過去を埋めて
立ちっぱなしの足が、動くことを許されない足が、血がたまりじわりと熱くなる。
「舞子、こんな点とって恥ずかしくないの?」
「ごめんなさい……」
「はあ……ごめんなさいじゃなくて、ちゃんと点数で見せてくれる?2位なんて、笹川家の恥だわ。」
ひらりと骨ばった手から落ちた紙には、『98点 よくできました』と赤ペンで記されてあった。セーラー服のスカートを、ギュと握る手は赤くなっている。
「お母さんの家は、代々医者の家系なのに……あなたからも言ってやってちょうだいな」
「いいじゃないか、別に」
「またあなたは悪者を私だけにしようとして!あなたはいつだってそう、あの女の時だって……」
「またその話か、いつまでぶり返すんだ!」
読んでいた新聞をバサリと、高そうな机に投げ捨てる。若かりし頃の笹川、笹川舞子は、父親は自分をかばっているのではなく、本当に興味がないだけだということをとっくの昔に知っていた。
すでに自身のテストの話ではなくなっている隙に、落ちているくしゃくしゃになったテストを拾い部屋に駆け上る。母の金切り声と、父のめんどくさそうな怒鳴り声を背中に受けながらやっと、自室に入りドアを閉めた。2人の声は遠くなり、声は部屋に入ってこなかった。
握りしめたテストを広げる。よくできました、と書かれた部分を、ビリ、と破いた。はあと一つため息を吐くと、どっかりとベットに座った。
「医者になんか、なりたくないし」
ごにょごにょとしたから聞こえる声を塞ぐように、イヤホンをつけ、音楽を流す。耳に流れてくる大音量のロックが流れてくる。テストの点数も、あのヒステリックな母親の顔も、無関心な父親の顔も、なにもかも、大きな音で流してくれるような、そんな気分であった。
ベットに倒れて天井を見つめる。更に無になるような気分であった。大音量の音に紛れて、自分の声すら聞こえない。
「ばーか……」
98点のテスト用紙も、学年2位の順位も、父の不倫も、代々続く医者も知るかと目をつぶった。
「……さん、笹川さん!」
ぐいと力強く引かれた。その勢いで硬い胸板に笹川はぶつかった。
目の前には、カチカチと歯を鳴らす発症者がいた。目はどろりと落ち、心臓がパクリと跳ね鼻から吸った短い空気は、腐った肉のような臭いであった。
いきなりの光景に頭の処理が追いつかず目を見開くだけの笹川に、森宮は、焦ったような顔をした。
「ちょっと、すいません!」
少しかがみ、笹川を持ち上げた。笹川を呼びかけた声に、ぞろぞろと集まってくる発症者たちから放心状態の笹川が逃げれるとは思えなかった。
ひょいと軽く持ち上げた森宮は、あと階段を登るだけの道のりを、息を切らしながら走った。体を鍛えあげているとはいえ、人間1人を担ぎながら駆け上る階段はきついものであった。
やっと、雄太と華の部屋の階に着き周りに発症者がいないかを確認すると、ゆっくりと笹川を下ろした。
「ハアッハアッ……さ……笹川さん……どうしたんですかっ……」
顎先からぼたぼたと垂れる汗が、アスファルトに落ちる。息を整えようと、大げさなほど肩を上下させる。
じわりと足元から上がる熱気に過去を思い出してしまった笹川は、自分の失態に顔をしかめた。
「……ごめんなさい」
自分の袖で、森宮の汗を拭う。その行為に、森宮はビクリとしながらも、切らした息で礼を言った。
「……笹川さん、大丈夫ですか?」
「……ええ、これから気をつけるわ」
嫌な過去を思い出してしまったからか、又は、自分が気を抜いた事が自分自身許せなかったのか。ぎり、と唇を噛んでいた。
きっと後者だろうが、やっと息が落ち着いて来た森宮は、そんな罪悪感に溢れている笹川をみて、言った。
「だから、守るって言ったでしょう」
ね、と汗がダラダラと垂れた顔をくしゃりとさせニカリと笑う。そんな言葉に、また笹川は目を見開くと、なんだか安堵したように、肩を落とした。
「……ありがとう」
みた事がない笹川の安心した柔らかな笑顔に、森宮はどきりとする。走って来た動悸とは違う胸の高鳴りに慣れないながらも、いきましょうかと、一歩踏み出す。アスファルトに垂れた汗を踏みながら、顎に伝った汗を手でぬぐいながら、部屋へ向かって2人歩いて行った。




