焦りの代償
目の血走ったネズミの、ギイギイと鳴く声が研究室にこだまする。
血の匂いとともに腐臭もする。外で待機している森宮でさえ、顔をしかめるほどであった。
「……これでもだめか」
「じゃあどうしろってんだよ」
「なんなんだよ、これ」
ため息と同時に、ガシャガシャと乱暴にゴーグルを置く音が聞こえる。一旦休憩にしよう、と柿原医師がいうと、ため息混じりに研究室をゾロゾロと出て行く。
研究室から出てきた、疲れ切った顔の研究員達に森宮はお疲れ様ですと声をかけた。その中に、見慣れた無愛想な笹川の顔が見当たらない。
「あれ、笹川さんは……」
「まだ中じゃないの。森宮くんからも言ってやってよ、ちゃんと休憩しろって」
じゃ、とクマを作り虚ろな目をしながら、重い手をあげエレベーターに乗り込んだ。ため息といらつきが充満するエレベーターは、上へと上がって行く。
一気の人のいなくなったフロアは、シンと静まり返っていた。
「俺が休憩しろって言ってもな……」
森宮は、かすかに物音のする研究室を覗く。笹川は、ギイギイと鳴く、もうすでに共食いをし肉塊になったネズミをじいとみつめていた。
「さ……笹川さん、休憩しないんですか」
笹川は、注射器を持ちネズミに近づける。まるで森宮の声は到底聞こえてないようであった。想像通りの反応である。笹川が、森宮の言葉に従うわけはなかった。森宮も、それは重々承知してる。
しかし、雑に結んだ髪はボサボサで、目の下には青いクマ。にもかかわらず目は見開き爛々としている様だった。その表情は、街を闊歩している発症者を彷彿とさせる様で、鈍感な森宮がみてもハッキリと不健康と感じる顔であった。
「笹川さん……」
白い、といっても仲間の血を浴び斑らに赤くなったネズミに注射器を刺す。ズ、と上がってきたのはどす黒い、赤い血液であった。慣れた手つきで試験管に入れ、1人研究を続けようとしている。
「笹川さ……」
「うるさい」
静かな一声で、森宮は先の言葉をヒュッと飲み込んだ。
「私たちが休んでる間に、1人1人、感染していってるのよ」
それなのになんで休めるの、あの人たちは。と続ける様に言う。
「でも……笹川さんが体をおかしくしますよ」
「私の体ひとつおかしくなるくらいの犠牲を払って研究が進めば、万々歳よ」
「そんな……」
でも、と続けようとした森宮に、笹川は怒鳴った。
「でもじゃないの!! はやく薬を作らないといけないのよ! あなたも散々見ているでしょう、外の惨劇を!」
バン! と乱暴に注射器を置く。
コロコロと注射器は転がり、カランと軽い音を立てて床に落ちた。
森宮は、ここまで感情を荒げる笹川を見たのは初めてだった。肩で息をし、顔は真っ青で目は爛々としている笹川は、狂気じみている様に見える。
変わらずギイギイと響くネズミの鳴き声と、ハアハアと微かに聞こえる笹川の息だけが研究室を篭る。
「……はやく作らないといけないのよ」
「……笹川さん……」
「はやくでてって……」
邪魔しないで……そう言った瞬間、笹川の目の前が暗くなり、膝の力が抜け、ズシリと脱力感が笹川を襲う。視界も奪われた中で、頭は変に冷静であった。ああ倒れる、床に落ちている注射器に刺さったら、と考える中で、頭の中も黒いモヤに侵される。
ああ、まずい
「笹川さん!!」
倒れゆく中で、遠くから、森宮の声だけ、聞こえた。




