モンスターペイシェントvs殺人医
この作品には炎による残酷な描写があります。ご注意ください。
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俺はなぜ入院してしまったのだろう……
そんな後悔を抱きながら、彼は狭く暗い場所でもがく。
満足に力の入らない手で壁を引っ掻き、微かな呻き声しか出ない声で大きく叫んでいた。
だが、中年男性の彼の声は誰にも届くことはない。ここはそういう場所なのだ。
入院して数日も経たないうちに彼はここへ来てしまった。
では、彼はなぜ入院してしまったのか?
その時まで時間を戻してみよう――。
◇
「もっとよく診てくんねえかな。俺は腹が痛いって言ってんの。胃潰瘍の疑いがあるんじゃないのか?」
ガラの悪い彼が医師の胸ぐらを掴み上げる。
まだ若い医師は彼に怯え、殴られないように両手を上げた。
「しかし、ただの食べ過ぎなのに……」
「うるせえッ! 俺はな、ちゃんとネットで調べてんだよ! 会社でのストレスが原因で胃に穴が開きかけているに違いねえんだ! 医者なら数日の検査入院を勧めるべきだろうがッ!」
彼は医師の言葉を遮ってさらに脅す。
「わかりましたっ、わかりましたから! にゅ、入院です。胃潰瘍の疑いがあるので数日入院してくださいっ」
医師は振り上げられた拳から目を背けて懇願した。
それを聞いた彼が満足気に微笑む。
「だろ? やっぱり入院だよな。あんた、名医になれる素質があるぜ」
彼は笑いながら医師の頬を軽く叩き、傍で震えている看護師に個室まで案内させた。
彼の軽い腹痛はただの食べ過ぎ。若い医師の診断に間違いはなく、それは本人も自覚していた。
それでも彼が入院したがった理由は、入院したという事実を欲したからである。
仕事のストレスが原因で胃潰瘍となり入院――。その事実を会社に突きつけ、多額の慰謝料を請求しようとしている。それは、彼が自分をクビにしようとしている会社への復讐であった。
彼がクビになりかけているのは、すぐに仕事をサボるから。しかし彼にその自覚はない。仕事をサボっているのではなく、まわりの人間に仕事を与えて教育してやっているのだと本気で思っている。
だからこそ、彼は会社が自分にしようとしている仕打ちが気に入らなかった。
◇
「先生、そりゃなんだい?」
ベッドの上でくつろいでいる彼は、若い医師が用意した点滴を不思議そうな顔で見る。
「まだお腹が苦しいかと思いまして、これを点滴すれば楽になるはずですよ」
少し怯えた顔で答える医師の言葉を彼は疑わない。
自ら進んで腕を差し出した。
「そいつはありがてぇな。けっこう食っちまった――じゃなくて、胃潰瘍がひどくてよ、まだ腹が苦しいんだ。あ、先生よぉ、退院する時は胃潰瘍だったって診断書の方も頼むぜ」
「診断書ですね、わかりました」
医師が快く了承したことで機嫌が良くなったのか、リラックスした彼は点滴を受けるとすぐ眠気に襲われる。
そして一分もしないうちに彼は深い眠りへと落ちた。
暴力的な中年男性の寝顔に、医師は冷たい視線を送る。
「診断書ですね。ちゃんと書いてあげますよ。……死亡診断書をね」
医師はそうつぶやき、注射器で点滴にある薬を混ぜた。
すると、健康な顔で眠っている男性の顔が見る間に青白くなっていく。
医師が注入したのは身体を仮死状態にできる薬。一見しただけでは死体と区別がつかない。
こうして、医師はこの男性の死亡診断書を書いた。
◇
二日後、彼は棺に入ったまま葬儀場にいた。
彼には身寄りがなく、遠い親戚の者がいるだけであった。
その親戚は葬儀場にはいない。昔から迷惑しかかけられていないと、葬儀に出るのを拒否したのだ。葬儀や火葬代も渋ったほど、彼と関わるのを嫌がった。
係員が手を合わせ、彼が入った棺を火葬するため炉のなかへ送る。
「先生、上手くいきましたね」
聞き取るのがやっとな小さな声を出したのは、隣に立つ黒服に身を包んだ女性。
彼に個室へと案内させられた看護師であった。
それに頷いたのは黒いスーツを着た若い医師。
若い医師は事前の調べでこうなることを予見していた。まさに思惑通りである。
「ああ、そろそろ薬が切れるころ。どうしようもないバカ男には良い旅立ちとなるだろうね」
二人しか参列者のいない火葬場で、二人は無表情で彼を見送った。
◇
ガコンという揺れを感じた彼がゆっくりと目を開けると、そこは真っ暗な世界であった。
ここは……どこだ?
思うように力が入らない腕を動かすと、自分が狭い場所にいるのだということがわかった。
しかし、まさかここが棺のなかで、今から火葬されることになるとは思ってもいない。
俺はなぜ入院してしまったのだろう……
あの若い医師に騙されてどこかに閉じ込められてしまったと、そんな後悔を抱きながら、彼は狭く暗い場所でもがく。
満足に力の入らない手で壁を引っ掻き、微かな呻き声しか出ない声で大きく叫んだ。しかし、それに応える者はいない。
ボッという音が彼の耳に入った。
それが何の音なのかを考える間もなく、彼は光を目にした。
彼が最後に目にしたのは、地獄の業火そのものだったに違いない――。
ぎゃああああああああああああああッ!
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