結婚と討伐
「あと、10分ね」
私も腰に付けた時計を確認する。
八時五十分。
昨日の夕方に連絡したから、なんとか到着できるぎりぎりのライン。
馬車なら片道5時間だが、センバさんには走っていくのが条件と言われてしまった。
ぎりぎりまで修行をさせたい気持ちなんだろう。
師匠のころの血が騒いだのかもしれない。
あせる。
センバさん曰く、「まぁ間に合うじゃろ」らしいけど、それはなにもトラブルとかがなければの話。
万が一、山賊とかに出会ってしまったら・・・
よくない。
焦ると悪いことばっかり考えてしまう。
今は二人を信じるしかない。
間に合う。間に合わせてくれるはずだ。
もう一度、時計を見てしまう。あと、9分・・・
「残念だったわね。もう、あきらめてトリスは戻れない状況ですって言えば? 正直者には私、優しいのよ?」
ルアはもう完全に準備万端、もちろんマイーズ騎士団も整列済み、いつでも外門をくぐる準備ができている状態。
私の後ろにはヤマトが待機しているものの、他の騎士団のメンバーは城内で待機している。
いざ、攻めてきたら確実に後れをとるし、そもそもいざ戦いになったら戦力差から考えて負けることは明白。
アース騎士団が千に対して、マイーズ騎士団はざっと10万の兵力がある。
なんとしてでも、トリスが帰ってきてもらわないと困る。
「トリスは来るわ。元気いっぱいにね」
言葉ではそう言うものの、やはり不安、焦りは抑えられない。もう一度時計を見る。
来るであろう道の奥を見る。姿は見えない。
あと、3分・・・。
早く。早く。
お願いよ。トリス!
「私ってば優しい。ちゃんときっかり時間を守ってあげるんですから。さぁカウントダウンよ。1分前」
緊張感がさらに高まる。
ヤマトが腰にある剣を確認する音が響く。
ヤマトの緊張している雰囲気が私にも伝わってくる。
「十秒前~」
ルアの声は喜びを含んでいるようだった。後ろの騎士団たちもいざ、という感じで今にも踏み込んできそう。ルアが右手を挙げた。
その手を下ろしたとき、外門をくぐるのだろう。
もう五秒を切った。私は目を閉じた。
ごめんなさい、お父様。
ドン!
私の横から大きな音がした。びっくりして目を開ける。
「いててて、・・・」
音の正体は、人、いや、私たちが待ち望んでいた人。
トリスだった。
「トリス・・・おかえりなさい」
「いつつ、ここは? あれデイル、ってことは着いた? えっと間に合った?」
「うん・・・」
間に合ったのはすごくうれしい。というか安心した。
さらに、申し訳なさそうに様子を伺うトリスの笑顔が私たちの緊張を解いた。
いやまぁ、それよりトリス・・・
「頭から血が出てるけど、無事ってことでいいのかしら?」
ルアが挙げた手をゆっくりおろしながら、そう言った。
そう、トリスは無事間に合って到着してくれた。
けれどその姿は頭から血が出ていていかにも大丈夫そうじゃない。
「ああ、全然大丈夫だ」
全然大丈夫そうじゃないけど。
自信満々に答えたトリスにさすがのルアも反応に困っている。
私は笑いそうになるのをこらえた。
やってきたであろう道の方を見ると、センバさんが汗をぬぐっているところと目が合った。
間に合ったじゃろ?とでも言っているような表情。
私はお辞儀をしてからトリスの傷を治すべく、トリスに近づいた。
「間に合ってくれて、本当によかった。修行途中にごめんなさいね」
トリスの傷の状態を確認しながら、ルア達には聞こえない声で話しかけた。
「うん、まぁ、ちょっとここまでの記憶ないんだけどね」
色々後で、聞きたい感じだ。
とりあえず、トリスの傷は大したことがないようだ。
頭の後ろから血が出ているだけ、あとはちょっとした擦り傷といったところ。これなら回復魔法ですぐに治せる。
傷口に手を添えて、魔力を手に集め、回復魔法を使う。
みるみる傷口はふさがる。
私は持っているハンカチをトリスに渡し、血を拭くよう促す。血と土を拭いて綺麗な状態になる。
「すげ、すっかり治った。ありがとうデイル」
トリスにお礼を言われるのは何度味わっても慣れない。
でも今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
「けがは大したことないようね。こっちに来てきちんと姿を見せてくれないかしら?」
ルアの存在を忘れかけていた。
誰が来てどうしなきゃいけないかまで緊急電報では伝えられてなかったので、トリスにどうして欲しいのか言い忘れていたことに気が付いた。
「彼女はマイーズ国の王女のルアよ。」
「ああ、あのマイーズ国ね。わかった。僕が姿を見せたんだから話は終わりでしょ?」
トリスにそう言われ、私もそう願ってはいるが、はたして? 私は無言で返した。
トリスは立ち上がり、ルアに近づいて行った。
「この通り、俺は無事だ。わざわざ心配してくれたようだが、元気ピンピン。なんなら、今から昼飯前に運動しようと思っているところだ。付き合ってくれるか?」
すっかりトリスとしての態度が板についてきた。
文句のしようがない演技力。
挑発交じりの余裕の口調は完璧だ。しかも以前に増して殺気を放つこともできるようになっている。
修行の成果を感じる。
ルアが返事をする前に、動き出したのはルアの右横にいた側近の騎士。
剣を抜く。
と同時にトリスとの距離を詰める。
斬られる。
最小限の振りかぶりで斬りかかった側近の騎士。
バッサリ、
斬られたと思った。
「なんの真似だ?」
剣はトリスの目の前、寸前のところで止まっていた。
紙一枚入るかどうかの隙間しか、剣とトリスの間にはなかった。
「ビビッて避けれなかったのか?」
「馬鹿か? 当たりもしない剣を避けるほど無駄なことはないだろ?」
斬りかかった騎士に対して一歩も引かないトリス。
本当に修行の成果が出ているみたいだ。センバさん、ありがとう。
「お兄様、失礼ですよ。謝罪を」
「はっ! トリス様失礼を許してください。あなた様の無事を知りたい気持ちが先んじてしまいました」
お兄様・・・そうか、この騎士はマイーズ副騎士団長で、ルアの兄のユーリか。
兜のせいで分からなかった。
「まぁ、気にすんな。当たったところで大したこともなかっただろうしな」
空気がぴりつく。
ユーリが剣をしまいながらも、確実に不機嫌になっているのが伝わってきた。
演技が完璧すぎる・・・トリスらしい言葉だが、この場面では逆効果。
緊張が走る。
「んで、山籠もりしてた俺を呼び出してまでの用ってのは何なんだ? まさか、なにもなしで、ただ俺の姿が見たかっただけじゃないよな?」
私は言おうとしたことを先に言ってくれた。
今ここで、はいそれ、とマイーズ国を帰してしまっては、アース国が言うことを聞いただけの図で終わってしまう。
トリスに情勢を説明したのはやはり正解だった。
「もちろんです。トリス騎士団長殿。十選に選ばれ、契約者のナンバーズを倒されたあなたの無事を確認しに来たのはもちろんのことですが。単刀直入に言いましょう。トリス様、あなた、うちの騎士になりませんか?」
「は?」「え?」
その場にいた皆がそう言ったに違いない。
率直に疑問しか出てこないその発言に私だけでなくトリスも、トリス、ユーリすらも驚いていた。
「何言ってんだ?」
「そのままの意味です。トリス様はアース国にはもったいなさすぎる。国移動の手続きは私どもであなたの返事一つですぐにいたしましょう。あなたが欲しいのです。あなたの強さが欲しいのです。騎士としての移動が無理というなら、私と夫婦になる。ということでもよろしいのですが。」
ルアがトリスにすがりつくようにそう言った。
トリスも驚いているようだった。
私はその様子を見て、なぜか不安が押し寄せていた。
トリスが私を裏切って別国に行くことなんて絶対にないってわかっているにも関わらず言い表せようのない不安が押し寄せた。
ルアの上目遣い、胸にあてた手、魅せるために上に向けたあご。男を手中に収めてきた数は知れずという感じ。
そのせいで私は不安を抱いてしまったのか。
トリスがそんなことで揺らぐはずはないと思っているが、それは記憶があったころの話。
今は・・・。
マイーズ国に来い? 夫婦になろう?
デイルに負けず劣らない美少女のこの子が僕を誘っている。
緊急電報の内容は、マイーズ国が攻めてきている。
トリスを出せと言ってきているため早く戻ってきてほしいとのことだった。
そのはずなのに、今僕は誘惑されている。
結婚。
こんなかわいい子と結婚。デイルより背がちょっと低く、胸も小さいが、それがむしろ、かわいさを強調させているようで幼さを残した雰囲気を持っている。
目は大きく少し吊り上がっているものの、鼻筋は通っている猫を思わせるようなかわいい少女。
この世界の王女はどうしてこんなにレベルが高いんだ。
そんな子が僕と結婚?
お金はもちろん、いっぱいあるだろう。
かわいくてお金持ち。
この世界が元の世界だったら間違いなく断ることも悩むこともない条件。
結婚かー、悪くない転生人生なのかもしれない。
別に転生したからと言って真面目に騎士という役目を果たす必要なんてないのかもしれない。
これは僕の人生楽しく幸せに生きてくのも一つの道なのかもしれない。
ちらりとデイルの方を見る。
三週間会えてなかったデイルは、より一層かわいいような気がした。
山賊にやられた傷もあっという間に魔法らしきもので治してくれたし、第一声も僕への感謝と心配。
やさしさの塊、素晴らしい女の子だ。
よく顔も性格も美少女になれたもんだ。美女の性格は悪いっていう僕の持論を覆すことがあるなんて。
まぁ、それとこれとはまったくの別問題。
さてどうしたものか、僕はどうしたいのか、このままデイルとともに騎士を続けたいのか。
マイーズ国の王女様と結婚して平和に普通に生きていきたいのか。
そりゃぁもちろん、僕は戦いなんてしたくもない、慣れてきたとはいえ、さっきの剣も殺気がなかったとはいえかなりの速度、いざ避けるとなってたら、できたかどうか怪しいところ。
はっきり言って戦いなんて向いていないんだ僕には。
答えは決まった。
いや決まっていたという方が正確だろう。
デイルの目をもう一度見た。
「俺は、アース国の騎士だ。トリスをなめるんじゃねぇよ」
何を言っているんだ。
これまでの僕だったら間違いなく楽な結婚という道を選んでいただろうに、デイルの目を見たらやっぱり見捨てるなんてできないなんて思ってしまう。
こんなことならこの国の情勢、デイルの話なんて聞くんじゃなかった。
「・・・しかたないわね。でもあきらめないから」
案外簡単に引いてしまうんだな。
マイーズ国の王女はそう言い、僕から離れた。
あーラベンダーみたいないいにおいが離れてしまい、名残惜しい気もする。
デイルはどうやら一安心しているようだ。
「じゃあ、本題ね。」
これが本題じゃなかったのかと思う。
でまかせだろうけど、よくもまぁこんなポンポンアイデアが出るなんて感心する。
「マイーズ国とアース国の国境に魔物の目撃情報があるの。合同で討伐しない?」
僕とデイル両者に向けたその言葉、魔物、魔法があるのだからそのくらいあるだろうと思ってたけど、討伐?
嫌な予感しかしない。
「詳しく聞かせて」
僕の不安をよそにデイルはすぐに答えた。