第71話:Abyssal4
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これが、ストリンディ・ラーズドラングの心の奥底に眠る、見てはいけない記憶だ。
「私のせいでみんな狂ってしまいました! ヒトではなくなってしまいました! 私が悪いんです! 私がみんなを裏切ったんです! なのに私だけが今生きています! どうしてですか!? どうして一番悪い私が、こうしてのうのうと生きているんですか!?」
簡潔に「知るか」と言えれば一番楽だが、そうもいかないのが現実だ。一通り錯乱してわめいた後、がっくりとストリンディは肩を落としてうつむく。
「これでもまだ、あなたは私が悪くないと言いますか?」
分かりきった返事を俺は口にする。
「ええそうよ。どう控えめに見てもあなたは悪くないわ」
「そんなことはありません」
「いいえ、悪くないわ」
「私のせいです」
「違うわ」
「違いません!」
俺が即答を繰り返したのが気に障ったのか、とうとうストリンディは顔を上げて叫んだ。その声には悲嘆や自嘲よりも、むしろ怒りの感情が込められている。
「あなたは悪くないわ」
頑なに俺は同じ答えを繰り返す。
「なぜですか!? な、な――何様のつもりであなたは私に説教するんですか!?」
やれやれ。ようやく本音が出たな。あれだけ温厚で健全で辛抱強くて柔和な騎士様も、やっと――本当にやっと、俺に対して怒りの感情を露わにしたようだ。
「部外者のくせに、関係ないくせに! 余計なお世話です、私を放っておいて下さい!」
首を左右に振ってストリンディは叫ぶ。まるで駄々っ子の返答だ。
「……ああもう」
本当に面倒臭い。
(もう……全部終わりです)
ストリンディは、自分でプライドも自信も礼儀もペルソナも踏みにじっていくのを自覚していた。それは奇妙な快感でもあった。自分で築いた砂の城を自分で崩す感覚のようなものだ。それは確かに背徳であり堕落であり、少し前の自分ならばこの行為を非難しただろう。でも、所詮自分はこの程度の器だったのだ。
なにが騎士だ。よくもまあ、あんな虚飾にすがって騎士道を邁進しているとうぬぼれていたものだ。実際の自分は何だ? ただの学園の生徒でさえない敗残兵だ。シェリスに怒ったのもただの八つ当たりだ。どうにもならない自分が腹立たしく、それを指摘したシェリスを逆恨みしているだけに過ぎない。案の定、シェリスは呆れ果てた顔をして――
「――どうして“俺”が、グレートマザー教会のシスターの真似事をしなくちゃいけないんだ?」
その口調。その態度。その物腰。沸点に達したストリンディの意識が、一瞬で冷えていく。
「ホワイトノイズかキシアか知らないが、手抜きにも程があるぞ。あのドクターパラサイトもだ。いつかペットを一匹残らず殺虫剤漬けにしてから丸焼きにしてやる」
何から何まで違う。そこにいるのは確かにシェリス・フィアだ。華奢な細身を聖アドヴェント学園の制服に包んだ、銀髪と赤みがかった瞳が特徴的な可愛らしい少女。それなのに、心底うんざりしたかのように口の端を歪め、誰かに対して侮蔑の言葉を口にするその辛辣極まる仕草。まるで、人格だけがそっくり誰かと入れ替わったかのようだ。
「いいかよく聞け、ストリンディ・ラーズドラング。お前が騎士だろうと深淵帰りだろうともうどうでもよくなった。大負けしたギャンブラーみたいにみっともなく泣く時間はたった今閉幕だ」
テーブルに身を乗り出し、シェリスはこちらに顔を近づける。その睨め付けるような態度に、思わずストリンディは身を竦ませる。
「お前にはつべこべ言わずに俺と一緒にオヒガンに行ってもらう。もちろん報酬は出す。いくら欲しい? 言い値で払ってやる。即金でだ。だからそんな一銭にもならないこだわりなんか捨てて、さっさと正気に戻れ」
こんな少女など、その気になれば小指一本で押さえ込める。それなのに、ストリンディは完全に気圧されていた。
「シェリス……さん?」
「久しぶりの大仕事だ。いや、一世一代の大仕掛けになるかもしれない。相手はあの閉鎖空域エンクレイブの防壁だ。虚数域に浮かぶあの領地をオヒガンに受肉させ、セレフィスカリフの遺産に接触するのがミッションだ。迎え撃つのは一国の防衛システムだぞ。手練れのサムライだっているって話だ。分かるか? 最高のステージが俺たちを待っている」
熱に浮かされたかのようにシェリスは力説する。その言葉の強さを肌で感じ取り、ストリンディは理解した。彼女は――シェリス・フィアの魂は、決して揺るがない至純のハッカーなのだということを。何物にも染まらない。何者にも従わない。何があろうと、何になろうと、彼女はハッカーで在り続ける。
――大綱こそが、彼女の永遠の領土なのだ。
「何としてもお前には、ハッキング中の俺のボディを守ってもらう。俺は本気だ」
なんて眩しいんだろう。こんな可憐で華奢な少女がいったいどのような経験を経て、これほどまでに強固な自我を築いたんだろうか。それに比べて、剣の折れた騎士となり果てた自分がどうしようもなく惨めだった。
「私には……できません。あなたとは違って」
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