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解けた紐

 ガサガサという物と布が擦れる音で、雄太は目が覚めた。


「ん……はな?」

「起こしちゃった?ごめんね」


 その音の正体は、いつも旅行の時に持って行くカバンに物を詰めている音だった。一泊2日にちょうどいいカバンは、パンパンになっていた。


「なにしてるの?」

「うんと、あのね」


 寝ぼけ眼をこすりながら起き上がる。明け方泣いたせいで、まつげはパリパリになっていた。


「笹川さんの研究所で、預かってもらうことになったの」

「何を?」

「私だよぉ」


 当たり前でしょ、と笑う華は次々にカバンにものを詰めていく。


「どうして」

「言い方怖いよ、ゆうくん」


 矢継ぎ早に質問する雄太は、ぶっきらぼうな言い方になっているのは自分でも分かっていた。ただ、この間まで泣いていた華と別人なほどの決断力だった。


「もともと、預かってもらうのが良かったんだよ。私、こんなんだし」


 ペチペチと足を叩く。華はずっと、笑顔だった。今まで泣いて、落ち込んで来た時に比べたら、違和感を感じるくらいに。


「……“まだ”人間だけど、人間じゃなくなる前に」


 ね、と華は微笑む。

 雄太に心当たりは沢山あった。華に怖い、恐怖の目を向けた。可愛くすり寄って来た華を避けた。華に「ここにいてはダメなんだ」と思わせるようなことを無意識に沢山してしまったと、雄太は分かっていた。

 しかしそれで、雄太を責めることができるものではなかった。


「……そんな無理して、笑うなよ。変だよ」

「今まで泣いて来たから、離れる時くらい、笑顔だっていいでしょ」


 華はニコリと雄太に笑顔を見せた。当たり前だが心の底から笑ってない、辛そうな笑顔だった。

 そんな最後みたいに言うなよ、と言いかけたが、それを言ってしまうと本当に最後のような気がして、グっと喉で留める。


「……そこでは、ちゃんと治療してもらえるの?」

「……うん」

「そっか……」


 ならよかった、と心の中で呟いた。

 雄太は、華のすこし震えた声に気づけなかった。その雄太のホッとした顔に、華がすこし寂しげな表情をしたことも。

 気付いたところで華の気持ちは変わるわけでもないのだが。


 そうだ、こんな辺鄙なマンションにいるより研究所にいたほうが治療を受けられる。それは確かだった。カバンに物をせっせと詰めている華の横顔を見て、雄太はハッとする。


 何を俺はホッとしてるんだ?

 華は、俺を危険に晒すまいと離れていくのに。心の奥底で、ホッとしている自分がいる。それは、自分の保身か?自己嫌悪で、自分の思考を考え抜きたくなかった。


 病院でもない、笹川らを疑っているわけではないが、見知らぬ研究所に、何をされるか分からない。自分の保身でホッとしてる?最低じゃないか、と拳を強く握る。


「……本当に行くの?」

「行くよ」


 すこし足を引きずりながら、廊下を歩く。見送りはここまででいいよ、森宮さんが来てくれるみたいだからと振り返った。

 降る細い腕を、とっさに雄太は掴んだ。


「どうしたの?」

「華」

「なあに?」


 掴んだ手がジワリと滲む。

 あれだけ華を傷つけておいて、自分が一緒に居たいから引き止める?危険そうだから、行くなと言えるか、自分の保身のために離れる?もう、雄太には自分の心がわからなかった。どちらが正解なのか。いや、もうこの現状に正解などないことを、華も雄太もわかっていたのかもしれない。


「……気を、つけて」


 雄太は自分でも情けないと思った。行くなと引き止めたら男らしいのか。ただ、もう雄太には受け入れられる余裕も、送り出す勇気も足りなかったのかもしれない。


「……いってきます」


 華はやさしく微笑む。


 蝶々結びが解けるように、手は離れていく。


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