第42話:Pyramid Structure
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午前零時。作戦決行の当日。閉館したデザートローズ考古学博物館が見える古びた建物の屋上。そこに俺はヴィディキンスを隣に控えさせて立っている。防壁を無効化して警備用の人造をハッキングし、聖遺物を奪取するのが今回の作戦の概要だ。俺はその聖遺物を受け取るためにここにいる。
「ベアリングウォール、配置についたぜ。ヒヒッ」
勝手に乗っ取った教説放送の回線から、陽気なハッカーの声が聞こえてきた。ケミカルな方法で情緒と思考を底上げしている。もっとも、専用の肝臓と演算真菌を共生させた神経系を有するハッカーにとって、薬物によるブーストは正攻法の一種だ。
「準備は万全かしら?」
「絶好調。ソレイユ・ルヴァンの新作メニュー表だって盗ってこられるぜ」
スカイライトの有名ケーキ店の名を上げて、甲殻種族のハッカーは軋るような笑い声を響かせる。
「それはよかったわ。幸運を」
そう言うと俺は回線を切断し、教書を開く。表示されるスクリーンにはカウントダウン。さあ、仕事を始めようか。
――三、二、一。
「――接続」
意識を分断。五感の残滓を現実に残しつつ、俺は大綱の虚空へと潜行する。
現実の博物館にオーバーラップするようにして、博物館のセキュリティが視覚化される。徘徊するスフィンクスタイプの情報ガーディアンが四匹。下層保護構文の形状は流砂整式。そして何よりも、正式な企業に依頼して制作された防壁と追跡素子。無策で飛び込めば脳をテンプラにされるどころか、極秘だった口座の残金まで丸わかりという代物だ。
俺は防壁の末端に近づき、侵蝕ゴーストを接触させる。意識が先鋭化し、延長されていく。雨粒の一滴。乱反射する光の一筋。弦楽器の旋律の一音。それらに思考が重なるのは、大綱という情報空間をシンボライズする人の性か。指先が動いて教書内部の構文を呼び出し、もう片手が握る硬筆がリアルタイムでそれらを書き換え最適化していく。
俺がゴーストを忍び込ませている間に、マンティスの率いるベアリングウォールはスフィンクスの排除に取りかかった。連中が使うのは“ハリガネムシ”と名付けたお手製の論理病源だ。本来は対人用の武装であり、対象の制御を乗っ取った後は自殺に追い込むえげつない劇毒だが、今回は対人ではなく対防壁用に偏執的な改造を施してある。
影か霧のようにして、侵蝕ゴーストは防壁に取り付いて形質を同調させていく。防壁にもその制御システムにも違和感を感じさせない侵入こそ、ゴーストの本領だ。だが、俺は流れていく防壁の警戒構文の中に、わざとノイズの一文を混ぜる。外部からの侵入ではなく、スケダチ・コーポレーションの製品に特有のほつれを再現。スフィンクスが近づく。
一匹のスフィンクスがノイズを削除するその一瞬を見逃さず、ベアリングウォールがハリガネムシを寄生させた。巡回を再開するスフィンクスの内部で論理病源は増殖し、他のスフィンクスに感染していく。今回の作戦で、俺たちは防壁よりもスフィンクスに注目している。いかにこれをスマートに無効化しつつ利用するかに、俺たちはこだわっていた。
「オミゴト! 次はこいつらに水浴びさせてやろうぜ」
勝手に回線がつながると、ベアリングウォールのハッカーの笑い声が聞こえる。言われるまでもない。ハリガネムシの活動が活発になるのを確認しつつ、俺は侵蝕ゴーストに仕込んだサブスクリプトを起動させる。防壁から染み出るようにして、悪性構文が流砂整式の上に流れ出ていく。
ヒトを自殺させるのに凝った手順は要らないが、スフィンクスが突然自死したら通報される。自殺の方法は入念でしかも様式美。既にハリガネムシに思考ルーチンを乗っ取られたスフィンクスたちは、悪性構文を削除するどころかそれに身を浸していく。内部の免疫系整式を手動で封鎖。自立行動の主幹を麻酔。ソフトランディングな死が訪れる。
スフィンクスの自死と共に、ハリガネムシは行動パターンを次段に移行させた。ゾンビとなったスフィンクスは、何事もなく巡回を再開する。あらゆる警備システムに「異常なし」と連絡しつつも、その中身は既にベアリングウォールの手の内だ。そのうちの一匹に、俺は防壁をすり抜けた侵蝕ゴーストを憑依させる。目となり手となる端末が完成だ。
「――成功だ」
現実に置き去りにしたボディの口元が自然と吊り上がって笑みを浮かべ、舌と口腔が言葉を紡ぐのを意識の片隅で感じる。己の存在さえ気づかせず、セキュリティに致命的にして決定的な一撃を書き込む。ハッカーの真骨頂、ハッキングの醍醐味だ。今や博物館のセキュリティは獅子身中の虫を抱えつつ、頼みの綱の外壁を崩されている。
俺のゴーストが侵入したスフィンクスは、一階のロビーを巡回する。現実の監視カメラに視野を共有すると、次の獲物となる警備用の人造が歩いてきた。硬筆を走らせ、動線を描き込む。スフィンクスから監視カメラを経由して、ゴーストが人造に憑依。本格的に警備システムを乗っ取り始める。これを防ぐ防壁は、徐々に蟷螂の斧となりつつあった。
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