第29話:Like father,like son
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シェリスが初めてギルズリー・オーディル――通称ステイルメイトに出会ったのは、まだ男性、つまりシェリクだった頃だ。その時、ボーダーラインのハッカーたちの間で“ウェイシージー”という補助ドラッグが流行っていた。ウイスキーという意味のこの薬物は无人製薬が販売し、後にこの企業は悪名高きアポセカリーと合併することになる。
“レイクベッド”。その名の通りかどうかは分からないが、このオフィスの所在地は水生種族たちの居住地の地下にある。表向きの仕事は、水生種族たちが陸上で生活する際の補助デバイスの製作と販売だが、裏ではハッカーたちの仕事の斡旋もしている。必然的に、レイクベッドはハッカーを目指すルーキーたちのたまり場にもなっていた。
「あらぁ、ステイルメイトじゃない。珍しいわねぇ」
レイクベッドの主人は、マダム・ベッザーという水生種族だ。彼女の種族は人間に魚類の要素が一部組み込まれたタイプではなく、俗にスラグ――ナメクジ、と呼ばれるタイプである。見た目はまさに、人間と巨大なナメクジと両生類の混合だ。普通の人間が見れば、醜悪と感じる者が大多数だろう。
「こんばんは、マダム・ベッザー。少しお邪魔するよ」
肥大しきった巨躯を特製のベッドに横たえた彼女の私室に、今一人の男性が訪れた。皮膚を湿らせるために噴霧される生温かいミストにも、少しも嫌がる様子はない。メカニカルな外骨格で顔面と両手を覆い、単眼を光らせているのはステイルメイト、つまりギルズリー・オーディルだ。
「おほほほ、相変わらずあなたって奥ゆかしいわねぇ」
頭部の外骨格を展開して素顔を覗かせたギルズリーに、マダム・ベッザーは全身を振るわせて愛想よく笑ってみせる。ハッカーとして卓越した技術を誇るギルズリーだが、彼は気に入った依頼しか受けない変わり者として知られている。そんな彼と親交が深いのが、この水生種族の女性だ。
「それで、ご用の趣は?」
「ああ。少し、みんなの様子を見てみようと思って」
「あらあら、あのステイルメイトがヘッドハンティングなんて、素晴らしいわぁ。珍しいわぁ」
肉厚の短い手でベッザーは拍手する。ギルズリーがルーキーをスカウトするなんて、今まで一度もなかった。いそいそと彼女は教書を操作し、近くの水槽を仮想スクリーンに変える。
そこに映し出されたのは、レイクベッドの別室だ。ハッカーに仕事を斡旋するそこは、典型的なハッカー専門のクラブとなっている。思い思いの場所でたむろするハッカー見習いたちがそこに写っている。だが、そのほとんどは同じスタイルだ。違法改造した教書。金をつぎ込んだ機体。そして何よりも、補助ドラッグによって思考が加速している動作。
「どうかしら?」
「无人製薬が儲けている、ということはよく分かったよ」
ざっと見渡したギルズリーは気のない返事をする。
「ええ、本当。揃いも揃って流行りに感化されちゃって。あれじゃアンチボディ整式を作られたら軒並み全滅よ。企業のいいカモね」
ベッザーもため息をつく。そろそろ他の企業が対抗策を打ち出し、この流行も終わるだろう。
「……あれは?」
しかし、ギルズリーの視線が一人の青年に留まった。
「ああ、あの子ねぇ」
“あれ”だけでベッザーも理解したらしい。すぐに画像が拡大された。
「興味あるかしら。あの中で一人だけ補助ドラッグにも改造ボディにも全然関心のないストイックでクールな男の子。まっさらな生身よ」
「生身なんだ」
「そう、あなたと同じ」
青年は周りを無視し、一人でグラスを傾けている。灰色の髪を雑に短く刈り込んだ、見るからに無愛想な青年だ。雪原を一匹だけで歩むオオカミのように、彼は喧噪の中で孤立していた。
「うふふ、やっぱりあなたの目に留まった。私のカンに狂いはなかったわぁ」
青年を観察するギルズリーを見つめ、ベッザーは沼が泡立つような声で笑うのだった。
あのステイルメイトが弟子を取った、という噂がボーダーラインのハッカーたちの間で瞬く間に広まった。ステイルメイトの活動そのものに変化はない。禅めいた不可思議なルールで仕事を選び、確実に依頼を達成する。その脇に、あたかも彼が操る人形のように、もう一人ハッカーが増えただけだ。そのハッカーは“グレイスケール”と名乗った。
「あの時なぜ僕の誘いに乗ったんだ? 君の腕前ならほかのハッカーからもスカウトはあっただろう?」
二人で本格的エアリアル・スモウを観戦した帰りのこと。駐車した自動車を背にし、汚染された湾の水面に映る朝日を見ながら、彼はグレイスケール――シェリク・ウィリースペアに尋ねた。
「企業に尻尾を振るような連中には興味がない」
シェリクは相変わらず無愛想にそう言った。
「でも、あんたは別だ。あんたは皆にこう呼ばれていた」
彼はギルズリーを見据える。
「天蓋の踏破に成功した命知らず。つまり――――“スカイダイバー”」
ギルズリーは、その目の奥に渇望に近い熱を感じた。
「俺もそれを目指している」
珍しく、少しだけ恥ずかしそうにシェリクはそう言ったのだった。
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