修行とハプニング
老人の朝は早い。
それは転生してきたこの世界でも同じらしい。
修行、特訓生活の朝は大体4時半くらいに始まる。
大体ってのはこの家には時計がないから日差しの感じで推測するしかないのでしょうがない。
まず、朝4時半くらいにセンバの爺さんにたたき起こされる。
文字通りたたき起こされる。センバは常に木刀を手にしていて起きるまで足、背中、頭と順に殴ってくる。
痛さのあまり叫びながら起きてやることは、薪割り、川への水くみ、朝ごはんづくり。
これらは完全な爺さんのお守り。いちいち文句をつけ叩かれる。それが朝の日課。
自分が早起きしてしまうからといって、僕を巻き込まないで欲しいと言うのが本音。
朝ごはんを食べ終わってから、いよいよ修行らしい模擬戦が始まる。
と言っても、ただただ僕が木刀で叩かれるだけ。
「よけろ」
その一言だけ言われ、僕は木刀を握ることなく、センバの木刀による攻撃を受けるだけだった。
もう全身痣だらけ。
この一週間、毎日殴られているおかげで多少は痛みに慣れてきつつあるのが救いなのかなんなのか。
右腕のあざが治りかけたと思ったら今度は左腕にあざができるそんな一週間が続いた。
昼ごはんも、もちろん僕の仕事。
川に行って、魚を捕まえる。最初はセンバも一緒に来て、素手での魚捕獲方法をやって見せた。
そしてまた、
「魚は最低5匹は捕まえてきてくれ」
一言言って、あとは任される。
釣り竿や網などを使うことは許されず、センバがやって見せた方法を見よう見まねで頑張るしかない。初日は一匹も捕まえられず、十発殴られたのは懐かしい。
今となっては、なんとか5匹捕まえることができるようになってきた。
コツはいち早く魚を見つけ、来るであろう場所に待ち構え、着た瞬間にすくい上げる。すくい上げる速度が特に大事。
こんなことできたところで何の得になることやら。少なくともセンバに叩かれないで済むくらい。
昼ごはんが終わったら風呂をたくまで、また修行。
今度はセンバ言ったとおりに体を動かすという意味の分からない修行。
「右手を挙げ、左足を右に出せ。もっとゆっくり」
ひたすらゆっくり、これまたセンバの思うとおりに動けないだけで背中から思い切り叩かれる。
変なダンスをやっている気分になる。
風呂を焚き、夜ご飯を作ってようやく寝れるのかと思いきや、そうもいかない。
センバは布団に入るものの、僕はセンバが眠っている縁側の近くの庭で素振りをしなければならない。
センバが眠っているのであれば、僕も寝てしまえばいいのではないかと思う方もいるかもしれないが、そうもいかない。
センバは、僕が素振りをやめると目を覚ますのだ。
また全力じゃなかったり、良くない型で降った場合にも目を覚ますのだ。はっきり言って化け物。
音だけで僕の素振りの様子がわかるのだ。
「型が悪い。」「音が弱い。」そんな理由で僕はこれまた叩かれる。
五百回の素振りを終えてようやく寝ることが許される。
これが、僕の修行生活。叩かれてばっかりの地獄のような生活だ。
何度、逃げだしたいと思ったことか。そのたびにデイルのあの笑顔を想像して頑張ってきた。
ただ、この修行生活をしてわかってきたことがある。
トリスという肉体が本当に強靭であるということ。素振りを五百やっても決して筋肉痛にはならない。叩かれて痣になっても次の日には半分以上治っている。
改めて、僕はトリスという人間に転生してしまったということを自覚するポイントでもある。
人間の慣れに恐ろしさを感じながら、加齢臭が香る地獄の生活が3週間が経ったある日、
突然。貝のような形をした箱が大きな音を鳴りだした。
夜ごはんの時間だったのでかなり驚いた。
センバも驚いているようだった。ちょっとだけ眉毛が上がっていた。
センバの表情が変わることは滅多にないので、僕はその表情に少し新鮮味を感じた。
そして貝のような箱のふたを開けて、一言、言った。
「緊急事態じゃ、今すぐ、街に急ぐぞよ」
「お嬢様!トリス様が目覚めています!」
半年、体はすでに回復しているはずなのに、眠っている状態が続いていた。もう目覚めないかとも思った。
サリリンからのその知らせに、私は驚きよりも喜び、安堵した。
これでアース国はまた安定する。お父様の国をまだ存続させることができる。そう思った。
「あなた・・・はだ、だれ・・・ですか?」
喜びも安堵も一瞬で壊れた。目の前が真っ暗になった。
けれど私は、こんなことであきらめるわけにはいかない。
私はこの国の王。私があきらめてしまったら、この国の民たちは皆を悲しませることになってしまう。
私は私だけはこの国を捨てるわけにはいかない。
「トリスとして生きてもらうわ」
クロダと自分のことを言った彼は、不思議そうな顔をしていたけれど、どうやら覚悟を決めてくれたらしかった。
記憶が上書きされてしまっているのに、トリスとして生きていく覚悟を決めてくれたのがせめてもの救いだった。
これで、なんとか国を守ることができる。
まだまだ、試練は多いけれど、前に進むことはできる。
記憶がまったくないというクロダ、もといトリスに国のこと、世界のこと、トリスの人格、口調について一週間という期間を使って教えた。
トリスは思ったよりも呑み込みが早くすんなり受け入れてくれた。
あとは、騎士としての技術、こればっかりは私ではどうにもならない。
トリスの元師匠のセンバさんに頼むのがいい。
きっと足りないものを的確に教えられると思う。というかそれ以外に私には方法が思いつかない。
無事、センバさんにトリスを任せることができた。
一か月、過ぎてしまえば、ひとまず安心できる。騎士としてのトリスがいてさえくれれば国を守ることはできる。
トリスをセンバさんに任せてそろそろ、三週間となろうとしたとき、危惧していた問題が発生してしまった。
「デイル様、大変です!」
午前中の業務を終え、お昼休みを取ろうとしていた矢先、連絡係のメイド、ハナサキが大慌てで、業務室に入ってきた。
明らかに焦っている様子だったので、嫌な予感がした。
その予感は案の定当たっていたのだが、まったくうれしくはない。
「なにがあったの?」
「マイーズ軍が攻めてきました」
やっぱり、ついに、こんな時に!
どの言葉も当てはまる。
ため息が出そうになる思いを抑え、決意を固めて立ち上がった。
「わかったわ、すぐに行くから、外門だけいつでも開けられるよう準備しておいて」
「はい」
少しの安心間を抱きながら返事をしたハナサキが、勢いよく部屋を出ていった。
その背中を見ながら、私は着替えるためにクローゼットのある部屋へ向かった。
動きやすく、威厳のある、アース国に伝わる戦闘用王女服に身をつつみ、私は城の外へと急いだ。
城の外には、国民が住む街がある。
外交につながる道は一本道で街もその道を中心線として左右に城を囲むように位置している。
今はその一本道にマイーズ国の騎士団が列をなして城の方に向かっている様子を確認することができる。
「王女様、いかがいたしましょう?」
いつでも臨戦態勢に入れる準備ができた副騎士団長のヤマトが、現在のマイーズ騎士団の状態とアース騎士団の準備状態の報告とともに聞いてきた。
「私が、外門から出て話してくるわ、きっと向こうもそれが狙いだろうから」
城に入るには外門という門を開けなければならない、その門自体を強引にあけることはすなわち宣戦布告になるため、マイーズ国は門前で立ち止まっている。
私が出てくるのを待っているのだ。
「あまりにもそれは危険すぎませんか?団長が不在の今、せめて私だけでも同行させてください」
「大丈夫。マイーズ国も別に今すぐ戦争をしようってわけじゃないはずよ。それに一人で行くことで戦う意思がないこと、余裕があることを示せるしね」
「でも・・・」
「わかったわ、じゃあ、何かあった場合にすぐに割って入れる位置にヤマトあなたにいてもらう。これでどう?」
「はい、それでおねがいします」
団長があれだからこそ、ヤマトの真面目さが特に光るのかもしれない。
副ではあるが頼もしい限り。
私は本当に周りの人に恵まれていると思う。だからこそ、守らなければならない。
「じゃあ、行ってくるわ。外門、開けて!」
ガガガガ
大きな音を立てて、外門が開き、マイーズ国の騎士団たちの姿が見えてくる。
きれいに整列した騎士たち。まっすぐにこちらを見ている。
注意は向いているものの、敵意殺気はなく、やはり即戦闘になる空気は皆無のようだ。とりあえず一安心。
一歩、一歩と騎士団の方へ近づいていく私。
外門の出口寸前まで近づいたとき、マイーズ騎士団後方から声が聞こえた。
「あけて」
決して大きくないその声で、マイーズ騎士団の列は真ん中から左右に分かれ、私から声の主までに一直線の道ができた。
実に統率のとれた動きに私は少し感心した。
「お久しぶりね。デイル」
馬車の扉が開き、声の主が側近の騎士に手を引かれながら降りてきた。
「王会以来だから、三か月ぶりね。ルア」
私がルアと呼んだのは、マイーズ国の王女、ルア・マイーズ。
「ふふ、相変わらず、警戒心が薄い、あまあま国ですわね」
「お隣のマイーズ国の皆さまなので、友好の気持ちしか持ち合わせてないだけよ」
「あははは、お隣じゃなくて、マイーズ国に囲まれたの間違いじゃなくって?」
明らかに挑発しているルアの言葉と口調。
嫌な記憶が思い出される。
「今日はなにしに来たんでしょうか?」
ルアの嫌な口調や態度を少しでも早く終わらせるためにも、私はさっそく本題に入ることにした。
「おたくの騎士団長様のうわさを聞いてから、しばらく音沙汰がないなぁと思って、様子を見に来たのよ。契約者の一人を倒したとか。そのわりには国がずっと静かだなーと思って。英雄のトリス様に会えないかしら? 私からも直接感謝と称賛を送りたいのよ」
トリスが契約者を倒したといううわさが流れることは重々承知していた。
それほどまでに大きな偉業をトリスは果たしたのだ。
でも、その時大けがをしたこと、目覚めなかったことはアスペン王と十選の騎士たちの間での秘密にしてもらっていた。
もし知られれば、それだけでこの国の危機になりかねないから。
だから、もちろんルアもそこまでの事情は知らない。
しかしそれでも、明らかに静かなアース国に疑念を抱いたに違いない。だからこそこうして、様子を見に来た。
さらに、トリスの不在によっては、いつでも攻め込めるという意思を表明するために。
まずい。
幸いトリスは目覚めた。姿さえ見せられれば、ルアも引き返すはずだっただろう。
けど、今トリスはいない。センバさんのところに修行に行ってしまっている。
「ごめんなさい、トリスは今、元師匠のところに行っていて不在なの。また日を改めてなんなら来週にでも来てくだされば、確実に元気な姿をお見せすることができるわ」
悩んだすえ、私は本当のことを言うことにした。
トリスの記憶がないことは言わないけれど。この理由なら、ルアもおとなしく帰ってくれる可能性が高いと踏んだから。
「本当はトリス。死んじゃったんじゃないの?」
私の推測とは異なり、ルアは帰らず、むしろ好機とばかりに踏み出してきた。
「そんなわけないじゃない。トリスは生きているわ。でも本当に今はいないの。」
「呼んで」
「え?」
「今すぐ、呼んでって言っているのよ? アース国にも緊急電報くらいあるでしょ? 今すぐ呼んで、トリスを」
ここまで、踏み込んでくるとは思わなかった。
「さすがにすぐに呼べって言われても、どうしてそこまで急いでいるの? 別に来週でもかまわないんじゃない?」
ここで簡単に意見を受け入れるわけにはいかない。
トリスが記憶喪失というのもあるけど、なにより意見を言えば通るという関係を作っては絶対にだめ。外交において意見の受け入れは特に慎重にならなければならない。
「はっきり言うわ、疑っているの。私たちの見立てではトリスは大けがをして表に出れないと読んでいるわ。それによっては、私たちは今ここで、この門をくぐろうと考えているの。」
すでに宣戦布告と言ってもいいほどの発言。ルアの目は真剣そのもの。
断ることもできる。
けど、その道は私にはない。下手に抵抗して戦争するわけには絶対にいかない。
トリスが万全じゃないうちに勝ち目なんてないのだから。
「わかったわ。すぐに連絡する。でも、本当に今、山奥にいるの明日の朝には絶対に来るからそれまで待ってほしい」
私たちが譲歩できる最低レベル。トリスには悪いけど修行は中途半端になってしまう。
「んふ、わかったわ。それでいいわ。私も鬼じゃない。一日くらいは待ってあげましょう。でも、明日の朝九時までにトリスが私の前に現れなかったら、わかっているわよね?」
こういう念を押すときのルアの目は相変わらず、殺気がするどく、たじろいでしまう。
後ずさりそうな気持ちをおさえ、私は強くうなずいた。