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第70話:Abyssal3



◆◆◆◆



「あなた、自分がブッダかメサイアとでも勘違いしているのかしら?」


 俺は内心うんざりした。さっさと百害あって一利なしの自罰的思考から、ストリンディを引っ張り上げなくてはならない。こいつは自分がへまをしなければ、味方を全員救えたとでも思っているんだろうか。コミックで活躍する最強無敵でチート満載の主人公でも無理な相談だ。


「誰かに言われたの? 作戦が失敗したのはお前のせいだ、責任を取れって責められたのかしら?」

「いいえ。少なくとも、そういう記憶はありません」

「なら――」

「これは私の問題です。私はあの時、部隊の副隊長でした。私には、共に戦う仲間を守り、本部と連絡を取り、作戦を遂行、あるいは遂行不可能ならば撤退を提言する義務がありました」


 俺がここまでストリンディ・ラーズドラングにこだわるのは、この騎士を俺のボディガードにするためだ。エンクレイブの防壁を破る大仕掛けを実行するとき、意識をシンハ・ギリの僧房に置いた俺のボディは完全に無防備になる。ファイア&ソードの話によると、リェースニツァには手練れのサムライがいるらしい。俺にはこいつの戦闘力が必要だ。


 だが、騎士道精神に骨の髄まで染まったストリンディは、オヒガンには出張できないと俺のスカウトを断った。だからこそ、俺はこいつに「お前は騎士じゃない」と突きつけるまでに至ったのだ。こいつは所属するフェニーチェ財団に恩義を感じているが、それは外付けの妄想だ。ドクターパラサイトの寄生虫に偽の記憶を封入されているにすぎない。


 いろいろと綱渡りの作戦だった。ストリンディとデートしたのも、こいつが俺に好意を抱くためだ。そうでなければ、企業間闘争で対峙した際に「学友と言えども今は敵同士。お覚悟を」とか言われて一刀両断にされるのがオチだろう。俺に絆されたストリンディは案の定手加減し、こちらは起死回生の電算仙術で渾沌道人の図画を召喚できたのだ。


「多忙な副隊長ね。隊長さんは?」


 そして待っていたのは、トラウマとPTSDで滅茶苦茶になったストリンディのメンタルケアだ。面倒なことこの上ないが、こいつが再起不能になったら困るのは俺だ。仕方なく俺はストリンディの愚痴に付き合う。


「深淵から湧くものたちの、最初の犠牲者に」

「無能な隊長ね。いの一番にやられては世話がないわ」

「そんなこと言わないで下さい!」


 血相を変えてストリンディが叫んだ。しまった、口が滑った。ストリンディの目が据わり、体ががたがたと震えだす。


「……あんな恐ろしい怪物が……深淵を覆い尽くすくらいに群れているなんて誰も思いもよらなかったんです。……あんなものがこちら側に進攻してきたならば……どれほど多くの犠牲が出るか……!」


 世ニ三聖在リ。曰ク九界天網雷公真君、曰ク不可無疆殃慶天尊、曰ク大禍絶遠渾沌道人。即ち人種の守護たる公議、大綱にて夢見る大蛇“擬態”、そして深淵の闇にのたうつ震源。電算仙術と数理の知識を組み合わせるとそうなるが、公議は発狂しているし、擬態は眠る爬虫類、そして震源は悪質なモンスターだ。


「悪かったわ。少し口が過ぎたわね」


 ストリンディの怯え方を見れば、三聖とは口が裂けても言えない。


「いいえ、私も冷静さを欠きました」


 俺が謝ると、何とかストリンディは恐慌状態から収まる。


「隊長が真っ先に犠牲になった以上、私が部隊の指揮を執るべきだったんです。でも、私はできませんでした。いいえ……私はしなかったんです!」


 ああ、駄目か。またトラウマが蘇っている。


「私は逃げたんです! 私は……私は……私はみんなを見捨てました! 最初は大丈夫だったんです。深淵と言っても知覚可能な太古の遺跡のようなものだろうって全員が思ってました。隊長も大丈夫だって、何かあったら私を頼ってくれって笑ってたんです!」


 役立たずの隊長が。ただのトラウマ発生装置の分際で隊長を名乗るとは呆れた話じゃないか。


「でも……でも……今思えば、あれは罠でした。私たちは、奴らに深淵へ誘い込まれていたんです。少しずつ少しずつ深みにはまっていったんです。気づいたときには遅すぎました。深淵の眷属たちが突然本性を出して……あの狂気には私たちは誰も耐えられませんでした。真っ先に隊長がやられ、負傷した仲間が見る見るうちに変わっていって……」


 ストリンディの手からカップが落下して割れる。自分の体を抱きしめて、ストリンディは限界まで目を見開く。その目には俺どころか何も映っていない。


「私たちは本部に通信しようとしました。でもできませんでした! 私たちはもう、どこにも逃げ場がなかったんです! どこにも!」

「そして待っていたのが、部隊の壊滅だったというわけね」

「それでも私は……逃げました。部隊は散り散りになって、もう統制なんてどこにもありませんでした。後ろからはみんなの悲鳴が……『助けて!』って声が聞こえました。あんなの訓練になかった! 私のせいです! 私が逃げなければ! 私がもっとちゃんとしていれば! 私が正気を保って指揮を執っていれば、みんな狂わないで済んだんです!」



◆◆◆◆



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