第50話:Mountaineer
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廃墟となった教会の礼拝堂。一人の聖職者の青年が、シンボルさえ失った祭壇の前でひざまずき祈りを捧げている。
「ホワイトノイズが贋作と接触した」
その背に声をかける機体の一団がいた。以前公園でシェリスに蹴散らされた面々だ。
「知っています」
どこ吹く風といった青年に、リーダーとおぼしき男は歯がみする。
「司祭、我々はもう待てない」
怒気をはらんだその言葉に、青年は立ち上がると振り向く。
「皆さんの憤慨はもっともです。私も行動しましょう」
端整な容貌と、閉じているのと大差ない細い目は、シェリスに仕えるヴィディキンスという人造と瓜二つだ。
「行きましょう」
「……承知」
彼に促され座席から立ち上がったのは、鉱化症候群が四肢の末端にまで進行したサムライだ。
「待て、イヴァーニン」
その背に、リーダーの言葉が投げかけられる。
「我々は祖国を、エンクレイブを何よりも敬っている。それを忘れるな」
わずかに振り返り、青年は肩越しにリーダーを見た。
「もちろん。私も敬っております」
呼吸器をつけたサムライを連れて立ち去る青年は、誰にも聞こえない小声でこう付け加えた。
「――あの方を」
聖アドヴェント学院の空中庭園。入園した俺を待っていたのは、ティーセットをテーブルに用意したキシアだった。
「お帰り、シェリス。座りなよ」
俺が席に着くと、いそいそとキシアはティーカップに紅茶を注ぐ。
「今まで僕は、いわゆる肉体というものを持っていなかったんだ。でも、あの聖遺物を触媒に受肉が叶った。だからこれを君に渡せる」
キシアは一枚の紙を質料ホログラムで具現し、そこにペンを走らせる。
「大綱ではホワイトノイズが聞き耳を立てている、というわけね」
「そういうこと」
紙を受け取り俺は目を通す。
「これは起動キーね」
「次の依頼だよ、ハッカー」
天使は俺を指名した。
「報酬は?」
俺は紅茶を一口飲んで尋ねる。
「まず現金。ほかにもあるよ。そして何よりも――」
キシアの口が笑みの形になる。教会の彫刻で表現される天使のアルカイックスマイルに似た、得体の知れない笑みだ。
「君の夢を一つ叶えてあげよう」
天使のように中性的な少女の口から聞こえたのは、むしろ異族のデーモンが言いそうな内容だ。
「私の願いが何か、知っててそう言ってるの?」
「もちろんさ。君はね――」
「――その口を閉じろ」
調子づいて言葉を続けようとするキシアに、俺は強い不快感が押し寄せるのを感じた。廃油のような粘ついた怒りが上乗せされる。
「どうして?」
困ったような顔でキシアが首を傾げるが、その白々しい仕草が苛立ちを加速させた。
「人の願いに土足で踏み込んでくると虫酸が走る。知ったかぶりの天使風情が何様のつもりだ? 身の程を知れ」
痛罵に鼻白んだ様子のキシアに、少しだけ怒りの温度が下がった。
「今まで随分と御しやすいヒトばかり相手にしてきたようね。夢を叶えるって言葉をちらつかせれば、みんな媚びへつらってきたのかしら?」
こいつが何者だろうと、ここまで調子に乗ったのは需要があるからだ。さぞかしこいつの甘言に心酔した連中は多かったのだろう。気に入らない。
「つまり君は、チートを嫌う健全な精神の持ち主ってことかな?」
キシアの見当はずれの指摘を俺は嘲笑した。矯正整式でその笑いは穏やかな笑みになる。
「本当にお馬鹿さんね。言わば私は最高の登山がしたいの。自分の脚で麓から山頂まで踏破するから意味があるのよ。航空機から山頂上空へ突き落とされて、登山家が喜ぶとでも思っているの?」
俺は自力で天蓋を踏破したい。それでこそ、俺はスカイダイバーを名乗れる。キシアの押す乳母車に乗って天蓋を遊覧したいわけじゃない。
「正論だね」
意外にもあっさりとキシアは認める。
「でも、助力なら歓迎するわ。私が挑むのは、下準備なしでは中腹にさえたどり着けない天蓋よ」
「チートでも?」
「ハッカーがチートを嫌悪するとでも?」
俺もまたあっさりと認める。チートも反則も異能も技術も使い方次第だ。
「君は複雑な精神の持ち主だ」
「人間なんてみんなそうよ」
何やらキシアは呆れているが、天使とやらは随分と単純な精神らしい。
「それで、これは何の起動キーかしら」
俺が一番肝心な点を尋ねると、キシアは真面目な顔で囁いた。
「――『セレフィスカリフの遺産』だよ」
下校しようとした俺を、校門で三人の人間が待ち構えていた。
「チューニングよ。同行してもらいます」
俺にそう告げたのはリーダーとおぼしき短髪の女性だ。若作りしているのが丸わかりの、赤い唇だけが目立つ冷たげなネコの旧人だ。その後ろには、眉毛も頭髪もない無表情の双子が控えている。揃いの白いスーツが目に眩しい。
「嫌だと言ったら?」
「このミッションを他のハッカーに任せるだけです」
女性は教書を開くと、一枚の仮想スクリーンを俺に突きつけた。そこには、満面の笑顔でダブルピースをするリエリーが写っていた。ただし、周囲ではビーハイヴの機体が彼女に銃を突きつけているのだが。明らかにリエリーの目には涙が浮かんでいる。
「あのバカエルフ……」
俺はため息をついた。
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