守るべきもの
「総理」
ぽつんとある机には、総理が座っている。その姿はやつれ、見る影もなかった。
「いつご決断をされるんです」
男がそう迫るが、依然総理は微動だにしない。
「町は壊滅的、日本中に広まってます。」
「分かっている」
「分かっているならどうして!」
確かに、日本はほぼ機能していなかった。自衛隊は発症者を隔離、拘束することに手一杯であった。
謎のゾンビウイルス、ということで海外からの応援はもちろん来ない。この部屋から見える景色も、まるでパンデミック映画さながらである。そんな景色を見ながら、総理がポツリと呟く。
「決断、というのは、なんの決断だ」
「総理、何を……もちろん排除でしょう! もう限界かと思われます」
「治るかもしれないのにか。」
「それでは、いつまでまてばいいんです」
薬ができるまでまっていたら、拡大して収集が付かなくなりますと、男は怒りを少し露わにした。他の意見など聞かずどんどんと突っ走って行く政治家であったはずの総理が、こうも保守的になるのかと苛立っていた。
第一、初日に早く倒せと声高らかに言っていた本人がこうも煮え切らないものなのかと不思議に思っている節もあった。
「……」
「総理!」
ここまで言われて何も言い返さない総理の目は、窓の外の景色の、ずっと遠くの方を眺めていた。
その目の中には、以前まであった野望と自信の炎は消えているように見える。当然この状況なら妥当と思うが、この総理がそんな簡単に変わったりはしないということは重々承知していた。
ただ遠くを見つめる総理に腹立ち、下唇をぐっと噛んだ。
「……総理は、今、なにを守っているのですか」
早くのご決断、お願いいたしますと吐き捨てるようにいい、重いドアをバタンと閉めた。
コツコツと廊下を歩く足音が遠くなって行く。
遠くを見ていた総理の目線が机に移る。少し埃のかぶった机には、ネクタイピンが1つ置いてある。それに触れると、ひやりとした温度が総理の手に伝わる。ジワリと体温で温められ、持っていても違和感のない温度に馴染んで行く。
「なにを……」
私が守るべきものは、国であり、国民だろう、と、ネクタイピンをつかむ指にグ、と力を入れた。
「私は……」
私はなにを守っていたのだろうか。
指先から、ネクタイピンが落ちた。
「私は、なにを捨てればいいんだ」
床に落ちたネクタイピンは、また冷たくなって行く。




