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ビー玉

「さ、早く入って」

「は、はい」


 重い扉を開け研究所に入る。まだ外は暑かったが、コンクリートに囲まれた研究所はヤケにひんやりと冷え込んでいた。


「足は大丈夫?」

「あっはい、大丈夫です……」


 床材とスニーカーの擦れる音が、シンとした廊下に響く。


「ああ、なんだあ?」

「……面倒なのがきたわね」


 廊下の奥から聞こえてきたのは、低い男の人の声だった。白衣を着崩し、深いクマを作って無精髭を生やした男に、華は肩をびくりと跳ねさせた。


「また拾ってきたのかよ。猫や犬じゃあるめえし、かくまう余裕ねえだろうが。笹川サンよぉ」

「匿うために連れてきたわけじゃないわ」

「なんだよ、そんなガキが薬でも作る天才ってか?……患者か?そんな暇あるのかよ」


 遠い距離を保ちながら、ピリピリとした言葉を掛け合う。無神経な言葉しかかけない男に笹川は、華の方をちらりと見遣る。大丈夫です、と言わんばかりに困った顔をした華に、笹川は、グ、と喉を引き締めた。


「実験体よ」

「……はあ?」

「片足だけ発症して、まだ自我はある。私たちの研究に協力してもらうのよ」

「……おまえ」


 ぐだぐだ言ってないで、準備しなさい!と一括すると、重そうな足をできるだけ早く動かし、研究室に戻って行く。再び、冷えた廊下に沈黙が走る。なんだか、すごい迫力だったと華は目を見開いたままであった。


「……華さん、ごめんなさい」

「え?」

「あれを黙らすためでも、嫌な言い方してしまったわね」

「そんな……」


 大丈夫です、と笹川をみると、なんとも痛々しい顔をしていた。本人が横にいながら、実験体などとモノのように言ったことが、笹川の良心を傷つけていた。

 匿うと思われたことも、実験体であることも事実なのだから、華は気になどしていない。華には、そんな悲しそうな笹川の顔のほうが苦しかった。


「だ、大丈夫です!本当に、気にしてません!」

「ごめんなさい……森宮さん、部屋に連れて行ってあげて」

「はい」


 それじゃあ、またあとで。と囁いた笹川の顔は、以前苦しそうなままだった。苦しそうな顔のまま、研究室へ入って行く。病院のようななんとも言えぬ匂いが鼻についた。


「さ、行きましょうか」

「……笹川さんは、優しいですね」

「そうですね……誤解されることも多いですが、優しい方ですよ」

「誤解……フフ」

「どうしました?」


 以前、家に来てくれたことを思い出しまして、と静かにくすくすと笑う。


「ああ……忘れてください、あのギャグは」

「ふふふ」


 ニカ、と明るく笑う森宮に肩を支えられながら、長い廊下を歩く。薄暗い廊下をゆっくりと、歩いて行く。一時の柔らかな空気も一瞬で消えてしまう。遠くの部屋から聞こえるざわざわとした声は、不気味にさえ聞こえた。


「……治るでしょうか」


 ぽつりと、まっしろい床にビー玉をコロンと転がしたような声で、華は言った。

 以前、余計な期待は持たすなと笹川に言われた言葉がよぎったが、このままこの言葉を放っておけばころころと何処かへ転がって行ってしまいそうなその言葉を、森宮は放っては置けなかった。


「……きっと、治りますよ」


 森宮の規則正しい足音の中、キュ、キュと床とスニーカーの擦れる音が、不自由な足を際立てていた。

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