大学に通っていた。


そんな時サラに出会って、駿の中に「どうしてもこの馬を繁殖牝馬として育てたい」という思いが生まれる。


親に頼み込んで出世払いでサラを買い、牧場を継ぐために帰郷した。


「お前は僕が出会った中で一番きれいな馬だ」


駿はサラのたてがみの付け根をひっかきながら声をかける。サラはそうされるのが好きだった。そして、駿の優しい声が好きだった。


「きっと名馬の母になる。僕がお前に合う種馬を見つけてきてやるからな」


サラには駿が何を言っているのか分からない。それでも、駿との時間は何物にも代えがたいものであった。



初めての出産の際、サラはなぜ自分がこれほど苦しむ必要があるのか全く理解できなかった。とにかく早く解放されたくてじっと耐えた。外に雪がちらつく中、汗が湯気となってたちのぼる。


「サラ、がんばれ。サラ」


駿は何度もサラの名を呼んだ。極寒の馬房の前で1時間以上もサラを見守る彼の鼻は真っ赤だ。


やがて、白い膜につつまれた物体がずるりと這い出てくる。


サラにははじめ、それが何なのか分からなかった。駿が歓喜の声を上げている。


「サラ、見てみろ。かわいいだろう。よくがんばった。本当によく頑張った。ありがとう」


その物体に鼻を近づけて確かめると、なぜだかそれを守りたくてしょうがない気分になった。弱々しく震えるそれは、サラにとって初めての子供だった。



サラの一番仔は、中央競馬でのデビュー戦を勝利した。中央競馬のデビュー戦を勝つことができる馬はごく一握りだ。


サラは三番仔を育て終わって離乳を済ませたころだった。


駿が嬉しそうに新聞を持って馬房にやってきた。


「サラ、お前の子供が勝ったぞ。やっぱりお前は最高だ。おやじには内緒だぞ」


そう言って駿はポケットから角砂糖を取り出してサラに食べさせてやる。


駿はサラの鼻をぽんぽんと叩き、それから彼女の額に自分の額を寄せ、首元に手を当てた。


自分の子供がレースを勝ったことは、サラには理解ができなかった。しかし、駿が嬉しそうなので彼女も嬉しかった。


駿が喜ぶ顔が見たい。嬉しそうな声が聞きたい。あわよくば、角砂糖も食べたい。あとリンゴも。


それから一週間後、サラは腹痛を感じて倒れた。馬にとって腹痛は命にかかわることが多い。


駿は急いで馬運車を出し、彼女を診療所に連れていく。手は尽くした。それでも、間に合わなかった。


最後にサラが見た駿の姿は、いつもの嬉しそうな彼ではなかった。サラにはそれが心残りであった。


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