第73話:Grief Work2
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盤面に駒は出そろった。出し惜しみせず、俺は乾坤一擲の弁舌に自己の進退を賭ける。当たり前だが、俺はハッカーだ。万人を博愛に漬け込むグレートマザー教会のシスターでもなければ、理路整然と信仰を解説するハイエンド教会の聖職者でもない。他人の人生に知ったようなことを言えるほど偉くないのは分かっているし、そもそも関心がない。
だが、俺は俺なりにストリンディを評価したつもりだ。人智の人格補完プログラムの助けを借りたとは言え、深淵の底から浮上したこいつのしぶとさはたいしたものだと思う。そして、どう足掻いてもこいつは根っから生真面目な奴だ。だからこそ、俺はストリンディが一番納得しそうな「戦友の犠牲を無駄にしないために生きろ」と囁いてやったのだ。
「……あなたは、本当に口が上手ですね」
ややあって、ストリンディは俺を見て困ったようにほほ笑んだ。一瞬、反論されるのかと俺は身構えた。
「ハッカーですもの。手練手管には自信があるわ」
内心の動揺を押し隠し、俺は至極当然と言わんばかりの顔をする。
「でも、今はそれに感謝します」
そしてストリンディは静かに椅子から立ち上がると――
「情けないところをお見せしました。あなたは惨めな私に、再び剣を握る意味を与えて下さいました。心から感謝致します」
流れるような動作で俺の前にひざまずいた。まるで、子供が読む絵本に出てくる、清廉潔白な騎士のように。
「そしてどうか、私の忠義をお受け取り下さい。あなたこそ、私の主君です」
どうやら、俺は賭けに勝ったようだ。
「ならば、あなたは私と一緒にオヒガンに来てくれるわよね?」
俺が関心があるのはこの一点だけだ。忠義なんてどうでもいい。
「ええ、どこであろうと。たとえ死地であろうと、私が必ずあなたを全身全霊でお守りいたします」
百点満点のストリンディの返答を聞き、俺はそれこそ主君のような顔でこう言ってやった。
「それでこそ、私の騎士よ」
約一時間後。ハッカー専門のバー、野武士にて。
「進捗はどう?」
人混みを掻き分けてカウンターに近づいてきたのは、アシッドレインだ。
「問題ないよ。彼女はコンフィズリーの護衛を引き受けてくれたそうだ」
多重展開された仮想スクリーンに映るメタ将棋の盤面。そこから顔を上げたのは、外骨格に頭部と両腕を覆ったステイルメイトだ。
「ああ、よかった。これで一安心だね」
アシッドレインはステイルメイトの隣に腰掛け、近くを浮遊するフェアリーの給仕に冷光タコのアヒージョを注文する。
「君はなぜシェリス・フィアを気遣う?」
仮想スクリーンを消し、改めてステイルメイトはアシッドレインの方に向き直る。その外骨格に搭載された単眼がドワーフの矮躯をとらえる。
「僕が気にしたのはあの騎士の方だよ。だって僕の数理があの子の心を壊したんだ。アフターケアはきちんとしないとね」
発端は確かにこのドワーフだ。彼が大綱をあさって作り上げた悪趣味な汚染映像。そこに偶然紛れ込んでいた震源の映像こそが、ストリンディのトラウマを呼び起こしたのだ。だから彼は、彼女が立ち直るまでこの件に関わってきた。
「まさに君は『イカレた』アシッドレインにして『お優しい』アシッドレインだ」
ステイルメイトは納得したように一人うなずく。
「そういうあなたこそ、通り名にふさわしいハッカーだ、『人形遣い』ステイルメイト。あなたの繰糸は震源さえも操るんだね。さすがスカイダイバー」
アシッドレインは尊敬の念さえこもった眼差しで彼を見る。
「買いかぶりだよ。僕は深淵という大海に釣り糸を垂らし、小エビの影を釣り上げたに過ぎない」
二人が話しているのは、シェリスが使った震源の図画を召喚する数理についてだ。あの整式の執筆者はこの二人である。ステイルメイトが震源を制御し、それをアシッドレインが精神に作用する数理として形に留めた。
「普通は逆に呑み込まれるけどね」
他者の記憶を共有できるアシッドレインの数理も驚くべき内容だが、恐ろしいのは真正の混沌さえ御するステイルメイトの技量だ。
「ところで、天蓋の上層にまで到達したハッカーは、己の流儀に沿った超越数理を授かるらしいね」
アシッドレインが語るのは、ハッカーたちが囁くまことしやかな噂だ。この異能欲しさに天蓋に挑むハッカーもいる。
だが天蓋は、スカイダイバーの称号はそのような生中な連中がたどり着けるものではない。大綱という情報空間に在る人跡未踏の聖域は、単なるチートが欲しいだけの凡人をことごとく拒絶してきた。むしろ、この超越数理は天蓋の踏破という偉業に対する付録だ。仙人を目指す過程で電算仙術が作り出した、数多くの数理やデバイスのようなものだ。
ステイルメイト。本名ギルズリー・オーディル。通称人形遣い。二体の機甲文楽人形を教書として従える天才ハッカーにして真正のスカイダイバー。彼が有する超越数理は、その流儀である「操作」に関連したものだ。そして彼の弟子グレイスケール。本名シェリク・ウィリースペア。天蓋に挑んだ彼が、言わば参加賞として手にした超越数理は――
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