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第55話:Apotheosis



◆◆◆◆



「ご存じないな」


 俺は平静を装って答えたが、内心では驚いていた。


「複製とはいえ、見ず知らずの男に頭のてっぺんから爪先まで貸与するとはいい度胸だ。皮肉じゃなくて本気でそう思うぜ」

「さて、どうでしょうか」


 イヴァーニンの閉じているのか開いているのか分かりづらい細い目がこちらを見る。その目に苛立ちや嫉妬のような負の感情は何一つない。


「自己紹介が遅れました。私の名前はイヴァーニン・ミルケーリッチ・アルバレフ。東方正真教会の司祭にして、開国支援組織リェースニツァのアドバイザー、そしてノヴィエラ王女の相談役です」

「随分と多忙だな。見た感じ、最も大事なはずの聖職を一番サボっているようだが?」

「耳が痛いご意見です」


 俺の皮肉にもイヴァーニンはほほ笑むだけだ。


「どうぞ、おかけになって下さい」


 促されるまま、俺は近くの椅子に腰掛けた。仮想空間特有の雑な速度で、テーブルの上にサモワールとティーカップ、皿に載った茶菓子が出現していた。


「ご存じかも知れませんが、エンクレイブは開国派と鎖国派によって真っ二つに引き裂かれた国です。私たちは開国派を支援していますが、あなたの上は違います」


 俺は砂糖漬けの合成フルーツを口に入れる。強烈に甘いが、少々上品すぎる味だ。


「エードルトとシーケンサー? あれは上じゃないわ」


 熱い紅茶でその上品さを洗いつつ、俺は反論する。


「しかし、あなたに命令していることは事実です。エードルトはエンクレイブ鎖国派の人間、そして彼の属するシーケンサーは鎖国派を地上で支援する組織です」

「それが押しつけてきたのが、あなたと瓜二つの人造とは笑えるわね。あなた、二重スパイ?」


 まったくもってこの司祭はうさん臭い。息をするかのように八方美人に振る舞い、対立する複数の組織に取り入っているのが手に取るように分かる。そして、当然こいつは俺にも取り入ろうとしている。仮にも神に仕える司祭がそうするとは、歪そのものだ。


「私が仕えるのはただお一人です」


 大まじめにイヴァーニンは首を振る。


「……主宰、というわけではなさそうね。ますます、あなたは聖職者にしてはきな臭すぎるわ」


 聖職者が敬うのは主宰であって人ではない。だが、どう見てもこいつはノヴィエラ王女その人に入れ込んでいる。こいつにとって俺は、恐らくノヴィエラの付属パーツでしかないのだろう。


「私の望みはただ一つ。ノヴィエラ王女の願いをあなたが果たすことだけです。どうかエンクレイブにお越し下さい」


 大きなパイを悠々と平らげたイヴァーニンが、改めて俺にそう告げた。リエリーを餌にして俺を釣り上げた理由は、直々に仕事を依頼したかったからだろうか。


「それが、私にどんな利益があるの?」


 イヴァーニンは指を一本立てる。


「私が今、あなたに伝えることは二つあります。まず一つ――」


 そして続けられた彼の言葉は、にわかには信じがたかった。まあ、信じる必要もない。だが本当だとしたら――


「……クレイジーな話だ」

「これは、シーケンサーが知らないことです。切り札となることでしょう。そしてもう一つ――」


 イヴァーニンは二本目の指を立てる。


「我々はエンクレイブの防壁の破却を人形遣いステイルメイトに依頼しました。あなたも協力ができるのでは?」

「真正のスカイダイバーに助力が必要とでも?」

「あなたのかつての失敗は、純然たる経験の不足ではないかと師は推論しているようです」

「まあ、部外者如きが賢しいのね」


 イヴァーニンの視線と俺のそれが、テーブルを挟んでかち合う。


「それ以外に報酬も用意しております。さらに事が終われば、あなたの精神をボディから摘出し、複製にはなりますが本来の体に戻して差し上げましょう」

「なるほど。あなた方が行った施術を反転して行えばいいのだから、楽なものね」


 俺は言外に「俺をこのボディに入れたのはお前たちか?」と探りを入れた。だが、イヴァーニンは失言を発しない。


「あなたは本来男性。女性の体は不快でしょう。私たちならば、あなたを過不足なく元の体に戻せると約束します。既にご自身のアイデンティティの喪失に苦しまれているのでは?」


 ――いや、やはり失言か。確かにイヴァーニンは、俺がノヴィエラの体に入った経緯はもらさなかった。だが、こいつは俺からのわずかな信用さえ得ることはなかった。


「……いかがされましたか?」


 イヴァーニンは細い目をわずかに開く。


「馬脚を現したな。『戻して差し上げましょう』じゃなくて『戻って下さい』だろう?」


 背景がかき消えていく。雪が溶け、屋敷が構文となって崩壊し、サモワールが地面に落下して砕ける。


「お前はハッカーのことを何も分かっていない。俺じゃない、ハッカーのことを、だ」


 俺はこいつに理解を求めない。だが、ハッカーのイロハも理解できていない奴の口車に乗る気は毛頭ない。イヴァーニンに興味が失せた俺は、椅子から立つと背を向けた。もうこの情報空間も消える。


「俺が俺である根幹は肉体じゃない。俺が俺だという意志だ。お前たちの手を借りなくても、俺は俺を失わない。――俺は俺だけが目指すべき場所に行く」



◆◆◆◆




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