第49話:Phototaxis
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スカイライトの駅。ボーダーラインでベアリングウォールの面々と別れた俺は、杖をつきつつ一人でプラットホームに降り立つ。線路をチェックしていたイグアナの旧人の駅員が、爬虫類そのものの顔で笑みを浮かべ俺に頭を下げた。上層都市の駅は掃除が行き届いていて、清潔で健全だ。ここには下層都市でありふれている猥雑も喧騒もない。
ボーダーラインの駅を思い浮かべる。通行人を爆薬で脅して施しを強要するホームレス。視界をジャックしてくる広告。「私を食べて♪ 私を食べて♪ 食べろオラァ!」と叫びつつ試食を強要してくるケンカ・フライドチキンのマスコット。違法数理デバイスの売人たち。やにわに始まる銃撃戦。飛び散る情報キューブ。俺の故郷はあの混沌だ。
誰かが言っていた。「俺たちは前の世界では一人だった。けれども今の世界に生まれた時二人に別れてしまった。だから伴侶を求めるんだ」と。生憎、俺は生まれてこの方恋愛とは無縁だ。だが、分からないでもない。センチメンタルな言い方をするならば、きっと俺は前の世界で鳥だったんだろう。太陽に向かって羽ばたき続けた、愚かな一羽の鳥だ。
初めて大綱に接続した時のことはよく覚えている。データの沃野が開け、無限に広がる事象の領域。制限まみれの五体を離れ、意識が想像力によってどこまでも上昇していく。ああ、帰ってきたんだ、と俺はその時確信した。俺の魂と呼べる何かは、きっとここに戻ることを欲し続けていたんだ。そう、何よりも強く、理屈を超越して理解していた。
生まれて初めて熱中できるものを見つけた。どこに行くべきか、何を手に入れるべきかも分かった。必要なのは頭蓋骨の中身と、一冊の教書。俺にとってはそれだけだ。ボーダーラインを戦場とする企業も、縄張り争いを続けるクランも、若手のハッカー見習いはいくらでも必要としていた。実際、俺の周囲も次々と傭兵やハッカーになって稼いでいた。
連中が求めているものは同じだ。金銭、名誉、武力。そのためなら手足を切り売りして機体に変え、大脳に生体パーツを埋め込み、数理サプリメントをオーバードーズする。ボーダーラインに適応した生き方も悪くない。でも、俺はやはり鳥だった。餌を見つけることも、巣を作ることも興味がなく、太陽目がけて飛んでいくのを止めなかった。
天蓋。俺の太陽の名がそれだ。大綱の最上層にある人跡未踏の領域。あらゆるハッカーがその踏破に挑戦し、ほとんどが敗れ去った鉄壁の処女地。俺が鳥であるゆえんだ。鳥は籠の中で飼われていても、いつも空を見上げて羽ばたくのを止めない。なぜなら、あの蒼空こそ自分がかつていた場所であり、この魂が帰るべきただ一つの故郷だからだ。
天蓋への挑戦は、スカイダイビングと呼ばれている。情報の大海にして大空へと、あたかも落ちるようにして上昇していく様から付いた呼び名だ。ごくわずかだが、これに成功したハッカーが存在する。彼らが有する至上の名誉にして至高の技術の象徴こそ、この称号だ。すなわち“スカイダイバー”。比類なきヴィルトゥオーソ。生ける伝説の具現。
俺がギルズリー・オーディルに師事したのも、彼が本物のスカイダイバーだったからだ。幸い、彼と俺はハッカーとしてのスタイルが似通っていた。機体やインプラントに頼らず、生身が操る数理のみを頼りとする彼のストイックな姿勢は、俺も大いに学ばされた。彼の元で経験を積み、技術を磨いた俺は、満を持してスカイダイビングに挑戦した。
スカイダイビングのあの瞬間。データの断崖から仮想の一歩を踏み出し、天蓋目がけて上昇と落下を同事に味わう感覚は、今もはっきりと記憶している。加速していく思考。巨大な意識の中に飛び込んでいく躍動と恐怖。押し寄せる攻勢整式に似た無数の波濤。ミクロコスモスとマクロコスモスとが交錯する刹那と永劫。情報の処理が追いつかない。
鳥は、太陽に焼かれ事切れて落ちた。そう、俺のスカイダイビングは惨敗という結果に終わった。スカイダイビングは単なる大綱への接続ではない。究極と言ってもいい神秘への啓蒙だ。その道程は危険そのものであり、失敗の代償はあまりにも大きい。俺が失敗して支払ったものは、己の肉体だ。あの日、シェリク・ウィリースペアの肉体は消失した。
肉体を失った俺は、精神だけの存在になって大綱をさ迷っていたらしい。それ自体は悪くなかった。元よりハッカーにとって肉体は贅肉だ。このまま大綱にいるのも面白いと思っていた。しかし、唐突に俺の精神は捕らえられ、現実世界へと引き戻された。今、俺はエンクレイブの王女の複製とおぼしきボディに意識を封入された状態でここにいる。
どうやって俺の精神をノヴィエラ・セレフィスカリヤの体に入れたのか。そもそも、俺が大綱をさ迷っていることをどうして知ったのか。キシア、あるいはホワイトノイズがどれだけこの件に関わっているのか。知らないことはまだ多いが、俺の目標は一つしかない。
――――今度こそ失敗しない。俺は絶対にスカイダイバーになってみせる。
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