第36話:Gild the lily2
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学院の食堂で昼食を終え、中庭で休憩しているストリンディに声がかけられた。
「ストリンディさん。あなたの演技について、少しいいかしら」
彼女がそちらを見ると、少し離れた柱の陰にシェリス・フィアが立っている。
「はい、もちろんです」
そう言うと、シェリスは小さな手で手招きする。誘われるまま、ストリンディは彼女の方に近づいた。
「……シェリスさんの足を引っ張っている、とおっしゃりたいのでしょう」
ストリンディはため息をつく。
「王子として毅然と振る舞うほど、講師の方から言わせれば、役から遠ざかっているとのこと。あの方もヒントは出されますが、私の方で読み解く力が足りないようです」
「そのようね。でも私は、あなたが自力で会得するまで待つ気はないわ」
シェリスの返事はそっけない。ストリンディにとって、この少女は不可思議な万華鏡のようだった。外見や振る舞いは可憐な淑女でありながら、好きこのんで下層都市で遊び回っている。手を差し伸べたくなるか弱さと、大胆不敵な異常さが見事に同居していた。
「ねえストリンディさん、あなた、男性というものを誤解しているわ」
おもむろに彼女は語り始める。
「あなたが演じているのは、高貴、清廉、気品。そして足りないのは、欲望、劣情、卑俗といったところかしら」
「そんな……」
「そんなものよ。人間を人間たらしめるものは高邁な理想じゃなくて、感情と情欲じゃない?」
シェリスがこちらを見る。その目には、嘲笑とも侮蔑もつかない剣呑な光が宿っていた。
「恋い焦がれた女の子に愛を囁き、女の子から愛を囁かれ、抱きしめ、触れられ、ゼロ距離で全身が密着する。ビスクドールの王子様はどこまでも平静かも知れないけれど、血の通った一人の男性の王子様はどう思うのかしら?」
「わ、私は……」
「こう思うはずよ。『この女は俺のものだ。誰にも渡さない。俺だけが触れていい俺の女だ』って」
シェリスが唇の端に笑みを浮かべる。アイスクリームに添えられたミントのような清涼な笑みではない。獲物に齧り付き、肉を食い千切るサメのような笑みだ。
「い、いくらなんでもそれは……」
さすがにストリンディは抗議したくなった。高潔で貞潔な王子が、ヒロインを抱きしめつつお尻を撫でて鼻息を荒くしているようでは示しが付かない。
「“それ”は? 女性をモノ扱いするなって言いたいの? ええ、そうよ。ヒトはモノじゃない。でもね、どんな男性の心の奥底にも、いいえ、どんな人間の心の奥底にも、建前で飾れない本音があるのよ。それを卑しいとか下品とか醜いとか言うのは勝手だけど、それがなかったらヒトじゃないわ。ええと…………多分“ホトケ”って言うんじゃない?」
不意にシェリスの口から出た宗教の用語に、ストリンディは首を傾げた。
「仏とは、悟りに至った聖人のことでは?」
「まあそうだけど。俗語で仏って何を意味するか知ってる?」
シェリスがこちらに歩み寄る。彼女の方が背が低いため、こちらを見上げる形になった。我知らず、ストリンディは一歩下がる。シェリスがまた近づく。
「……知りません」
ストリンディの背が、壁に軽くぶつかった。すかさず、シェリスが体を密着させ、顔を近づける。喉元に噛み付くかの如く。そして囁く。
「――死人よ」
ストリンディは息が止まった。
「あはははっ! 笑えるでしょ? 人間風情がリビドーを全部削いで神聖になろうとすればするほど、逆に死体に成り下がるわけよ。まさに無様なパラドックスね」
シェリスが笑う。それは、およそ可憐な少女に似つかわしくない、聖人気取りの死体を足蹴にする悪意に満ちた嘲笑だ。
「だからストリンディさん。私はあなたに死体になって欲しくないわ」
シェリスの手が、そっとストリンディに伸びる。
「王子様は私が欲しいはずよ」
その細く華奢な体が寄り添う。
「さあ、手を伸ばして」
手が重なる。
「見つめ合って」
目が合う。
「息づかいを感じて」
シェリスの呼吸と、ストリンディの呼吸が重なる。
「心臓の鼓動に耳を澄ませて」
強化された騎士の聴覚には、シェリスの心臓の拍動がはっきりと聞こえる。不気味なことに、彼女の鼓動は少しも早くなっていない。
「私を求めて、私に触って」
甘やかな声が耳元で囁く。
「私はあなただけのものよ」
ごくり、と我知らずストリンディは生唾を飲み込んでいた。シェリスの小柄な体躯とはちぐはぐな艶っぽい挑発。しかしそれは、初心なストリンディにとって、脆い防壁に叩き込まれた砲弾の如き衝撃的な価値観の破壊だった。王子とはかくあるべき、魅力的な男性とはかくあるべし、そして騎士とは、自分とは――――。
「――まあこんな感じね」
「――え?」
不意に、すべてに飽きたかのようにシェリスはストリンディの手から自分の手を離し、密着していた自分の体もさっさと離す。
「キスでも期待していたの? 私は別にあなたの演技に持論を言っただけよ。そもそも私、スキンシップは嫌いなの」
右へ左へと振り回され、ストリンディは苦笑するしかなかった。
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