第16話:Angelic
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旧式の数理で隔離された空間と、単純な構文で施錠された扉を抜けた先にあるのは、規模こそ大きいものの普通の庭園だった。恐らくここは数理で空間を拡張&歪曲させた、学院の上階に位置する空中庭園だ。今日はシークレットガーデンの開催日ではない。今、俺はミューノの名義を使って密かに侵入している。
「天使ってのはどこにいるんだ?」
俺が参入したシークレットガーデンには、生徒たちの間である噂が囁かれている。この庭園にいると“天使”と会えるという下らない噂だ。エードルトが俺をここに送り込んだのも、その噂の真偽を確かめるためか? だとしたらあいつも、ここの生徒と同レベルの暇人だ。そもそも、シークレットガーデンはただのお嬢様たちのお茶会だった。
危険な秘密や陰謀の匂いもなく、放課後集まっては無害なお喋りとお茶を楽しむだけの集まりだ。俺としては一度顔を出したらそれ以上出席したくなかったが、なぜかミューノとジェレヴの二人は俺に毎回出席して欲しいらしい。そしてなぜか、庭園の隅には小さな力士像がある。サイバネティック茶道がシークレットガーデンを侵蝕しているようだ。
飽きてきた俺は、そろそろここを出ることにした。生徒が誰もいない時に侵入してみたのだが、結局ここはただのバラ園でしかない。外に出て扉を閉じ、周囲の監視システムに偽装構文を流せば終わりだ。履歴は書き換えられ、ミューノとして入園した誰かどころか、最初からこの庭園には誰もいなかったことになる。
教書を開いたその時だった。
「……くっ」
一瞬だけ、認識がずれる。間断なく進む時間に、刹那差し込まれるプレパラート。一秒前と一秒後。世界がわずかに違って見える違和感。
(……この感覚は?)
不気味なことに、これは大綱に接続した時、時折感じる違和感だ。ハッカーの間では“余震”と呼ばれる感覚に近い。しかしなぜそれがリアルで?
「――やあ、君が今日のお客さんかい?」
それまで誰もいなかったはずの空間に、見知らぬ少女がじょうろを手に立っていた。ショートカットのボーイッシュな少女だ。いや、ボーイッシュどころか、制服のスカートをはいていなければ本気で性別が分からない。快活な少女にも、もの柔らかな少年にも見える。少女はふらつく俺を見て首を傾げた。
「おかしいね。今日お茶会はないはずなんだけど?」
確かにここには、俺以外誰もいなかった。ずっと監視システムに頭の片隅で接続していたが、入園した人間はいなかったはずだ。俺と同じく不正に入ってきたのか、それとも今までステルス迷彩で隠れていたのか。
「すみません。鍵が開いていたので……」
すぐさま俺は、困った顔を取り繕う。
「何だそうか。ジェレヴが鍵をかけ忘れたのかな? 珍しい」
少年のような少女は気さくに笑うと手を振る。
「僕はキシア。君は?」
やれやれ、一人称まで「僕」か。ストリンディも中性的だったが、体つきは隠しようもなく少女だった。一方こいつは、ストリンディに輪をかけて性別がはっきりしない。
「シェリス・フィアといいます。どうぞよろしく」
「これが十年前の卒業生が植えたバラ、そしてこっちが、先生方がお金を出し合って買ったバラだよ。ああ、それと向こうは――」
俺はキシアと名乗った少女の後を、杖を突きながら付いて歩く。あの後、俺は「こっそり忘れ物を取りに来た下級生」を装った。それにキシアが納得したかどうかは不明だが、今彼女は上機嫌でバラ園を案内している。
「君、上の空だよね?」
しかし、先を行くキシアは急に振り返るとそう言う。
「あら、分かりました?」
俺は素直に認める。
「へえ、面白い。大抵の子は、そう言われたらすぐに『そんなことありませんわ。とても興味深く聞かせていただいています』って弁解するのに」
「あなたでしたら、正直に認めても怒らないと思いましたから」
「面白いなあ、君は」
楽しそうにキシアは笑う。一見すると快活で人好きのする感じだが、目が笑ってない。
「そうですか?」
「だってそうじゃないか――」
立ち止まった俺に、キシアは近づくと顔を寄せる。
「本当は男なのに女の子の格好をしちゃって、しかもそれが板についている。僕も人のことを言えた義理じゃないけど、不自然が服を着て歩いてるみたいで滑稽だね」
――何だこいつは? なぜそれを知っている、いや分かる?
「……そうですか」
幸い俺は矯正整式の力で取り乱すことはなかった。辛うじてそう言った俺に、キシアは満足したらしい。
「また会おうね。今度は、正式に招かれて欲しいな」
その言葉と共に再び余震の感覚が襲う。ふらついた俺が目を閉じて再び開けた時、そこに彼女の姿はもうなかった。
俺はキシアの消えた空間から目を離し、周囲を見回す。そして気づいた。近くのバラの垣根の中に手を入れると、中から一冊の教書が出てきた。
「これが種明かしか。下らないな」
恐らくこれが、キシアの姿を投影していたのだろう。
「こんな三文芝居で騙せるのは、ここの箱入りお嬢様たちだけだぞ。天使さん?」
俺は鼻で笑うと、教書を放り投げた。
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